英語を学ぶべき理由、実はそうでもない理由
ちょっと前に、日本の英語力の低さに関してFacebookで下記のような投稿したことがありました。
いつも、日本の英語力の低さは危機的と言ってますが、単にすごい低いよという意味ではなく、低すぎて「国として危機的な状況」なんですよね。しかし、英語が分からない、というか英語を遮断する人が圧倒的多数で、その人達は海外の生の情報に触れることが無い。だから、日本がどれだけ遅れ始めているか実感が沸かない。
それでも日本はコンテンツとして優れたものが「まだ」多く残っていて、熱烈なファンが世界中にいる。英語ゼロの人達はそうした日本大好き外国人しか目にする機会が無いし、テレビでもそういう人達しか紹介されないから、日本は世界から大人気と思ってしまう。
しかしビジネスの面では、どんどん存在感が薄くなってきている。一応まだ経済規模は世界3位で、大企業が現金を大量に抱え込んでいるから、そのキャッシュを狙いに来る会社はまだまだいるけれど、日本の将来性を期待している会社とは会ったことが無い。
若者に向けて英語を勉強した方がいい、あまり話せなくても、できるだけ海外旅行(特にアジア)に行った方がいいという話をするのは、早いうちに日本がどれだけ危機的状況かを実感して、実態を知った上で自分のキャリアプランを考えた方がいいから。日本の大企業で終身雇用というのは現実的では無いので、他の選択肢を早目に知った方が有利だから。英語が話せないどころか、自分でメールすら打てないIT音痴が経営する会社に未来は無い。
地球温暖化とかの問題もそうですが、社会全体がその危機を実感する頃にはもう手遅れなので、特に学生は今すぐにでも行動に移った方がいいと思う。ほんと、今の日本は江戸時代末期とすごく状況が似てるので、そこら辺の歴史も少し学んでおくと色々と参考になると思う。
最後に、私は「日本は終わった、海外に行こう」という発想ではなくて、「日本国内で完結する時代は終わった、海外にも目を向けて広い視座で考えよう」と思っています。自分を日本人ではなく地球人として捉えることが大事。そのために英語は必須だよね、という話です。
思った以上に多くの方から、共感するといったコメントを頂いたので、同じように感じている人はけっこういるのだと思います。
英語を学ぶべき簡単な理由は、上にも書いた通り日本国内で完結する時代が終わったから。日本にいるとあまり実感が湧きづらいのか、未だに「これからはグローバルの時代」などというぬるい言葉をメディアで目にすることがありますが、グローバルの時代はこれから来るものではなく、世界はもうとっくにグローバルな時代、物事を基本的に地球規模で考えるべき時代に入っています。そのような世界で必要となるコミュニケーションツールが英語なわけですね。
日本には、もはや別言語かというレベルで言葉が違う地域がありますが、そういった地方出身者が他の地域の人達と会話する時に使うのが標準語です。そして、殆どのテレビも本も、標準語ですよね。もし、方言が強烈な街の住民が頑なに標準語を取り入れることを拒んだら、その人は同じ街の住民としか交流できないし、ニュースも新聞も分からないので自分の地域の外で何が起こっているのか知ることもできない。当然、その街でしか仕事ができないし、外から来たお客さんと接することも難しい。英語を覚えようとしない、英語の情報をシャットアウトするというのは、それと同じです。
もう少し感覚を掴みやすくするために、スケールを合わせて例を出してみましょう。日本の人口は世界人口の1.6%で、GDPは世界第三位。これは、およその感覚として、日本の人口の1.8%が住む、政令市市内総生産第3位の名古屋市のようなポジションです。名古屋弁はそこまで標準語からかけ離れているわけではないですし、名古屋の方の気質がどうこうという話ではまったく無いので、あくまでスケール感ということは強調しておきます。
さて、人口や経済の規模の観点で日本スケールで考えた時、名古屋の住人が標準語を一切話そうとせず、標準語の情報には見向きもせず、名古屋の中のことにしか興味が無かったらどうでしょうか。確かに、街の規模も大きいですし、普通に生活するには十分ではあると思います。独特な食文化や娯楽もあるので、文化的な暮らしも別に問題があるわけではありません。しかし、だからといって名古屋以外のことを一切気にしないで済むわけではないことは、容易に想像がつくと思います。
さらに言えば、名古屋に限らず日本全体が、人口減少と高齢化という切実な問題を抱えており、20年、30年もすると、目に見えて人口が減り、空き家が増え、経済は今以上に停滞します。GDPの世界ランキングも10位以下にまで落ちている可能性が極めて高いです。そのような状況で、いつまでこの小さい国に閉じこもっていることができるでしょうか。海外に目を向けて、海外の情報に耳をすませ、海外の人と積極的にやり取りしていくことが、今後間違いなく衰退していく日本という国に住む我々にとっては、大変重要なことなのです。
その一方で、ここまでさんざん英語だ英語だ言っておきながらも、実は英語というスキルそのものは、そこまで重要では無いと思っています。というのも、近年の目まぐるしいAIの進化で、自動翻訳の技術が凄まじいスピードでレベルアップしており、おそらくあと10年もすれば、90%くらいの会話はほぼリアルタイムでAIが通訳できるようになると思います。テキストの翻訳に関しては技術はさらにずっと進んでいて、現時点ですでにたいていのWEBサイトは機械翻訳でおよその内容が理解できるレベルにまでなってきています。
これだけ英語が大事だと言っておきながら何を今更と思う方もいるかもしれないですが、本質的に大事なのは道具でしかない言語の習得ではなく、その道具を使ってどうするかだということです。車の運転は運転そのものが目的ではなく、運転できるようになることで生活を便利にすることが目的です(運転したいだけの人も中にはいるでしょうが)。英語も同じように、英語を話せること自体が目的ではなく、英語を使って海外の人や情報に触れることが目的です。なので、AIが通訳・翻訳をこなしてくれるようになれば、道具でしかない英語を自力で覚える必要はありません。
要するに、私達にとって本当に大事なのは、道具でしかない英語を覚えることそのものではなく、まず第一に日本以外の国に興味を持つこと。日本は決して世界から隔離されているわけではなく、地球という大きな枠組みの1ピースでしかないことを意識すること。そして、私たち個人個人が、日本という小さな枠組みを越えて、世界の一員であるという観点で物事を考えて行動すること。それが、現代社会においては欠かしてはいけない感覚だと思うのです。
このテーマは幅が広すぎるので、ビジネスや教育、エンターテイメントやカルチャーなど、どんな方向にも深堀りすることができますが、今日のところはこの辺で。
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