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あの日々心を支えてくれたのは音楽でした。小田和正氏tour2011「どーも🎵どーも🎵」~その日が来るまで~🌸


小田和正氏コンサートtour2011年のパンフレットがやっと手に入りました。
小田さんは、震災後もコンサート🎵を続けてくださり(一時期中止や延期はあったようです)
あの時からずっと応援してくださり、笑顔で走り続けてくださったのだなと、あらためて感謝✨の気持ちです。
本当にずっと小田和正ファ
ンでいて良かったと思います。

表紙のイラストと、小田和正さまのお言葉を見ただけでも感動です。パンフレットにこんな言葉を印されていらっしゃいます。

『忘れられない春になりました。桜が今にも咲こうとしています。ボクは、その日がくるまでずっと頑張ろう、みんなの街へ行って、思い切りの笑顔で手を振ろうと決めました。みんなの心にふるさとの空がいつもありますように、いつかきっとそのふるさとの空がすべての人たちに戻ってきますように。きっと待っていてください。
2011.3.25 小田和正』

2011.3月末~4月頃 小田和正さまとメンバーの方々 🌸桜の木の下で


東日本大震災原発事故から、はや12年の月日が流れています。もうすぐ13年になります。
あの出来事で、生活が激変してしまった方々も多いことでしょう。日本中が先行き不安に包まれた辛い悲しい出来事で、今もそれが続いている方々もおられます。
私も住む所は変わらなくても生活が変わってしまい、緑豊かな平和なふるさとが思い出までもがグレーに塗り替えられてしまうような日々でした。
子ども達の健康を守る為にどうしたから良いか彷徨い歩き、そして住みながら努力して来た日々でした。

小田さんはそんな中も、コンサートtourを続けてくださっていたのですね。
震災後、いろいろあって混乱した余裕の無い日々を送っていたので、コンサートには参加していたもののこのことを知ったのは、「encore‼︎encore‼︎」が過ぎて「こんど🎵、君と」のコンサートの前頃だったでしょうか。

LIFE-SIZEという小田和正さまの毎年の記録DVD📀を年を遡って購入し、見るようになり、「そういえば、震災後小田さんはどんな風に過ごされていたのだろう?」と思うようになりました。
ファンクラブのFar East Cafeの会報「PRESS」でこの記事を目にしました。あの年の桜🌸の木の下でメンバーと撮った笑顔の写真とともにありました。
そんな小田さんの決意は知らずに、当時の自分は暗い心で日々を過ごしていましたが、毎日毎晩CD💿を聴いて、小田さんの曲と声には日々癒され励まされてきました。

励まされた小田和正様の曲🎶は数しれません✨
「明日」「Re 」「hello-hello」「やさしい雨」
「東京の空」
「さよならは言わない」
「生まれ来る子ども達のために」
そして
「その日が来るまで🌸」

音楽はあの時何の役にも立たないなど思われていましたが、
人々を励まし勇気づけたのは結局は、音楽🎵やそういった心を支えるものでした。
支えて頂き耐えて乗り越えて頑張ろう!と気持ちを奮い立たせていました。
あの歌声や曲があったから過ごして来れました。今でも感謝✨しております。

きっと他の方々もお辛い時などに、音楽🎵のチカラ✨には
生きるPowerをもらっていることと思います。
大好きな尊敬する✨
小田和正さまの歌声だからこそ、癒され励まされ、Powerをもらえるのだと思います。
小田友さま、みんな、ナカマも同じ思いかなと思ったりします。

そして、「その日が来るまで」🎵の「その日🌸」はいつ来たのか、来て来ていないのか、来る日はあるのか?など思ったりもしますが、
あれ以前の日々は取り戻すことは、過去に戻れないと同じで出来ないのかもしれません。

しかし、小田さんが仰る「ふるさとの空は」、見上げればいつでもそこにあります。
日によって見え方が変わったりします。
子ども達の元気な声も戻って来ました。新築の家を建てる方々も増えました。

いろんな日々を乗り越えて辿りついたこの日々を、ただ受け止めて、また過ぎていくだけなんだろうなと「what’s your message」を聞いて思う2023年の秋の日です。


自分のすべきことを決めて、ずっと走り続けて来られた小田和正さまの真摯な姿勢✨に、感動と感謝と尊敬の念をあらためて抱いております。

小田さん、これからも、どんな形でも良いので、歌い続けてくださいませ🎵💓

(この台詞、あの時遠い日に書いたのと同じだわ‥)



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