ザ・ローリング・ビッチ・バスターズ

ザ・ローリング・ビッチ・バスターズ

ファッキンジャップ


【ストーリー】幽霊に彼氏を襲われた女子高生がオカルト研究会と協力してそれを退治する物語と、悪逆非道ニンジャ・トランジットがニンジャスレイヤーから逃げつつ勝機を見出そうとする物語、その二つが重なり合い、新しい一つの物語になる。現実世界の神戸と忍殺世界のコウベ・シティ、異なる世界線で起きた事件を繋ぐ「パラドキシカル・ジツ」とは?幽霊の正体とは?トランジットはニンジャスレイヤーに勝つことは出来るのか?!


【作者から】初二次創作書きました。忍殺世界と現実世界の両方で物語が進む平衡世界系です。ニンジャスレイヤーには新しい文学の可能性がたくさん詰まっていると考えていて、今回こんな感じで書かせていただきました。とにかく書いていて楽しかったです。また書きたいです。




【本編】

~~~ザ・ローリング・ビッチ・バスターズ~~~



「ねえ、ゆり。ローリング・ビッチのうわさ、知ってる?」

「何?」

「ローリング・ビッチ」

「知らない。何それ?ローリング・ストーンズの妹分?いや娘?いや孫か」

「どこにこだわってんのよ。違うわよ。最近この辺で出るって噂の幽霊」

「ああ、なんか男子の中で盛り上がってる」

「そうそう」

「でも詳しい事は知らない。それ、なんの幽霊なの?ビッチなの?」

「それはもうビッチ。全裸だもん」

「全裸?」

「学校の帰り、私たちの高校から神鉄長田の駅に帰るまでの途中、傾斜45°くらいあるんじゃないかってくらいめっちゃキツイ坂があるでしょ?」

「ああ、あそこ」

「そこを夜十時くらいに男子高校生がたった一人で下っていたら上から不審な音が聞えてくるんだって。それで振り返って見たら、全裸の巨乳ブロンド女が前転で、角速度2π rad/secで物凄い勢いでその長い髪を振るわせ全身を地面に叩きつけながらドゴドゴとその子めがけて転がって来るらしいの」

「2π rad/sec?やばくね?てかいろいろツッコミが追い付かないんだけど……」

「知らない。私も聞いただけだもん。で、もちろんいくら発情期の男子でも女の人が深夜にそんなスピードで転がってきたらもはや恐怖。で、みんな悲鳴を上げて逃げるんだけど超速いらしいの。転がるスピードが。どれくらい速いかっていうと、実際この前、烏賊田洋平がそれに襲われたらしくて、でも彼も逃げ切れなかったらしい」

「烏賊田君が?陸上部の?」

「そう。あの烏賊田くん。まあ向こうは走って来るんじゃなくて転がって来るんだからね。徒歩対自転車みたいなもんだよ」

「うん?そうかなあ……?」

「で、もし彼女に追い付かれたら、ってか彼女は最終的に飛びついて羽交い絞めしてくるらしいんだけど、そうなるとそのまま坂を一緒に転がされて、気付いたらどこか異空間に飛ばされちゃうらしい」

「え、マジで?だったら烏賊田くんは?今行方不明なの?」

「いや、彼は普通にいるよ。襲われた日の夜明けに、目が覚めたらベッドの上で寝てたんだって。てか消えちゃってたら私この話聞けないじゃん」

「それもそうだ」

「で、私訊いたの。そんな面白い話、オカ研として見逃せないでしょ。異空間ってどんなところだったのか、その女は何がしたかったのとか。どうやってそこから帰って来たのかとか。でも烏賊田くんなーんにも教えてくれないの。えへえへ。みたいに顔をにやけさせて」

「まあ怪しい」

「他にもその女に襲われた男子とっ捕まえて尋ねてみたんだけど肝心の異空間の話は誰も教えてくれないの。ゆり、これどう思う?」

「どう思うって…。そんなの、絶対エッチな事されてるじゃん」

「だよね。どう考えても向こうでエッチなことされてるんだよね。ゆりも聞いてみな。男子、めっちゃにやけるから。だってそもそも転がって来るその女全裸だからね。しかも男子曰くめちゃくちゃ美人らしい。外人っぽくててか男子はスカーレット・ヨハンソンって言ってた」

「全裸のスカーレット・ヨハンソン……」

「あ、それで先週とか酷かったらしいよ。深夜、あの坂に何十人もの男子生徒が夜の十時、普段ならそんな時間あそこを通る人なんて誰もいないはずなのに「偶然」集ったらしくて。みんなヨハンソンにエッチな事されたいんだって」

「男子ってほんとスケベ」

「でも最近はそんなことはなくなった、っていうのはブロンド女が出るにはある条件が必要なの。会おうと思っても誰でも会えるわけじゃない。それは、何かを凄く、思い悩んでいること。彼女に襲われた男子にはその共通点があるの」

「なるほど」

「また例に出しちゃって悪いけど烏賊田くんはその時超スランプで、新しく入って来た後輩に大会の出場枠を取られてもう部活やめて受験勉強でも始めようかと思っていたくらい悩んでいたんだって」

「え、あの烏賊田くんが?」

「見えないよね。で、そう。彼はその日部活サボって会下山公園の芝生のとこで寝っころがって空を見ていたらいつの間にか寝ちゃって」

「意外とピュアなんだね」

「うん。分かる!なんか男子ってそういう純情なところあるよね。なんだよ公園で空見るって。ポエムか!ってそれは置いておいて。で、気付いたら夜の十時だったらしい」

「寝過ぎでしょ」

「ね。それでそこから歩いて帰ろうとしてその途中女に襲われたらしい」

「へーでもそれは知らなかった。烏賊田くん今度全国大会出場するって先生言ってたじゃん。そんな時期があったんだね」

「うん。今烏賊田くん調子いいらしいね。練習にも一番早く来て一番遅く帰るらしいよ。奪われた枠ももう取り戻して思い悩んでいたのが嘘のようだって」

「でも話の流れからして、そのきっかけって……ヨハンソン?」

「そう。絶対あの女が何かしたんだよ。本人は否定してるってかなんか悩み相談に乗ってくれただけだって言って。嘘吐けお前。坂の上から全裸で転がって来る女がまともに相談乗れるわけねーだろ」

「確かに」

「でも私がそう言ったら烏賊田くん怒っちゃって。ブスは黙ってろって。あの人はお前と違って容姿も心も美しいんだって。酷くね?」

「許せないね。でも今日で烏賊田くんのこと大分分かった気がする」

「まあ私はかわいいから烏賊田のバカが何言おうが関係ないんだけど、とにかく、私は私の女の勘って奴から、ヨハンソン危険だよって言ったの。絶対やばい妖怪だよその女。悩み相談なんて明らかに嘘だしどう考えても異空間で女になんかされてそんなことになっちゃったんだよ」

「私もそう思う」

「で、そうやって問い詰めると烏賊田くんなんて言ったと思う?それでいいじゃんって言うんだよ。今の俺は最高に生きる力に満ち溢れているって」

「開き直った」

「おかしいと思わない?そんな良い妖怪いるわけねー。豚に豪華な食事をたらふく食べさせて高級豚を作るようなもんでいつか絶対しっぺ返しが来るよ。でもそんな私の忠告も男子たち全然聞いていなくて何を思い出しているのか最後はみんないつも遠い目で恍惚した表情を浮かべてうわの空。私はああ、こいつらはもうダメだって思った。だから私、その女の事をローリング・ビッチって呼ぶことにした。良いネーミングセンスでしょ。通称ロリビ。巨乳っていうのも腹立つしね。ぜってー正体サキュバスだよ。サキュバスの亜種。今に精気、性器から吸い取られるんじゃね?」



      *          *          *



「ああっ!イクッ!ゆり!イクぞっ…。ああ!ゆり!あ、あ、ああっ!ああっ!ん゛ーん゛っ!」

 揺れる視界、ベッドの軋む音と鼻をつく性の臭い。そうだ。ここはラブホだ。ゆりは悠斗に覆いかぶされながら絶頂を迎えるそのむさくるしい声ではっと我に返った。そしてその瞬間自分の膣の中で悠斗の性器が熱く、大きく脈打っているのが分かる。……ふう。また私は悠斗としてしまった。いつからかゆりは彼に抱かれることがそれほど嬉しくないという事に気付いてしまっていた。けれど、悠斗がしつこく頼んで来て、結局うだうだ言っている内にホテルに連れていかれ服を脱がされているのだ。だから、彼女は今日も彼に抱かれながら完全にうわの空で、何故か蘭とこの前話していた幽霊についてずっと考えていた。

 ローリング・ビッチか……。でも好きでもないのにセックスに流されてしまう今の自分も十分ビッチだろう。蘭は悪い妖怪だって言ってたけど襲われた男子はみんな無事で、いやむしろ精神的に元気になって帰って来ているのだ。本当は妖怪でもなんでもなくてその正体は普通の生身の人間で、悩める高校生の相談に乗ってくれるただのエッチなお姉さんなのではないだろうか。

 ゆりは精液で汚れたところをティッシュで拭き取るとシャワーも浴びず下着をつけ、服を着て帰る準備をする。まだ陰茎を立たせたままの悠斗は「え、もう出るの?まだ時間あるけど」と言って引き留めようとするが彼女はとにかくここから去ってしまいたかった。「いや、もう帰る」とゆりが言うと彼は「そうか…」と残念そうに言って自分もパンツを履いて性器をしまった。まだやろうとしていたのだろうか。ゆりはそんなことを思うと男子の無限の性欲に呆れてしまう。

「ねえ悠斗、ローリング・ビッチ知ってる?」

 ゆりはなんとなく、あの噂について悠斗に尋ねていた。

「ローリング・ビッチ?なにそれ?」

「坂の上から転がり落ちて来る幽霊。男子の中で有名じゃないの?」

「いや、俺は聞いたことないなあ」

 ふーん、とゆりは思う。まあでも悠斗は私の彼氏なんだからそんな変な幽霊に浮気されても困る。………。本当にそうだろうか?ゆりはもうこの時すでに、自分が彼の事を好きかどうか分からなくなっていた。なんだろう。付き合ってみて逆に距離が離れたというか、私はもう放っておいて大丈夫だろう感が偶に彼から感じるのだ。あと他の女子と遊びに行き過ぎだし足も臭いし。

 ………やめろやめろ。これ以上考えるのは。何かに対する不満何て考えれば無限に考えられるって糸井さんがほぼ日で言ってた。彼女は自分の財布から三千円取り出すとベッドの上に置いて部屋を出ようとする。すると悠斗は「え、俺が全部出すのに」と言ってパンツ一丁でお金を返しに来るがゆりはそれをもらうと次が断りづらくなると思って「いらない」と言いすぐに部屋を出た。悠斗は一緒に帰ろうと言っていたが無視。はあ。これでしばらくは自分をセックスから遠ざけられる。私は忍者。ドロン。変わり身の術で三千円を人身御供にラブホから抜け出す。ゆりは疲れていたのか電車に揺られながらそんな意味不明なことを考えていた。するといつの間にか眠ってしまい、目が覚めた時には粟生駅という人が住んでいるのかもはや分からないほどのクソ田舎で、早くお風呂でこの穢れた体を洗いたいのに勘弁してよ自分、と自分に腹を立てる。



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 クソの臭いが立ち込めた狭く、日当たりの悪い路地裏。壁にはまるで蔦のように縦横無尽に錆びれたパイプが這い伸び、人工地面に出来た水溜りには違法薬物ZBRのジョイントが浮かんでいる。灯りはほとんど無く、所々にある「エビ剥き屋」「お前がボンレスハム」「エロ・モーテル」「おマミ」などの看板が無ければ昼間でも道は見えない。衛生環境はとても酷いもので、辺りはヨロシガムの包み紙や何かの皮、動物の死体、使用済みの注射器や不法投棄のガラクタで散らかっていて、裸足で歩けばクリーン隔離されて育ったカチグミたちなら病気になって死ぬだろう。 

 ここはコウベ・シティ。違法アパート群がひしめき合って出来たスラム街だ。

 草木も眠るウシミツ・アワー。その路地裏を今、わき腹にスリケンを受けて血を流した銀装束のニンジャが一人、必死になって逃げていた。

「フゥーッ!フゥーッ!フゥーッ!」

 彼の名はトランジット。コウベ・シティを治めるレジェンドヤクザ、マウンテンマウス・クランの幹部ニンジャだ。

 彼は何が起きたのか全く理解できなかった。自分のニンジャ第六感が逃げろと囁き、ゼロコンマで反射的に店を飛び出したから無事だったものの本当だったらキックで首を切断されて死んでいた。一体なんなんだあの赤黒装束のニンジャは。奴は確かニンジャスレイヤーと名乗った。そんなニンジャ、この辺りじゃ聞いたことが無い。ネオサイタマかキョート共和国から来たのだろうか。

 トランジットは自分がどうしてこんなことになっているのか考えた。俺はいつもの様に適当に入ったサケ・バーで散々無銭飲食したあげく、ミカジメ料を取ってしょうもないイタマエどもをカロウシさせようとしただけなのに。あいつは敵対クランからの刺客だろうか?いや、でもこの辺りでウチの組織に刃向って来る奴はいない。そんなことをしたらこの街で生きられないからだ。じゃあなんだあいつは。どうして俺は命を狙われているんだ?

 トランジットは逃げながら自分の脇腹の傷を手拭いで巻いてとりあえず止血する。連続バック転回避の最中にスリケンを命中させることが出来るニンジャがスリケニスト=サン以外にいたのか。あのニンジャ、只者ではない。彼は逃げながらニンジャ感覚で敵の様子を窺う。何!奴はまだ追って来ている!!この道は俺以外誰も知らないはずだ。たとえソンケイのあるオヤブンでさえも。だとすると、奴は血の臭いだけで追って来ているとでも言うのか?バカな!狂っている!あいつは猟犬かなにかか?

 そういえば奴は最初から狂っていた。トランジットはさっきの、サケ・バーでの切り結びを思い出す。イタマエの作ったニツケはおいしかったが俺は何となく文句を言って、するとその時の奴の反応が「アイエエエ……」しか言わなくてムカついたからケジメで指の一二本はへし折ってやろうと土下座させのだ。

 するとその時だ。突然そのイタマエが「イヤーッ!」と叫んだと思ったらあの、赤影色をしたニンジャに変身し、土下座の状態から後ろに手をついて足を振り上げ、それはまるで死神の大鎌のように俺の側頭部に迫っていたのだ。なんというアンブッシュ。いつの間にすり替わったんだ?俺は毎日センセイからカラテの修行をしてもらっていたから避けれたものの、ケツモチのニンジャ連中なら自分が死んだことにも気づいていなかっただろう。

 奴はまだ、俺を追って来ている。トランジットはこのままではマズいということに気付いていた。相手は確実に距離を縮めているのだ。あの時一瞬交わしたカラテの応酬。奴はひょっとするとオヤブン、いや、それ以上のカラテを持っているかもしれない。そんなことがあり得るか?いや、ありえない。じゃああいつは何だ?俺は幻でも見ているのか?

 いいや、それは現実逃避だ。俺を追って来ているのは幻なんかじゃない。現実だ。トランジットはそこでセンセイのコトワザを思い出した。「お前がそう思うんならそうなんだろう。いやマジで」。

 そうだ。あの死神のようなニンジャはちゃんと存在していて、俺を殺しに追って来ているのだ。

 するとその時、それを確信したトランジットは今までに感じたことのない、自分の脳のずっと奥にある動物的本能層、そこの使われていないはずの古のニューロンがぐにゅ、と蠢くような奇妙な感覚を覚える。なんだこれは?懐かしい……。けれど、この感覚は何だ?

 次第にトランジットは自分の足がもつれ、思ったように動かせなくなる。呼吸も乱れ、背中に何か透明の剣を突き立てられているような不安な気持ち。……不安?そうだ。自分は今、恐怖しているのだ。長らく忘れていた、生物的に遥かに優れたものにいともたやすく蹂躙されようとしている絶望の感覚を今、俺は噛みしめているのだ!

 その時トランジットは思い出す。赤黒のニンジャ、そのメンポに書かれていた冒涜的な「忍殺」の文字!!トランジットはあの忌まわしき二つのカンジから、底知れぬ無限地獄のような殺意、それは特に、自分らモータルを虐げるニンジャたちに向けられた圧倒的復讐心を感じた!!

 ……クソッ!トランジットは走りながら悪態をつく。このままじゃ殺される。奴はもうすぐそこまで来ている。どうすればいい。俺のカラテはどうだ?いいや、それはダメだ。どちらのカラテが上なのかは一発のキックを見ただけですぐに判断できる。まともに正面から戦っても死ぬだけだ。

 トランジットは考えた。どうすれば奴から逃げ切ることが出来る?幸い、こっちには地の利があった。まだ多少の時間稼ぎが出来るだろう。この間に考えろ!さもなくば死ぬ!そしてあるがままに抗え!俺はモータル共とは違うんだ。俺はあいつ等が大嫌いだった。何故なら、奴等はこしぬけだからだ。昔、表通りを歩いていたモータルの一家を気まぐれに惨殺したことがあったが、その時そこの一番小さいガキが、両親と兄弟を殺され自身も腹をぶち抜かれて瀕死の状態で、しかしそれでも俺を燃えるような血の滲んだ目で死ぬまで睨みつけていたことがあった。

 そうだ。俺は抵抗する奴等が大好きなんだ。あのガキはモータルの中でも生きる価値のあるモータルだった。俺は殺したことを後悔した。それは逆に言えば、自分の運命を呪ってうだうだ言ってる連中は生きる価値が無いと言うことだ。そんな奴等は容赦なく殺す。あのイタマエも絶対にカロウシさせてやろうと思っていた。それくらいあのイタマエはこしぬけだったんだ!

 よし。俺はもう、自分がどうすればいいのか分かる。

 反抗だ。今俺は、あの時のガキと立場が同じなんだ。俺がガキで、あの赤黒が俺だ。殺られる。それは間違いない。しかし、諦めるワケにはいかない。

 どうする。どうやって奴を殺す?そしてここで彼はまた、センセイのインストラクションを思い出していた。「カラテがダメならジツで殺せ」。

 しかし、トランジットはここで再び「クソッ!」と吐き捨てる。なぜなら彼のジツは、ノリツギ・ジツ。自分の好きな場所に瞬間移動できるジツだ。しかし、今彼がそれを使わず必死に逃げているのもそれには一分間のザゼン・メディテーションが必要で、それをしている間は意識を集中させるために全くの無防備状態になるのだ。あの猟犬に狙われている今、それを使うのは自殺行為だった。

 クソクソクソクソッ!一体どうすればいい!俺はどうすればいいんだ!トランジットは急に発作を起こしたように怒鳴り、八つ当たりするようにカラテで周りの壁を破壊しながら逃げた。そんなことをすれば自分の居場所はここだと言っているようなものだがもはや敵は彼のすぐ後ろに迫っていた。トランジットはさっき振り向いた時、あの死神がマフラーめいた血色の布をはためかせて追って来ているのを見てしまっていた。

 トランジットは考えた。ここが試練だと。自分はニンジャになってから今まで、こんなにも死の予感を感じたことはない。気を抜けばそれに足を取られ、何もできずに惨たらしく死ぬだろう。自分を追って来ている謎のニンジャにはそれをするという気迫があった。奴は奴の人生の中で一体何を経て来たのだろうか。何が奴を動かしているのか。そして奴は俺になんの恨みがあるのか。これはまさに災害だ。事故だ。運のない俺。死神の気の障ることをしてしまった。そして俺は今、生死を駆けた、運命のデッドヒートに強制的に参加させられているのだ。

 クソッ!トランジットはもう奴がすぐそこに迫っているのを見なくても分かった。イダテン・ニンジャとよく間違われるほど足の速い俺に追いつくなんてあいつはなんでもありか。明らかに身体能力で負けているのが分かる。ヤバイヤバイヤバイ。アイツは化物だ。ニンジャの殺戮兵器だ。トランジットは体中が震えた。考え始めた不安がもうどうにも止められなかった。足がもつれ、思わず前のめりで倒れそうになる。

 しかし、彼はそれをギリギリで踏みとどまると「イヤーッ!」と叫び、何故か、思い切り自分のスリケン傷に指を突っ込んだ!「グ、グワーッ!」彼の脇腹からまた鮮血が吹きだし、苦痛に顔を歪ませる。だが、おお、見よ!!

 トランジットは急に足を止めると、死神と向かい合い、彼のカラテを構えたのだ。彼は自分が恐怖に取り込まれて体が動かなくなる前に、痛みでそれを上塗りし、敵と対峙する勇気を奮い立たせたのだ。彼は自分に言い聞かせた。これはもうやるしかない!ああ、やるぞ!やってやれないことはない!俺はこしぬけじゃない。覚悟を決めるぞ!

 トランジットは敵を睨み、深呼吸した。死神はそのままスピードを落とさず突っ込んでくるようだ。今までの勢いをカラテに乗せて自分に叩き込むつもりだ。その双眸は紅蓮の炎に包まれて、この世のものとは思えないほどの狂気の殺意を纏っている。しかし、死の覚悟を決めたトランジットはもう恐れなかった。俺はやる。やるかやられるか。来るなら来い!!

 そしてその瞬間、トランジットの世界は急速に光を失い、いつの間にか死神は消え、自分は暗黒の中に落ちているのが分かる。周りを見渡しても何も見えず、自分の存在以外重力さえもここには無かった。それはまさに虚無空間だった。

 そしてトランジットは気付くと自分の頭上に強大な質量の光を感じる。眩しい、というよりとにかく重かった。その存在は彼に向かってこう言った。

「力を貸そう」

 そしてトランジットが何が起きているのか理解しようと努めている間に、その存在は自身の輝きを増して行き、彼のいる暗黒虚無空間が今や光で満ち溢れていた。「こ、これは……」。トランジットはその輝きのずっと向こうに、何か、門のようなものが見えた。そしてその瞬間、頭の中で再び光が囁く。


「貴様にこの大宇宙の真理を見せてやろう」

 

 その瞬間、目の前に溶岩のように熱を帯びた、殺人ブローが迫っていた。トランジットはそれをギリギリで躱す。そしてバック転で距離を取り、死神の動きが一度止まった所で隠し持っていた煙玉を投げた。

「ヌウッ!」

 死神はその意外な攻撃に一瞬身を引いてしまう。そしてまさに、トランジットはそれを見逃さなかった!彼はいつの間にか死神の後ろに回り、羽交い絞めにすると大ジャンプし、そのままキリモミ回転しながら大声で叫んだ!

「喰らえ!ニンジャスレイヤー=サン!パラドキシカル・ジツ!!!!!」



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「最近噂になっている幽霊について、なにか知っている奴はいるか?」

 

キンコーン、とチャイムが鳴って朝のホームルームの時間、担任の川崎は教壇に立つや否や急にそんなことを尋ねた。ザワつく教室。ごく一部のコミュ障とガリ勉を除いて、その話はここにいる全員が知っていることだった。

 ローリング・ビッチ。

 ついに学校が重い腰を上げたのか、とゆりは自分は全く関係ないという風に傍観的に思った。蘭の予想は当たっていたのだ。ここ最近、あの幽霊に出会ったと思われる男子生徒が次々とおかしくなって、学校を休んでいるのだ。烏賊田くんに見舞いに行った子の話によると、彼は両目があらぬ方を向いて口から常に涎を垂らし、性器を屹立させて「あはあは」「いひいひ」といつまでも笑っているそうだ。誰が何をしても反応を返さない。もはや廃人だ。彼に限らず他の男子もそれとよく似た状態らしい。

 ……全く馬鹿げた話だ、とゆりは思った。そんなの、エッチな男子が勝手に幽霊とヤって精気を吸い取られただけでしょ。知っていることを話せって言われても。むしろそんなこと言っていいの?と彼女は思った。不純異性交遊とかに引っかかるんじゃないだろうか。他の生徒もまたゆりと同じことを考えていて誰一人として口を割る者はいなかった。先生は一人で話を続ける。

「お前らも知っているだろうが、最近休んでいる奴等はみんなその幽霊に会っているらしい。俺は幽霊なんて信じてないが、生徒の欠席は事実だ。何か知っていることがあったら話してくれ」

 そう語る川崎はいつになく真剣だった。しかし、そのことについて話そうとする生徒はいなかった。黙り込んだままで誰も何も言わず、ただ時間だけが過ぎていった。すると川崎も諦めたのか「まあいい。思い出した時でいい。お前らもそんな変なのに近づくなよ全く……」と言って話を切った。

 しかし、そうやってホームルームが終わり、一限目の準備でガサガサと騒がしくなった教室で川崎は「あ、そうそう」と、思い出したように言う。

「藤田。あいつも今日からしばらく学校には来れないって親御さんから連絡が来た。誰か見舞いにでもいってやれ」

 先生がそう言った瞬間、ゆりの頭は一瞬真っ白になる。藤田。藤田悠斗。

 嘘、と彼女は反射的にそれを否定するが、それは嘘じゃない。先生がそんな嘘を吐くはずがない。彼女もそれを分かっていた。しかも、先週の金曜日、悠斗が急に学校を休んだことでひょっとして、と心の中で思っていたのだ。何人か、ゆりと悠斗の関係を知っている生徒が彼女の方を見た。しかし、本人はそれどころではない。どうして悠斗が。彼はあのビッチの霊に会ったということか?

 しかし次にゆりが思ったのは、悠斗はいつ彼女に会ったのだろうということだった。二週間前、ラブホで聞いた時には彼は幽霊の存在を知らないと言っていた。その間に出会い、そして襲われたのだろうか。

 けれど、と彼女が思うのは蘭の言っていた幽霊に会うために必要な条件のことだ。何かに思い悩んでいること。悠斗は何かを悩んでいたのか?しかし、様子を見ていてもこの二週間彼は特に変わった様子は無かった。休んでいるのは本当に幽霊が原因なのだろうか。ゆりは一応LINEで彼に「大丈夫?」と一言送っておく。後で果物か何かを買ってお見舞いにでも行くべきかもしれない。

 

 そして放課後、ゆりはいつも通り部活動のミステリ研究会に行って共用のノートパソコンで早坂吝の評論記事を書き始める。これは会誌「芳醇な知恵」の来月号に載せるもので締め切りが明日なのだ。しかし、まだ半分も書けていないというのに彼女は気が散って集中できない。どうしても気が乗らなかった。ゆりはそのままファイルを保存してパソコンを閉じると部室にあるソファに寝ころんでやる気が出るまで休むことにした。

 ふう。珍しく部室にはゆり以外誰も来ておらず、静かで気温もちょうど良くて彼女はとてもリラックスすることが出来た。耳を澄ますと外から野球部やサッカー部の掛け声、吹奏楽の音合わせが聞えてくる。窓から入る温かな春の日差しがとても心地よかった。

 ゆりは思わずうとうとして眠りそうになる。しかし、夜眠れなくなるのは嫌なので考え事をして眠気を紛らわすことにした。それはもちろん悠斗の事だ。

 最近、彼の事が分からない。自分が彼のことが好きなのかどうかも分からない。これは惰性だろうか。確かに彼に告白された時はドキドキしてしばらくの間自分のレイアーが一つ上の次元に行ったというかなんというか、浮かれた気持ちで何をやっても楽しかった。初体験もその間に済ましてしまった。

 彼はなにより優しかった。ゆりは、そんな現場は一度もなかったが彼は道端に捨てられた猫がいれば必ず救ってしまうほどの優しさがあると思い込んでいる。しかし、その優しさは、自分に対してだけではなかった。みんなに向けられたもので、彼女はそれが面白くなかった。別に自分だけに優しくして周りの女の子には目もくれな近づかない一緒の場所で息もしちゃダメだと言っているのではない。ゆりはこの前悠斗にあなたにとって私はなんなのかと聞いた。彼はその時は「ゆりは僕の大切な彼女だし君以外の女の子には興味ないよ」と言ってくれたのだがその言葉がすらすらと彼の口から出て来るのがまるで一つの口説き文句みたいで納得いかない。彼女がそう言うと彼は「そんな……」と言って「僕にだってどうすれば君に信じてもらえるのか分からないよ」と本当に困った顔を浮かべるので不満でありつつも罪悪感を彼女は覚え、なし崩し的に許してしまう。

 そういえばそれは一週間前の事だ。もしかして、その時彼は本当に悩んでいたのかもしれない。そしてそのままビッチに遭って襲われたのでは?もしそうだとすると完全に自分が原因だ。悠斗の気持ちが分からない、自分の気持ちが分からない、この分からないという気持ちが不安を呼んで、彼を責めたて、苦しめていたのかもしれない。ゆりはそんな自分に嫌気がさす。今度悠斗に謝るべきだと思った。

 すると、その時。ティコン、とスマホが鳴った。

 なんだろう、と思ってそれを手に取って見ると悠斗からLINEの返信が届いていた。

「いgあせyいgこぷcえええ」

 ゆりはそのメッセージを見た瞬間、知らない男に背筋を舐められたような得体のしれない恐怖を感じた。そして悠斗はやはり、あの幽霊に何かされていたのだという事をこれで確信する。

 そして、次の瞬間。彼女はソファから起き上がるとある場所に向けて一目散に走り出していた。このままじゃ悠斗は一生廃人だ。ビッチに精気を抜かれ、完全に腑抜けになっている。もしかするとあのメッセージは最期の気力を振り絞って送って来たSOSだったのかもしれない。ゆりは、烏賊田くんやその他の男子のために動く気にはなれないけれど彼はやはり別だ、と思った。彼を助けたい。そうして気付くと彼女は部室を飛び出して廊下を駆け抜け、オカルト研究会の門を叩いていた。すぐに中から蘭が出て来て「ゆり、どうしたのそんな急いで?」と尋ねる。彼女は言った。

「幽霊を、あのクソビッチを殺す方法を教えて」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「「喰らえ!ニンジャスレイヤー=サン!!!」」

「ヌゥーッ!」

 フジキドはもう既に三人のトランジットを爆発四散させていた。トランジットのカラテは一対一なら恐れるに足らないものだった。しかし、一人殺したと思えば再び新しいのが出て来てしぶとく襲い掛かってくるのだ。彼の呼吸は当然ながら乱れ始めている。彼はチャドーした。チャドーだ。チャドーの呼吸だ。スゥーッ!ハァーッ!スゥーッ!ハァーッ!このままではジリ・プアー。カラテのキレが落ちていることが自分でも分かる。

 一体奴のジツは何だ?彼は聖なる呼吸を絶やさず襲い掛かる敵の攻撃を躱しニューロンの速度で考えた。

 奴の使うパラドキシカル・ジツ。フジキドが分かるのは、あれは瞬間移動の類のジツだということ。奴に背中を取られ、暗黒武道アラバマオトシのようにそのまま飛びあがってキリモミ回転されると、気付くと自分は別の場所、そして夜がいきなり昼に変わったりすることから別の時間にも飛ばされているのだ。そしてそこに待ち構えているのは新しいトランジット。そうして奴は二人になって襲ってくるのだ。最初は二人で来ようが関係なかった。カラテの実力が上回っているので片方殺してもう片方を殺せばいいだけだ。

 一番初めにジツを喰らった時の事をフジキドは思い返す。いきなりワープしたと思ったらいつの間にか二人に増えたトランジットが急に襲い掛かって来た。それでも、一人目のトランジットはわざと土煙を上げて煙幕を張り、その中で殺した。しかし、フジキドがそっちに気を取られている内に土の中に潜ったもう一人のトランジットが背を向けた瞬間飛び出してきて再びパラドキシカル・ジツを発動させたのだ。そして気付くとまた別の場所にワープさせられていて、目の前にはジツを発動したトランジットと殺したはずのもう一人のトランジットが無傷の状態になって蘇り、再び自分に向けてカラテを構えているのだ。一体どこに自分はワープさせられているのか。ここは本当にさっきまでいたコウベ・シティなのか。奴の作りだした特殊空間なのではないだろうか。フジキドは敵の攻撃の正体が掴めなかった。

 そしてそのジツに対する違和感や得体の知れなさに集中を欠いてしまったのか、結局フジキドは計三回そのジツを喰らい、殺したトランジットも三人、そしてまた、今、目の前には二人のトランジットがカラテを構えている。彼は完全に相手の術中にはまっていた。頭上に浮かぶ髑髏めいた月もそれをあざ笑っているかのようだ。奴のジツは何だ?あと何人殺せばいい?

 するとその時。

「グググ。愚かなり。愚かなりフジキド」とニューロンの闇淵から地獄めいた声が聞こえる。

「ナラク!アレはなんだ、答えろ!」

「グググ。愚か!実にブザマなり。儂に今すぐ体を明け渡せ!」

「黙れナラク!」

「グワッハッハ。いいぞ。実にキンボシ・オオキイ。アレは百年に一度見るか見ないか。ネコニンジャ・クランのアーチニンジャだ」

 フジキドは敵の攻撃をニンジャ感覚で避けつつ、その悪魔じみた囁きに耳を傾ける。

「パラドキシカル・ジツ。それはこの大宇宙の修正力に逆らって世界線を移動するジツぞ」

「何?どういう事だ?」

「宇宙の真理よ。『もし』の世界は実は同時に存在し、重なり合っているのだ。そしてその別の世界に相手を引き込み、もう一人の自分と一緒になって戦うのがパラドキシカル・ジツよ」「どうすればいい?」「二人同時に殺せ。これは厄介なジツだ。ほらそこを見よ!奴の銀装束が少し違っておるのがわかるか?」

 フジキドは敵のメイアルーア・ジ・コンパッソとスリケンの面攻撃をブレーサーと側転フリップで防ぐと距離を取って相手の装束を観察した。すると確かにナラクの言った通り、奴の銀色の装束は一人はポケットが二つ付いていて、もう一方にそれは一つも無かった。

 そしてそれに加え、フジキドは今まで戦ったトランジットにも個体差があったことを思い出す。力が強いトランジット、背の高いトランジット。素早いトランジット。

「それが世界の差よ」とナラクは言う。「ポケットあり装束を選んだコワッパの世界とそれが無い装束を選んだコワッパの世界。フジキド、お前が相手にしているのは同じトランジットであり、違うトランジットなのだ」

「矛盾しているぞナラク!」

「矛盾ではないわ!それが宇宙の理。あれもまたフーリンカザンなのだフジキドよ。しかし喜べ!ネコニンジャ・クランはカラテが弱い。攻略は簡単だ。カラテだ。カラテあるのみ。二人殺せ。同じ世界でな」「ヌゥ……」

「隙を見せてジツを使われれば全回復の奴が出てくると思え。相手もそれを狙っているはずだ。何が何でもジツを使う気だ。当たり前だ。イクサが長引けば長引くほど奴にとって有利だからな。今すぐ殺せ。もう二度とジツを使われるな。それか儂に今すぐ身体を――」「イヤーッ!!」

 そうカラテシャウトを自分に言い聞かせるように、フジキドはいよいよ賭けに出ることにした。いくらネオサイタマの死神といえども手練れのニンジャ五人と連続でイクサするのは厳しい。疲労が明らかにカラテに出ている。フジキドは次の一撃でトランジットを殺害しようと考えていた。やはりそれは全方位無差別殺が出来るヘルタツマキがいいだろう。しかし、そのためには彼も致命傷にもつながり得るダメージを覚悟した。肉を切らせて骨を断つ、だ。フジキドは一度立ち止まり、目を閉じてひたすらチャドー呼吸をする。スゥーッ!ハァーッ!スゥーッ!ハァーッ!

 来る!彼は目の端で捉えた敵のジャンプ断頭キックをブレーサーでクロスガードした!そして彼は気付いていた。すでにもう一人の敵ががら空きの心臓を抉りに来ていることを!彼はチャドー呼吸をした。スゥーッ!ハァーッ!チャドーだ。スゥーッ!ハァーッ!

 そしてフジキドは全カラテを一度胸筋に集中させる。そしてその瞬間!トランジットの強烈な内臓攻撃がみぞおちに入った!しかし!ナムサン!トランジットの攻撃はフジキドのカラテに弾かれ、致命の一撃にはならなかった!

「バカな!」

 そして次の瞬間!ニンジャスレイヤーは片足を軸に高速回転!これは!ヘルタツマキだ!!致命を弾かれ尻餅状態のトランジットは次の瞬間目と鼻と口、そして全身に大量のスリケンが刺さる!「ア、アバーッ!!」そしてもう一人のトランジットも慌てて腕を交差させてガード。しかし、そこにスリケンの嵐を受けた!「グワーッ!」。最後に、二人は死神の作る鉄屑と砂煙の混じった旋風によって大きく後ろに吹き飛ばされた!!「「グ、グワーーーッ!」」。

 しかし、トランジットの執念もまた恐るべきものだった。彼はまだ諦めなかった。ジツだ。ジツさえ発動すればまた新しい自分の世界へ逃げ込むことが出来る。彼は素早く判断し、動いた。もう一人のスリケンまみれで瀕死の自分を肉壁にして嵐の中心へ向かう!ニンジャスレイヤーもそれに気付きひたすらスリケンを投擲する。次の世界に引き込まれれば今受けた傷や疲労から一対一でも相手に勝つことは難しいだろう。彼はその肉壁と、それに隠れた卑怯なニンジャに向けてスリケンを投げ続けた!「イヤーッ!」「アバーッ!」一枚のスリケンが当たるたびに敵の肉をケバブめいて削ぐ!

「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」

「アババーーーッ!サ、サヨナラ!!」

 盾トランジットは爆発四散!しかし、もう一人のトランジットはその時既に、嵐の目、死神の懐に入っていた。ナムサン!ついに彼を捕らえたのだ!なんたる血肉舞う狂気の沙汰の瀬戸際の攻防か!!

「ヘルタツマキ、破れたり!!」トランジットは死神を後ろから羽交い絞めにして動きを止める。

「グワーッ!シマッタ!!」死神はそのまま筋力抵抗し、何とかしてこのニンジャにジツを撃たせないように暴れた。しかし銀装束をすっかり血染めし、狂気を潜り抜けてきた強者のこのニンジャはそんなことでチャンスを逃すことはなかった。「ヌゥーッ!!」。そしてトランジットは勝ち誇った顔を浮かべ、そのまま高く跳び上がってキリモミ回転!!そして再び彼は大声で叫んだ!

「終わりだ!ニンジャスレイヤー=サン!無限宇宙の力を思い知れ!!!パラドキシカル・ジツ!!!!」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



『あなたの悩み、お待ちしております!湊川東高校生徒会☆』


 そう書かれたチラシを持ってやって来たのはまだ糊のきいたピカピカの制服をした一年生だった。野球部のモブキャラみたいに頭を丸刈りにしていてぽっちゃり気味の小柄の少年だ。彼は面接でもないのに緊張した様子で背筋を正し、声を張って言った。

「つ、津田直樹っていいます。あっあの、このチラシを見たんですけどぉ……」

「悩み相談だね。どうぞどうぞ」

 そう言ってゆりは彼を部屋に通した。津田と名乗ったその少年はコミュ障なのか彼女と目を合わさず「あっあっ、すみません」と言ってミーアキャットみたいにきょろきょろあたりを忙しなく見渡し、案内された椅子に座った。

 蘭と部長が少年の前に座り、ゆりが全員分のお茶を淹れて戻って来た所で自己紹介が始まる。

「はじめましてやな津田くん。僕の名前は加藤十九。生徒会の副会長や。今会長は出かけてるから君の相談は僕が聞くわ。それから、こっちのメガネが西川蘭。生徒会書記」「メガネって言うな」「で、こっちの彼女が臨時役員の福井ゆりくんや。訳あって今だけ手伝ってもらってる」

「あ、みなさん、よろしくお願いします」

 津田少年はそう言って礼儀正しく頭を下げた。加藤は笑い「そんなに固くならんでいいよ。リラックスリラックス。悩みがあるんやろ?」「あ、はい」

「ほら一口お茶を飲んで」と蘭も言う。「あ、いただきます」と言って少年は一口でお茶を飲み干した。喉が渇いていたのだろうか?ゆりは彼の湯飲みにもう一杯お茶を淹れてあげ、ひとまず空気が和んだところで加藤がさっそく本題に入る。

「ほな、君の悩みを話してくれるかい?」

 

 全く……。ゆりは今白々と悩み相談をしている加藤を呆れた目で見ていた。そして同じく彼とともに少年をなだめている蘭に対しても。

 そうだ。こやつらは生徒会ではない。ただのオカルト研究会だ。しかもこのオカルト研究会、通称オカ研は、部員が私を除いて彼ら二人しかいない学校一近寄ってはいけないとされる部活動だった。どうしてこいつらが生徒会を名乗っているのかと言うとそれには重要な理由があった。それがあのチラシ。霊を誘い出すためには悩める男子高校生を用意しなければならない。そのためにこのオカ研は生徒会を偽って相談募集チラシを作ったのだ。普通ならバレないはずがないが先月入って来たばかりでまだ右も左も分からない一年生なら騙せるだろうと加藤は考えたのだ。チラシはもちろん一年生にしか配っていない。今、そこで加藤と蘭に自分の悩みをぼそぼそ打ち明けている少年にゆりは罪悪感を覚えるが霊を倒すために仕方ない事だと自分を納得させる。

 あの時、悠斗を救う決意したゆりは、気付くとここに来ていた。彼女は蘭とは中学からの親友で、彼女には何か霊感のようなものがあることを知っていた。だから、単純に気持ちが悪いと忌み嫌われているオカルト研究会であっても蘭がいるという事実はいくらかの信用のようなものがあったのだ。霊に対抗し、成仏させる手段を、ここなら知っているのではないかと思ったのだ。そしてそれは当たっていた。加藤は言った。

「いいか、ローリングビッチは神話生物や」「神話生物?」「はっきり言ってしまえば、宇宙人みたいなもんや。いいか、この世界の誰も知らない所に、奴等は影をひそめて生きてるんや。そしてまるで江戸時代の忍者のように地球の裏側を跳梁跋扈し、いつかの神格の復活の日に備えて暗躍してるんや」

 ゆりは最初、そんな話は到底信じることなどできなかった。当たり前だ。そんなアニメや漫画みたいな話をすぐに信じてしまう方が人としておかしいだろう。それだけでなく、こんな宇宙人や神話がどうだとか言っている加藤を信じている蘭さえも、頭がどうかしてしまったのではないかと思ってしまったくらいだ。そしてそれは表情に出ていたのかゆりは加藤から「全然信じてないやん君。ええで。証拠を見せてやる」と取り出したのは一枚のDVDだった。加藤がデッキにそれをセットすると、モニタに映像が流れ始める。どうやら去年の夏にビデオカメラで撮った録画映像らしかった。

 そして、そこに映っていたのは恐るべき事実だった。場所はこの学校の体育館で、時刻は夜中の三時。撮影者は加藤で、蘭ともう一人この学校の女生徒の二人が画面に映っていた。加藤曰く彼女はこの事件の依頼者で、映像はオカ研が彼女のために怪しい友人を調べていて発覚したことらしい。

 画面にはバスケットコートよりも大きくホールいっぱいに描かれた魔方陣が映っていた。しかも、よく見るとそれは血で描かれているように見えた。ゆりは、それだけでも十分生理的嫌悪を抱くのに十分だったが、それよりも目を引くのは中央に山のように積み上げられた大量の動物の死体だった。それを見た女生徒は失禁し、顔面蒼白の蘭もカメラに背を向けるとエチケット袋を取り出し思いっきり嘔吐していた。それは彼女の霊感が最も高まった時に、いつも起きる生理現象だった。何よこれ……。ゆりは最初その映像を合成CGだと思った。しかし、それにしては役者が上手すぎる。女生徒は下半身をぐちゃぐちゃにしてガタガタと震え、蘭も全身汗だくになりながら目を閉じて深呼吸している。

 そしてその時、外から何か、煉獄にいる番犬のようなこの世ならざる叫び声が聞こえて来たのだ。カメラは外へ向かう。そして声の原因を映し出した!

 それは、大きな蹄にうねうねと蠢く触手が何本も束なった胴体を持つ、まるで、冥府の淵から蘇ったような冒涜的な暗黒の獣だった。地球の生物法則にあからさまに反していてその全身には獰猛な眼と鮫のような大顎がいくつもついていた。月光を吸収しているのか輪郭が朧げで上手くカメラに映らず、闇が纏わりついているかのようだった。

 ゆりはこのビデオを見て、それが現実だということを直感的に理解した。いや、理解したというよりもむしろ思い出したに近かった。それは人類の潜在的な記憶の底にある封印されし本能的恐怖だった。一言でいえば圧倒的生物格差、ミジンコが人間に勝てなないように人間がそれに勝つことなど出来ない。彼女が感じ取ってしまったのはまさにそれなのだ。

 録画はそこで終わっていて、彼らはそれからいろいろあってなんとかその化物を追い返すことに成功したらしい。奴は所詮眷属であり、対策を練ればどうにもならない相手ではないそうだ。問題は体育館の魔方陣の方。あれは邪神の召喚の儀式でもしそれが成功していたらそれこそ神戸の街が一秒で消滅するほどの脅威が降臨されていたと本人たちは語っている。

 その時までにはもうすでに、ゆりは彼らのことを信用せざるを得なかった。そして加藤は言った。あのビッチの霊もまた神話生物なのだと。

「名前は無い。ヴルトゥームって言う火星人の落とし子や。異次元空間で人間の精神力を吸い取って生きる」

「火星人って……。どうしてそんなことを知っているんですか」

「俺は小さい頃、親父の持ってた『死霊秘法(ネクロノミコン)』という本を読んでしまったんや。そこにはこの宇宙の真理が書かれてる。俺はそれを読んだせいで呪われていろんなもん失ったかわりに世界真実のそのほんの一部を知ることが出来たんや」「………」

 彼はその退散の方法も本を読んで知っており、後は奴を呼び出せれば自分がなんとかすると言った。なんて頼りになる男だ。ゆりは加藤を変人の三年生だと認識していたが少し見直す。「でも私もやりますよ。自分が言い出したのに加藤さんにまかせっきりは良くないです」。

「いや、そんなこと気にせんでええ。まあある程度は手伝ってもらうけど、本来ならそんな化物に関わるべきではないんや。これは俺の贖罪なんや……」

 

 

 気付くとゆりはそうやって、初めてここを訪れた時の事を思い出していた。するといつの間にか津田くんの悩み相談はもう本腰に入っていた。あ、やば。私も一応聞いておくべきだろう。いくら、ニセの生徒会と言えども見かけはまともに相談室しておかなければならない。彼女は慌てて耳を傾ける。

 どうやら彼の悩みは、隠れて一度だけシンナーを吸ってしまったというものだった。彼はその時の事を話してくれた。誰もいない家の裏庭で、隠れてビニール袋に溜めたそれを吸う。すると頭が何だかぐにゃぐにゃして来て全身が痺れて動かなくなり、とても怖くなったと言う。自分はこのまま死んでしまうのではないだろうか。少し吸い過ぎたのかもしれない。自分は本当にクズだ。救いようのない人間だ。頭ではそうやっていろいろ考えているのに体が全く動かない。精神と肉体が分離されたような気分になったそうだ。そしていつの間にか授業中の居眠りみたいにふっと意識を失って、気付いたら地面にうつぶせに倒れていたらしい。三時間くらい気を失っていたのか辺りはすっかり暗くなっておりいつのまにか降り出した雨で服はずぶ濡れ。倒れた時にぶつけたのか前歯が一本折れてそこから大量に血が出ていたらしい。

「りょ、両親の帰りはいつも遅いんです。だ、だから、なんとか階段から落ちたって言ってごまかすことが出来たんです。でももう二度とあんな思いはご免です。ちょっとした好奇心だったんです」

 それが先週の出来事らしく、でもシンナーには中毒性がある。津田くんは自分がまた再びそれを吸ってみたくなるのではないかと思うと怖くて眠れず、かといって誰にも相談できなくて藁にもすがる思いでここに来たそうだ。

「なるほど」と加藤は言う。「君はここに来て正解だ」。

「どうしたら、この不安を、なくならせる、じゃない、晴らす?ことが出来るのでしょうか」

 彼の悩みはとても深刻なものだった。薬物中毒か。そんなこと、ゆりは自分の人生には絶対に起こりえないものだと思っていたからそれについてなんと答えていいか分からない。そんなことしちゃダメだとかシンナーは人生を狂わせるとか、それはもう本人だって分かっていることだろう。そう考えると彼が薬物を吸ってしまうことがいいのか悪いのかさえ判断できない。というのもゆりはそれは「宗教はダメだ、人生を狂わせる」って言うのと同じような事じゃないだろうかと思ったのだ。薬物をやりたいなら勝手にやればいい。そして勝手に満足すれば……ってそれだと彼は相談しに来た意味がないのか。ゆりは彼の話を聞きながらそうやって考えてみたが、ありきたりな言葉以外頭に思い浮かばなかった。しかし、ただ一つ分かることは彼は運が無いということで、うんうんと頷いている加藤と蘭を尻目に少年に同情する。残念だけど、ここはオカルト研究会でこいつらは生徒会じゃないんだ。君はただ、ローリング・ビッチを釣るための餌になってもらう。そのためだけに騙され、君の悩みはここにいる三人全員にとってどうでもいいことなのだ。薬物中毒になりそうって言われても……まあ一回くらいならいいんじゃね?とゆりは思った。

 それから数十分。加藤たちは津田くんの話を頷きながら聞き、彼もそれでつい心を許したのか自分の両親の仲がものすごく悪い事、出来の良すぎる弟がいるなど自分がどうしてシンナーなんかに手を出してしまったのか、考えられるいろんな理由を赤裸々に話してくれる。その頃になればもうどもることも減って、ゆりは彼の湯飲みにお茶の五杯目を注いだ。そして彼が全てを話し終えた時、加藤は言った。

「今日の夜十時半、再び学校に来てくれんか」

「え、それはどうして……」

「君に見せたいものがある」

 そう加藤が言うと、さっきまで調子よく喋り続けていた津田くんの顔が曇る。

「それはひょっとして……幽霊、ですか…?」

 その言葉を聞いてゆりはあ、やっぱり一年生もあの噂の事を知っていたのか、と思う。実際被害に遭っているのは二年生がほとんどで、それは一年生はまだ入学したばかりだし三年生は受験勉強でそんな変な噂で盛り上がっている場合じゃないからだ。けれど、恐らく担任の川崎がしたように一応全校生徒に注意喚起がされたのだろう。これは見落としていた。知っているとなると彼をその時間、その場所に連れ出すのは難しい。どうやって彼を説得しようか。するとここで、蘭が口を開いた。

「あらま、君あの噂信じてるの?霊とか怖い人?」

「え」

「いや、普通に考えて幽霊とかいないでしょ。本気で出ると思ってるの津田くん」

「え、あ、いや。僕も本気で信じてる訳じゃなくて……」

「かわいいー」

「え、い、いやかわいいとかじゃなくて……だって先生が…」

「あっはっはっは」とここで加藤が明らかに嘘の笑い声をあげる。

「え、どうして笑うんですか?」

「いやいや。幽霊とか信じるタイプなんや津田くん」

「いや僕だっているとは思ってませんよ。でももしいたら怖いじゃないですか。実際今日先生が、霊のせいで何人かの先輩が学校を休んでいるって聞きました。そんな所怖いですよ普通に」

「ふっふ。そうや。君の言う通りや。僕が見せたいのはまさにその幽霊なんや」

「どういうことですか」

 と津田くんは驚きの声を上げるがそれはゆりもだった。何言ってんだこの人。彼はもう計画を正直に話して一緒に来てもらおうと頼むつもりなのだろうか。

 しかし、加藤は急にこんなことを言い出す。

「その霊ってのはな、薬の売人のことや」

「売人?」

「せや。君はどこまでその噂について知ってるんや?」

「え、えーっとそれは……」

「前転する全裸の女」

「あ、はい。それは、聞いてます。あ、えーっと僕が聞いているのは夜、十時くらいに男子生徒を襲う全裸のヨハンセンの霊ってことだけです。あ、そうです。その霊に追いつかれるとどこかに飛ばされてしまうというのも知っています」

「襲われた人はみんな帰ってきていることは知っているかい?」

「え、そうなんですか?」

「幽霊に会うとどこかに飛ばされる。けれど、彼らはそのあと普通に帰って来てるんや。そんでそれから数週間後、急に体調を崩して学校を休む。先生らが騒いでんのは別に彼らがいなくなったからやない。霊に関わった生徒が次々と学校に来られへん状態になってるからなんや」

「そうだったんですか……」

「だからね、津田くん」

「あ、はいなんでしょう」

「君は少しピュアすぎやね」

「ピュアですか?」

「そうや。よく考えてみ。霊なんているわけないやろ」

「いや、僕だってそんなのいるとは思ってませんよ」

「そうやろ?常識的に考えたらそうやん」

「はい」

「でも火のない所に煙は立たず。そういう何かがいることは確かや。つまり何が言いたいかというとやな。幽霊の正体は薬の売人やと考えてみ」

「………。あ、もしかして、休んでる方はみんな薬物中毒で…」

「まさしく。多分コードネームかなんかが幽霊とかヨハンセンとかなんやろう。霊の正体はいつの時代も、所詮そんなもんや」

「なるほど……。それなら確かに辻褄があう…。先生も言ってた。被害者の生徒は何も話そうとしないって……」

「せやろ。話せる訳ないねん。だってドラッグしてんねんから」

「確かにそうです…」

「で、そこでな、最初の話に戻って来るんや。なんで僕は君をそこに行かせようとしたのか」

「………どうしてでしょうか?」

「君にお願いがあるんや」

「お願い?僕にですか?」

「そうや。いやー実はな、君がここに来てくれたことに僕はなんか運命のようなものを感じてんねん。それはな、偶然今日僕の知り合いが夜あそこに行って幽霊と会ってくる言うんや。つまり薬を買うって事」

「はあ」

「君にそれを止めて欲しいんや」

「え」

「さっき話を聞かせてもらって僕は本当に運がいいと思った。僕はピンときた。君なら彼の気持ちが分かると思うんや。僕もここにいる二人も、薬なんてやったことないからその気持ちが分からんのや。でもこれは同時に君のためでもあるんや。シンナー中毒に苦しんでいる君が、同じ薬物中毒のそいつと話して、そこで自分の本当の気持ちが分かると思うんや。だから今日の夜、奴を止めて欲しい」

「そ、そんなこと僕には……」

「君なら出来る。いや、君にしか出来ん。シンナー中毒が怖い。君はそう言ってくれた。それをそのまま、ありのままの自分をドラッグに手を出そうとするあいつの前で言ってやってくれ」

「そんな勇気は……」

「ここに来て薬物中毒の相談をする。そんな勇気のある奴は君くらいのもんや。普通なら怖くて出来ん。大丈夫。自分を信じろ!」

 その長時間の加藤の説得により、ついに津田くんは今日の十時半にあの坂に行く事を決意してくれる。加藤の真っ赤なウソにゆりは呆れてものが言えないが、そんな事を言う権利には自分には無いしむしろ自分は彼に感謝するべきなのだ。蘭も上手くいったと胸を撫で下ろしている。津田くんは自分たちにもついて来てほしいと頼んできたがそれはもちろんそうするつもりだったので安心したようだった。

「その友人さんに会うのはいいんですけど、売人が怒って襲って来たりしませんかねえ」

「大丈夫や。僕らもいつでも飛び出せるように隠れているしそもそも奴は、こっちが一人の時しか現れへんからな」



 彼が一旦自分の家に帰った後、ゆりたちは戦いの準備を始めた。今は午後五時。約束の時間まであと四時間以上ある。まずは灘区にある加藤の家に行って退魔に必要な道具を取って来ることにした。

 彼の家は石造りの塀に囲まれた豪邸で、しかしそんなに広いのに住んでいるのは加藤だけだそうだ。「両親は死んだ」と彼は言っていた。

 ゆりたちは庭の奥にある蔵から注連縄やお札などの退魔の道具を引っ張り出して来る。それらが壊れていないか念入りにチェックした後、加藤は家の書斎に彼女らを案内し、休憩も兼ねてローリング・ビッチについて知っていることを教えてくれる。

「あの霊はヴルトゥームの落とし子。要は火星人や」

 そう言って彼は汚い垢まみれの本を取り出すと、あるページを開いて見せてくれる。それは英語によく似た別の言語で書かれた本で、そのページには全裸の女性が男の人に馬乗りになっている絵が描いてあった。

「人間を異次元空間に引き込んで精気を吸い取る変態ヤロー。これはラテン語で、ここに書いてあるのは奴の出生、外見的特徴、能力、そして退治の方法や」

「退治の方法……。そんなことまで書かれているんですか」

「ああ。昔の偉いアラブ人が書いたらしいけど、俺も詳しくは知らん。親父にこんな本ばかりを読まされて俺は育ったんや」

 そして加藤はその化物の記事を訳して読み上げてくれる。

「ヴルトゥームの落とし子。普段は火星に生息しているが何らかの方法で地球に来訪した神話生物。神格であるヴルトゥームの地球侵略のために影で眷属を増やしている。人間の雄の精神力を吸い取って繁殖する為、外見は美しい全裸の女性となっている。火星との重力差の影響か立つことは出来るが歩く事は出来ず、男を見つけると意味不明な速さで前転して追いかけてくる。対抗策は、その回転を止めること。なぜなら、彼らは精神力を人間から引きずり出すために自分たちの生み出す特殊空間にまず引き込む必要があり、その空間の創生に超次元の回転が必要だからだ。火星とは違いヴルトゥームの加護が受けられない地球において、空間の超越には物理法則を超えたスピードになるまで回り続ける必要がある。その性質上彼らは坂の上などに出没することが多い。しかし一度それを止めてしまえば物理的な力は人外にしては小さい方なので弱点の火ですぐに焼き殺せる」

 ゆりはローリング・ビッチの正体が恨み深い霊のイメージが強かったためにその話を聞いて驚く。「火星人…。霊じゃなかったんですね」。

「霊なんておらん。漫画の読み過ぎや」

「いや火星人も一緒だと思いますけど……」

 するとここで蘭が「でも回転を止めるってどうするつもりなんですか加藤さん」と訊く。

「それはこれよ」

 そう言って加藤は部屋を出て行くと、ズルズルと何か重量のあるものを廊下から引きずってゆりたちのいる部屋まで持って来る。それは縄のぐちゃぐちゃに絡まった巨大な何かだった。

「縄……?これでどうするんですか?」

「ただの縄やない。見ろ」

 そう言って加藤がその塊の一部をほぐしていくと、どうやらそれは一つの大きなネットの様に見えた。しかもその大きさは相当なもので、全部広げれば事件現場のブルーシートくらいになりそうだった。

「よく忍者が使うやろ。あれや」

 加藤が言うにはこの縄の一本一本に、敵の力を奪う特殊な魔力が込められているらしい。 

「あの坂にこれを設置して、その上から迷彩シートを被せておく。で、獲物が上から転がってきたらテニスネットみたいにこれを展開させて奴の動きを止めるんや」

 加藤が言うにはネットの両端はそれぞれ坂の途中の電柱にくくりつけておくので、やるべきことは、相手が転がって来た瞬間にネットを持ち上げて敵を包み込むという作業だった。

「誰がそれするんですか」と蘭。「君らに決まってるやろ」「え~加藤さんはどうするんですか」

「僕はその化物の動きを弱める呪文を唱えんとあかん。しかも燃やすんもせなあかんし。それくらいはやってもらわんと」「うーん。分かりました」

 ゆりも確かに全部を加藤に任せて自分が高みの見物をするのはおかしいと思っていたのでそれに文句は無かった。

「けど加藤さん」とゆりは訊く。「相手は一人じゃないと出て来ないんじゃなかったですか?私たちが坂のところに潜んでいたらダメじゃないですか?」。

「俺は坂の下で待機しておくから大丈夫や。見られる心配はない。君らも電信柱の影があるから隠れられるやろう。なんせ相手は転がって来るんやからあからさまに坂の上にいたらまずいけどある程度隠れてたら分からんはずや」

「まあ……確かに…」ゆりは彼のその作戦に少し適当な感じもするがまあこれはやって見ないと分からないだろう。出て来なかったらまた別の日に別の方法で呼び出せばいいだけだ。

「今から仕掛けても通行人の邪魔になるし、十時になったら設置しよう。津田くんが来るまでそのまま待機や」

「じゃあ彼に私たちが柱の陰に隠れているって言っておかないと」と蘭。

「確かにそうやな」

「あ、でも迷彩シートとかネットとか、津田くんにはなんて説明するんですか。夜で視界が悪いとは言え踏んだら誰でも分かりますよ」

「そうですよ」とゆりも言う。津田くんが坂を上って行く時に迷彩シートの違和感に気付いてそこで一悶着あっても困る。しかし加藤は「君らも心配性やな~」と言って全然気にしていない様子だった。

「もし彼がネットの違和感で立ち止まったら君らが陰から声かけて背中を押せばええんや。そこはなんとかしてくれ」

「え~加藤さん適当」と蘭が言う。

「適当って言うか、まあ適当やけど多分彼も緊張してそんな場合やないと思うで。しかもネットは坂の途中に設置してる訳やしそこに行くまでに上から奴が現れるかもしれんやろ」

 それは確かにそうだった。今からそんな事を心配しても意味が無い。津田くんの役目は霊を呼び出すことだ。それが成功すれば私たちが彼に対して吐いた嘘が全部バレたってかまいやしないのだ。

「よし。準備はええか?他に質問は?」

「無いです」とゆりは答え、蘭もそれに頷く。

「向こうまで三十分かかるから九時になったら出発や。これ運ぶのも結構大変やからな」


    *          *          *

 

 電車から降りてゆりはほっとする。仕事帰りのサラリーマンやOLから異様に大きいネットやシートを三人がかりで持っている高校生は奇妙に映ったのだろう。彼らの視線がとても痛かった。

 しかし、そんなことを気にしていてもしかたがない。ゆりたちは改札をなんとか抜けると目的の坂まで通学路を歩いた。流石に部活もとっくに終わっている時間帯なので誰ともすれ違わずに済んだ。みんな緊張しているのか考え事をしているのかあの蘭さえ何も言わず静かに三人の足音だけが響く。すると歩きながらゆりはあることに気付いた。

「そう言えば加藤さん」

「なんや」

「ローリング・ビッチに襲われた人ってその場で精気を吸い取られてませんよね。一度みんな元気になって帰って来るじゃないですか。あれはどうしてなんですか?」

「それは普通に考えたら分かるやろ。一度精神力を最大限にして一番上手い時に喰らうんや」

「あ、やっぱりそうなんだ…」「ほら私の言った通りでしょ」と蘭も満足そうな顔をする。

「でも精神力って人の心の問題ですよね?霊、ってかその宇宙人?が増やしたりできるんですか?」そうゆりが訊く。すると加藤は

「あ?そんなん知らんわ」と言い、なげやりな感じで「エッチなことしたか人生相談したかじゃないん?」と答えた。「いや両方の可能性もあるか。ヴルトゥームのエッチなお悩み相談室。いやそれは違うか」。

「そんなこと出来るんですね。意外」ゆりは思った事を口にした。すると加藤は

「いやいや。ゆりちゃん、君は一つ、勘違いしているようやな」と言う。

「え、何がですか」

「君は人間にしか知能が付いてないとでも思ってるんか?」

 ゆりはそれを聞いて一瞬言葉の意味が分からなかったがよく考えてみると、あ、そう言えばそうなのかも…と思う。

「火星人も人間と同じように知能がある。それはみんなそうや。地球にいる動物もや。みんなちゃんと考えて、行動している訳や。人間から効率良く精神力を吸い取るためにはどうしたらいいか。奴等は考えたんやろう。そしてしょうもない事で悩んでる男を一回励まして、それで元気にして精神力を増大させてからいただく方がいいって思い付いたんやろうな」

「なるほど」

「相手は思考パターンをプログラミングされたロボットやないんや。油断してると死ぬぞ」

 

 そしてそうやって話しているといよいよ問題の坂までやって来る。ゆりは、いつも登っているが改めて見ても傾斜がきついと思った。一番下からは坂の頂上が見えず、その向こうの黒いカーテンのような空が広がっている。幅は約五メートルくらいで狭く、右を廃病院、左をマンションと、谷のように壁で高くなって挟まれているので上から転がられると逃げ場がない。奴にとっては絶好の狩場だろう。

 ゆりは時刻を確認した。今はちょうど十時。灯りは少なく、闇は深い。この辺りは空き地が多く静かで風で揺れる草木の音しか聞こえなかった。自分たちの話し声が普段よりもずっと大きいと感じる。彼女はその夜に、どこか不気味さを感じていた。それは自分たちが今からやろうとしていることから来る不安だろうか。空を見上げると星は一切見えず、代わりに不気味に笑う満月が自分たちを見下ろしていた。彼女は少し怖くなってきた。この時彼女が思い出していたのはあの加藤のビデオでみた触手の化物だった。あんな生物がこの世に存在しているなんて。しかも今まさに自分たちはそれらの仲間と戦おうとしているのだ。ゆりは思わずネットを握る手に力がこもった。手汗が止まらない。彼女は今すぐここから逃げ出したい気分になってきた。今なら引き返せる。蘭と加藤さんにそう言えばいいだけだ。自分はそもそもオカ研じゃないのだ。こんなことをする必要は無い。津田くんだって無駄に危険な目に遭うだけだ。頭の中に蘇る化物の映像。思い出しただけでゆりはあの気持ち悪さに鳥肌が立つ。

 しかし、その時彼女が思い出したのは悠斗のことだった。そうだ。私は彼を助けるためにここまで来たんだ。彼のために私は今重たいネットを持って加藤という変な男と蘭と一緒に化物を退治しようとしているのだ。私はそこまで彼のことが好きなのだろうか。でも、そんなことをするなんて好きじゃないととてもできない事だ。

 緊張して心臓がバクバクする。これはどっちの緊張だろうか。悠斗への愛、それとも化物への不安?ゆりには分からなかった。

 自分は分からないことが多すぎる、と彼女は思った。まだ高校生だし、と言うのはもはや通じない。なぜならあと二年すれば大学生になってそのまま二十歳を迎え成人になるのだ。あの時加藤が霊の正体を火星人だと断定した時のように、自分も自分の周りに起こるいろんな出来事について分からないと言って逃げるんじゃなくて判断できるように努力するべきなんだ。そうだ。私は分からないという言葉に逃げている。分からなければいいってもんじゃない。ゆりはそこまで考えた時、じゃあ自分はどうするべきなのかを考えた。でも、それはまだ良く分かっていない。けれど逃げちゃダメだ。自分の頭で考えろ!動け!

 そうしてゆりは、今、自分に恐怖に立ち向かう勇気が少し出たことを感じる。確かに怖い。それは当然だ。けれど、やってやるぞという気持ちも同時にあった。仲間の存在がとても頼りになる。彼女は絶対にあのビッチを捕まえて腑抜けになってしまった悠斗、そして烏賊田くんを含める多くの男子の敵をとってみせようと思った。

 彼らはテキパキ準備をした。電柱は坂の中腹に二本あった。しっかりとネットの端をそれに括り付け、地面に広げて敷き、そのうえから迷彩シートで完璧に隠す。加藤の作戦はとても良くて、遠くからじゃそこにあるのを知っていても存在を疑うほどネットを隠すことが出来た。転がっていたら絶対に分からないだろう。

 もうすぐ、約束の時刻だ。

 加藤は「いいか、奴は絶対に来る。隠れてよく見ておくんや。そして奴が転がって来た瞬間、二人でネットを持ち上げて被せる。力はいらん。電柱に括り付けてるんやからな。声を掛け合ってタイミングを合わせてもいい。いつまでも隠れている必要は無いんや」

「了解」蘭もゆりもそう答える。いよいよ緊張してきた。後五分もすれば津田くんがここにやって来るだろう。自分たちが隠れていることは既に彼には伝えてある。後はやるだけだ。

 十時半になった。そろそろ津田くんが来る頃だ。ゆりは電柱に隠れながら坂の上を見る。まだ誰もいない。遠くで何か動物の鳴き声がするが、それは飼い犬か何かだろう。自分は上手く隠れられているのだろうか。誰かに上から見て確認してもらいたいと今更思う。しかし、もうそんな時間は無い。

 今、下の方からザッ、と小石の軋む音が聞えた。ゆりも向こう側の電柱にいる蘭も、首だけ捻って振り返る。そして津田くんと目があった。彼は律儀にもちゃんと時間通りここにやって来たのだ。頑張れ!ゆりは親指を立てて彼に声援を送った。彼はそれを受けてひょい、と頭を下げて礼をした。顔が引きつっている。やはり相当緊張しているようだ。

 そして彼はそのまま坂を登って来てゆりたちの用意した迷彩シートの所に足を踏み入れる。津田くんはあからさまに不自然なその感触から一度そこで立ち止まり、ゆりの方を見る。ゆりは気にするな、と口パクで言って彼を行かせようとする。しかし、津田くんは納得できなかったのか今度は逆の蘭の方を見た。けれど、反応は同じで彼は疑問に思いながらも仕方ないのでそのまま歩きだし、しぶしぶ坂を登って行った。後ろで三人が胸を撫で下ろした。

 そして彼がまだ半分も登っていないくらいで、ゆりも蘭も柱の影からそっと見守っていたその時。

 蘭が何かを感じた。思わずその場にしゃがみ込み、口に手を当てて今にも吐きそうだった。津田くんがそれに気付いて足を止めた。しまった、とゆりは思った。この役を彼女にやらせるべきではなかった。彼女は人外の存在を感知しやすい体質で、常人のなんとなく恐い、と思う気持ちが文章を読むみたいに生々しいイメージとなって彼女を襲うのだ。それは耐え難い嫌悪感となって全身が拒否反応を起こし、激しい吐き気をもたらす。ゆりは今すぐにでも彼女の側に駆け寄りたかった。そんな状態でネットを持ち上げることは出来ない。どうしてあの時断らなかったのか。自分の事は自分が良く知っているはずなのに。

 しかし、蘭は強かった。そのまま屈んでいくつか深呼吸すると立ち上がり、ゆりに向かって笑顔を見せたのだ。そしてそのまま口パクで「来る!」と言うとまるで狩人の目つきになって坂の上の存在に備えた。

 そうだ。ついに来る。それはもはやここにいる全ての人間が気付いていた。津田くんはそれ以上坂を登れなくなり、決して前から視線を外さず、ゆっくりと後ずさっている。ゆりも明らかに変質した空気を肌で感じた。姿はまだ見えない。けれど、脳がうずく。これが恐怖なのかどうかも分からないくらい、感情が高ぶっている。

 落ち着け自分。ゆりは再び足元にあるネットの位置を確認した。そして蘭と目を合わせる。自分のやるべきことをやれ。私はあの化物を倒す。そのためにどうする。津田くんは今やゆりや蘭の所まで引き返して来た。けれど、彼はもう十分だ。彼は役目をしっかり果たしてくれたのだ。ここでビビって私が失敗すれば彼は他の男子と同じようにどこかで精気を抜かれてしまうだろう。しっかりしろ、ゆり!やることは単純だ。何か転がってきた瞬間にこれを持ち上げるだけだ。

 そして気付くといつの間にか、坂の上には乳丸出しのブロンド女が立っていた。肌は月光に照らされて青白く光り、やはりどこか人外のような雰囲気を纏っている。ゆりたちに気付いていないのかいやらしい目つきで津田くんだけをまっすぐ見つめていた。

「で、でたあああああああああああ!!!」

 津田くんは彼女に背を向けると全速力で坂を下って逃げる!するとブロンド女はすぐに身体を地面に張り付くように沈めるとクラウチングスタートのように足を蹴り、坂道を転がり落ちてきた!!

 それは確かに物凄い回転力だった。髪の毛がプロペラのように金の残像を残し、地面に体が着くたびに物凄い前方への運動エネルギーを生み出す!人間がやると地面の石やとげで肉が削れ、血まみれになるだろう。回転によって空気が裂け、こぉぉォォォという低いうなり音が鳴る。それはまるで逃げ惑う獲物をあざ笑う声に聞こえた。

「今よ!」

 ゆりはその声で気付く。自分は一瞬あの化物の速さに頭が真っ白になっていたことを。そして彼女は足元にあるネットの端を思い切り持ち上げたかと思うと、その時もう既に、化物は網の中だった。まるでパチンコのようにネットは展開し、電柱の支えによってその進行は止まる。ネットはもうギリギリまで引き延ばされていた。そして、恐ろしい事にその中の化物は、未だに回り続けていた!

「捕まえた!」ゆりはそう声を上げていた。「観念しなさい!」と蘭も言う。

 そしていよいよ加藤が出てくる。彼はいつの間にか神主のような白い着物を着ていて、経を唱え、左手に持った鐘を鳴らしながら坂道をゆっくりと登って来る。

「いーみょーむーろーじゅーろー、なーぬーへーはーしーにー」

 チーン、とまるで仏のような顔で彼は鐘を鳴らした。

 化け物はまだ、ネットの中で回転し続けていた。このままこれを破って飛び出して来るのではないかと思うほどまだまだ勢いよく回っている。

「いーみょーむーろーじゅーろー、なーぬーへーはーしーにー」

 加藤はついに、その回り続ける化物の目の前までやって来た。

 そして経を唱えるのを止めると懐からスピリタスを取り出し、回り続ける化物に浴びせる。よく燃やすための聖水だ。しかし、回転が液体を弾き、それは逆に加藤の方に全部跳ね返っていた。こんな状態でもまだ諦めない化物の執念は恐るべきものだ。ゆりも傍目から見ていてその動きが止まるとは到底思えなかった。だが、それでも加藤はスピリタスをかけ続けた。すると不思議なことに、回転速度が、徐々に落ちているではないか。彼は容赦なくかけた。かけ続けた。その内、顔や乳房などの身体の特徴が分かるくらいまで回転速度が落ちていた。これならいける。ゆりも蘭も、加藤もそう思った。そして加藤は次に、ジッポライターを取り出した。そしてアルコールまみれの自分に気をつけて慎重に点火し、もう片方の手で印を結び、

「ス――――――――――――ッ、セイ!!!!!!!!!!」

と叫んでジッポを投げようとしたその時。

 化け物が、再び超高速で回転し始めた。それはライターを弾き返し、加藤は逆にそれを受けて燃え上がる。

「うああああああああああああ」

 すぐにゆりと蘭は駆け寄って彼から服を脱がした。難を逃れ落ち着きを取り戻した彼は「クソッ!どうなってんねん!」と悪態をつく。

 いつもの加藤が戻って来たが、それは作戦の失敗を意味していた。

「これはまずいな……」そう加藤が見つめているのは化物を受け止めているネット。回転の摩擦によってそこから煙が上がり、物凄い勢いですり減っているらしかった。

「ゆり、蘭、今すぐ逃げろ!」

 加藤はそう叫び、再び鐘を取り出してお経を唱え始める。しかし、ゆりはその場から動けなかった。どうして?どうして化物は回転を止めないの?それは本当に、恐るべき執念だった。何が何でも回転を止めないという執念が、自分たちの意志より上回ったのだ。ゆりは足腰に力が入らず、思わずその場でしゃがみ込んでしまった。加藤がお経を唱えながらも「はよ行け!」「みんな死ぬぞ!」「ここは俺が食い止める!」と言っているが彼女は歩けなかった。向こうにいる蘭も化物の狂気を間近で感じ、さっきから四つん這いになって吐き続けている。

 もうダメだ。ゆりはそう思った。彼女は何とか這いつくばって坂を下ろうとした。もう完全に腰が抜けていて足が動かないのだ。

 ブチンッ!!

 その時、後ろで嫌な音がした。振り返るとついに、ネットから化物が飛び出して加藤に思いっきり体当たりする!彼はそのまま弾き飛ばされ坂を一番下まで転がり落ちて地面で頭を打って気絶した。

「ユルサネェ…」

 拘束から抜け出した化物から、そんな声が聞えた。怒り狂った鬼のような声だった。ゆりは、その方を見た。化物、そのブロンド女と目が合う。煮えたぎった怒りに満ちた双眸が、ゆりをその場に氷漬けにした。彼女はもう動けなかった。化物はそのまま地面を蹴って何故か上に飛び上がった!そして星のない空、笑う月を背後に空中で回転し、そのまま速度をどんどん上げていく。あたりに竜巻が起きるほど、まるでドリルのような残酷な音をたてて化物は回転し続けた。そしてもはや残像が残像を残して時と空間が交錯し、エネルギーが障壁から溢れかえったその瞬間!!化物はそのままゆりに向かって体当たりするように高速落下したのだ!!

 ……どうしてこうなった。一体何が問題だったんだろうか。ゆりは自分に向かって流星のように落ちてくる化物を見ながらそんな事を思った。それは完全に死ぬ前に見ると言われている走馬灯だった。

 私たちの作戦は、全て上手く行った。完璧だった。なのにどうして。化物のこの執念は何なんだろう。本当にこれは何だ?意志を実行する力とでも名付けようか?私たちは完璧に化物をハメた。けれど、最後に敗れた。勝ちたかった。私は、自分の大切な人を守りたかった。それは向うで苦しんでいる蘭や、倒れて動かない死んでいるかもわからない加藤、そして悠斗のことだ。もう後悔しても遅いけれど、なによりも悔しい。カラテの差で負けたのだ。カラテだ。カラテさえあれば…。

 ………カラテ?

 私は今何を思ったのだろう。空手って言った?空手がどうしてここで出て来るんだ。それが強かったら素手でこの化物を殺せるとでも言うのだろうか?

 そしてその時、ゆりの耳、鼓膜、そしてその向こうにあるニューロンの奥底で、何か言葉が聞えた。

「終わりだ!ニンジャスレイヤー=サン!無限宇宙の力を思い知れ!!!パラドキシカル・ジツ!!!!」

「ヌゥーーッ!だがオヌシの思い通りにはさせん!イヤーーーーーッ!」

 その瞬間!ゆりの頭上に、化物と同等、いや、それ以上の回転力を持った赤黒と銀の嵐が起きた!そしてそれは落下しつつあった化物と衝突し、その接触点で、まるでもう一つの宇宙が生まれたかのような黄金の輝きを放った!!!

 黒い硝子が割れたような、爆音と光が神戸の街に轟く!そしてそれが消えたと思うと、この坂道の上、ゆりの目の前には、体中が焼けただれ今にも死にそうなブロンド女、頭が270度回転して鼻や口から血を流した銀色の忍者、そして、憎悪のような紅蓮を纏った狂気の忍者が向かい合っていた!

 そして次の瞬間、ブロンド女は爆発四散!しかし、後の二人の忍者はそれに全く動じない。二人は初めから、そんなものはいなかった風に睨み合い、相手の出方を窺っている。

 大きな満月の下、二人の忍者が向かい合い、その間を坂上から風が駆け抜けた。

 ゆりはまるで夢でも見ている気分だった。何がどうなってる?彼女はそのあまりの展開に思考が何一つ追いついていなかった。

 そしてついに、死神、とも言うべき、血色の装束を着た忍者がカラテを構え、そして口を開いた。

「ニンジャ殺すべし。慈悲は無い」

 それはまさに、地獄を駆けてきた真の男の言葉だった。ゆりはそれを聞いた時、魂が、震えるのが分かった。忍者を殺す。それはとても恐ろしい事だ。自分の今の感情、それは恐怖だ。しかし、それだけではない。それは心の飛躍、意志の無限大の広がりだった。彼女はカラテを感じた。そして心の底から自分もそれを求めた。そうだ。カラテなんだ。


 二人のニンジャは睨み合い、まるで石像のように動かなかった。お互い深い傷を負っていた。ニンジャスレイヤーが明らかにもう動けないであろうトランジットにとどめをささないのは、ジツを警戒しているからだ。

 ニンジャスレイヤーは言った。

「勝負はついた。トランジット=サン!」

「バカな…。俺のジツが……一体何が起きた…?」

 トランジットは何が起きたのか何も理解していなかった。それはそのはず。読者の方に、ニンジャ動体視力をお持ちの方がいただろうか?もし持っていたとしてもそれは完全に無駄だ。ここにいる全ての人間、それはニンジャスレイヤー本人でさえも何が起きて今こうなっているのか分かっていない。誰も何も分かっていないのだ。

 パラドキシカル・ジツ。それは回転し、自身の周りに空間の歪みを作りだすことで重なり合った別の時空にワープするという恐るべきジツだ。あの時、トランジットは勝利を確信し、確かにジツを発動させた。だが、それが発動する寸前、ニンジャスレイヤーはジツの本質、空間の歪に気付いたのだ。しかし、体勢上ジツを止めることは出来ない。そう判断したフジキドは賭けに出たのだ。止められないその代わり、敵の回転力を利用し、あえて自分から高速回転した。これはつまり無限螺旋力を発生させ、物理世界をオーバーヒートさせたことに等しい。

 そう。それは宇宙の法則を超えていたのだ。二人のニンジャが生み出した回転エネルギーはこの大宇宙にあり得るべきではなかったのだ。

 それは平衡世界を超えて別の回転を引き合わせることとなった。それがこの世界、神戸の街のローリング・ビッチだった。一体どれだけの世界線を移動してしまったのか。それは誰にも分からない。ただ、宇宙の修正力が、二つの無限の回転を衝突させ、打ち消したことは明らかだった。そんなことが起きるのか。しかし、それは起きてしまったのだ。もしかするとローリング・ビッチとは、この世界のトランジットだったのかもしれない。そうだとすると、この今起きた現象にかりそめの理屈をつける事が出来る。だが、本当の事は誰にも分からない。全ては大宇宙の真理。邪神のただの気まぐれに過ぎないのだ。

「ア、アバッ……」

 トランジットは口から大量の血を吐く。それは銀装束に滲み、敗者の色に染まる。

「ま、まだだニンジャスレイヤー=サン。宇宙の、宇宙の真実を…」

「そうか。そんなに真実を見たいか」

「な、何を」

「イヤーーーーーッ!」

 その無慈悲なカラテシャウトが放たれた瞬間、トランジットの両目に鋼鉄の星が二つ、深々と突き刺さっていた。「ハイクを詠め!トランジット=サン!」。

「俺は…こしぬけ……じゃねえ……。サ、サヨナラ!!!」トランジットは爆発四散!塵となって夜風に吹かれて消えてなくなる。ゆりたちのいる坂道に立つのは、瘴気を吐き、ザンシンするニンジャただ一人だった。

 ゆりは彼と目があった。しかし、目の前の忍者はただなにも言わず彼女に背を向けると坂道をゆっくりと登って行く。そしてしばらくするとどこからか0と1の風が吹き、それは彼を乗せて闇に溶ける。

「ニンジャ……殺すべし…」

 何故かゆりはその言葉を呟く。本当に何かの災害の様に去っていた忍者。

 忍者。果たしてあれは忍者だったのだろうか。ゆりには分からなかった。カラテ……。カラテとは何だ?ゆりはさっきまで自分はそれを知っていたはずなのに、もはや思い出せそうにない。まるで脳をハッキングされたような気分だった。

 ゆりはまず倒れている蘭と加藤に駆け寄る。幸い二人とも気を失っているだけだった。よかった…とゆりは思った。そしてその瞬間、どっと疲れが押し寄せて帰る前に自分もここで少し休もうと思った。坂道に仰向けに倒れ、そのまま目を閉じる。

 風の音が聞える。何か植物の音、動物の鳴く声が聞こえる。

 化物は去り、忍者も去り、ゆりの心には一抹の寂しさが残る。



      *          *          *



 それから一カ月後。ローリング・ビッチに襲われた男子がみんな元気になって登校してくる。医者もどうして急に元気になったのか分からないそうだがオカ研とゆり、そして津田くんの四人はその原因を知っている。

 そう。とゆりが思い出してちょっと面白いのはあの後津田くんはオカ研に入ったらしい。自分は完全に騙されてあんな目に遭ったのにどういう風の吹き回しだろうか。けれど、ゆりはあの二人を信用しているので止めることはなかった。むしろこれから頑張ってほしい。だって彼らは自分を犠牲して夜な夜ないろんな事件を解決しているんでしょ?私はごめんだ。そんなことをするほど私は正義感とかそんなのないから。

 そしてゆりはついに、悠斗と別れることを決意した。

 学校の屋上で彼を呼び出し、「ごめんね」と一言。すると悠斗はその意味を理解したのか「え、えぇ~~」とショックを受けて凹むがそんなものにはもう騙されない。

「いや、そういうトコだよ」 ゆりはそう言い捨てると彼を置いて校舎に戻る。

 この時すでに、発覚していたことで悠斗は実は、ヤリチン野郎だったのだ。蘭の協力もあって分かったことだが彼はゆりの他にもいろんな子に手を出していたのだ。そしてそれはあのローリング・ビッチにもだった。どうやったのか聞きたくもないが無理矢理悩みを作りだし、あの女に会いに行ったのだそうだ。いつか、ラブホでゆりがその噂について知っているか聞いた時、嘘を吐いていたのだ。その二週間くらい前には既にビッチと会ってエッチな事をしていたのだ。もうそこまで来ると逆にゆりは感心した。しかし感心はするが軽蔑はする。最後、別れ際に一言、「この変態性欲ヤロー!」。ゆりはそう吐き捨てるともう二度と悠斗と喋らない事を決意した。

 でも内心それは少し残念というか、彼女は本当にこれで良かったのだろうか、と思う時がある。自分で決めた事だしもう自分は分からない、と逃げるのを止めたのだ。自分の道は自分で決める。 

 そしてそんな時、いつもゆりの耳にあの言葉が蘇るのだ。とても力強く、残酷で、そして悲しいあの言葉が。

「ニンジャ殺すべし。慈悲は無い」

 ゆりはそれを偶に呟いている。そしてあの時の血にまみれた地獄戦士を思い出すのだった。

「ニンジャ殺すべし」とゆりは言う。

「ニンジャ殺すべし!」

「ニンジャ殺すべし!!!!!」






「ザ・ローリング・ビッチ・バスターズ」完

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