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no title


友と呼ぶには遠くなってしまった人が逝った。

送り主は賀状でしか見たことのない配偶者の名。

既知の名はモノクロの葉書の裏に記され、定型文の中に差し込まれたその名が上滑りして見えた。

時が止まるとは、こういうことを言うのかと思った。



過去の賀状を見返して送られてきたであろう葉書。

送り主とこちら側には何の接点もない。

関係性を説明するべき間に入る人はもういない。

縁が一つ切れたことを見知らぬ人が知らせてくる空虚感。

こんな風に思うのは、たぶん不謹慎なんだろうが・・・

言葉を掛ける相手が居ない・・・と思ってしまった。



少し前に、音信不通になっていると言う話は耳にしていた。

数年前、知人経由でLINEを聞かれたことがあった。が、アタシは断った。適当に誤魔化しておいてくれと。

同級生という括りの中にはいた、近くに住んでいるという括りの中にはいた・・・それらをすべてひっくるめてなお疎遠になった相手。

今更何を話す?と。

あの時、連絡先を交換していれば彼女の最期を知れたのだろうか。

アタシは、知りたいのか?



返信が返って来ない。連絡の取りようがない。と言う話も夏ごろに小耳に挟んだ。

返信をしたくない何か理由があるのだろうから、そっとしていた方が良いんじゃないかという話をした。少し痩せたという噂も聞いたから、病に臥せっていたのかもしれない。ご時世もあるし・・・

話したい相手がいれば、どうにか連絡を取っただろう。本人の意思で。それがなかったということは、そういうことだと言うだけ。

が、いなくなったという連絡は来る。見知らぬ人から突然に。




ふと、アタシは嫌だと思った。

預かり知らないところで、自分が居なくなったことを人に告げられるのは・・・。


賀状の連名を外してくれと旦那に言った。アタシの見知らぬ人にも連名で出される賀状。随分前から違和感を持っていた。

随分前に個人的には出さなくなった賀状。

習慣で続けている旦那の賀状に載るアタシの名。

アタシ自身が繋ぎたいと思っている縁ではないところに載るアタシの名。

連名を辞めて欲しいと伝えた。

アタシの名などあってもなくてもかわりないんだから。


分かった・・・と数年前は却下されたことが今年通った。

ただ

俺も喪中ハガキは出すけどな・・と。


アタシはそれが嫌だと言っているんだけどな・・・。




友と呼ぶには遠くなっていた人が、さらに遠くに行ってしまった。

ご冥福を祈ると言うのも何か違う気がして、何も浮かばない。

だって、言葉を掛けるべき相手がもういないのだから


切れていた縁が今更にぶった切られるって・・・どうよ・・





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