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小田和正さまの美しい曲のひとつ『愛の唄』について♪


「こんどこそ、君と」のコンサート🎵でも歌われた『愛の唄』
オフコース時代のイメージが強いですが、今聴いてもとても美しくステキな曲です。

古典的な言葉遣いを感じさせる表現
♪泣きぬれてただひとり さみしい黄昏には

文学好きの方ならすぐに、
石川啄木の短歌「東海の小島の磯野の白浜に わが泣きぬれて 蟹とたはむる」を思い出すのではないでしょうか。
啄木が小説家になろうとして挫折した時に作られた短歌ということですが、はたして小田さんはこれを作られた頃は、どんな時代でどんな心境だったのかしら?と想いを馳せてみたりします。

高村光太郎の「智恵子抄」「樹下の二人」~あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川~
(PRESSの記事にありましたし、御当地ビデオでも出てきた気がします)
これがスラスラと出てくる文学青年小田さまなので、もしかしたら
歌詞の中にも古典的なエッセンスを取り入れてというような思惑もおありだったのでしょうか。

♪永遠の命も 名誉もいらない
あなたに会えたこと それだけでいい~
これこそ究極の愛、まさに愛の唄ですね。

そして私の好きなフレーズは
♪めぐりくる季節にも 懐かしい匂いがして~
のところです。

何度も巡ってくる季節、四季。毎年違うのに、やっぱりその季節にはその季節の匂いがあります。
芽生えてきた草の匂いだったり、雨が降った時の土の匂いだったり、お掃除や換気した時のお日様の匂いだったり、金木犀の良い香りだったり、雪が降ったあとのとにかく濁りの無い香りだったり。

♪誰も気づかないような ほんの小さなことで この胸はいっぱいになって その時僕には そんなささいなことが ほんとうの幸せに 思えたんだ~『Re』より

この曲は曲も勿論よいのですが、歌詞がとても心に響いてきます。こんな風に、季節だけでもなくいろんな小さな出来事に感動して胸がいっぱいになってしまうことが自分もよくあって、小田さんはそういう感性で感じたことを見事に歌詞にしていらっしゃるなぁと思います。そして小田さんのその感受性も私にはとっても感動してしまったりするのです。

そして とても謎めいている歌詞と表現が

♪泣きぬれてただひとり 
さみしい黄昏には
恋人よふりむけば
やさしい思い出をあげよう~


この唄は現在の時点で見ると
♪今ひとりでゆけば…
という状況で
そこに
やさしい思い出をあげるのは?
くれるのは誰なのか?
視点がここだけ違う?

私にはなんともとても謎めいて感じてしまいます。

多分こんな感じなのではないかしら。
“ふりむく”という表現は
ひとりで”ゆけば”と反しているから
ひとりで進んでいくとしても
時々過去をふり帰ったら
その時には 
それは
やさしい思い出として
ずっとそこにあるんだよ

ということかしら。
それを 「思い出を あげよう」という表現、例えばこれが「思い出を ありがとう」なら完結するのですが、「あげよう」のおかげで謎めいていて余韻が残ります。

どなたか、それぞれどんな解釈があるのか是非教えてくださいませ。

『愛の唄』は
合唱で歌っても美しいのではないかと思うのです❣️
元々がとても美しいから、女声コーラスでも混声でも美しいだろうなぁ。

オフコースの時と、ルッキングバックの時と、先のコンサートの時とでは、chorusが全部違うんですよね。

小田さんが女声合唱の編曲された🎼があれば:.* ♡(°´˘`°)/ ♡ *.: すぐにでも是非是非歌ってみたい曲♪です。

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