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OHDAIジャーニー【第6話】 鴨台盆踊り、東北を生きる-南三陸スタディツアー編④- <第14回鴨台盆踊り>

【編集・執筆】表現学部表現文化学科4年
   第14回鴨台盆踊りSA
   番場 彩愛
【執筆】高塚 悠里、森成 光輝
田中 直行、小栗 明弥

第14回鴨台盆踊りー異風動々ー、7月5日(金)、6日(土)に開催!(詳しくは公式サイトや各種SNSをご覧ください)

第14回の特集連載テーマは「OHDAIジャーニー」。「大正大学・大正大学生にしかできない盆踊り」から「大正大学・大正大学生と共に創る新しい盆踊り」を目指し、東日本大震災の被災地である南三陸町での研修や能登半島地震被災地である七尾市でのボランティア活動、高校生・他大学・他団体との連携活動の様子などを紹介します。

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”未来を拓く”大川小学校

こんにちは! 鴨台盆踊り実行委員会です。今回は<南三陸スタディツアー編>最後の回となります! 南三陸スタディツアーでは、災害や防災を自分事化することを目標に私たち鴨台盆踊り実行委員会は南三陸町を中心とする被災があった建物などを訪問しました。そこで今回の記事は、2日目に訪れた石巻市震災遺構である大川小学校について紹介します。

大川小学校について

大川小学校は宮城県石巻市に所在する公立小学校であり、開校は1873年で当時の名前は桃生郡釜谷小学校でした。1985年に大川第一小学校と大川第二小学校が統合され、大川小学校と名を改め現在残されている校舎が完成しました。

2011年に発生した東日本大震災では、当時の全校児童数108名に対し74名の児童と10名の教職員の尊い命が失われました。大川小学校には8.6mの津波が押し寄せ、校舎には津波の跡が多く残されています。


活動内容

大川小学校では大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さんからお話を伺いました。佐藤さんは石巻市立大川小学校6年生だった次女のみずほさんを震災で亡くしています。大川小学校の校舎の周り、教室、校庭、体育館、体育館の裏の山、を歩きながら、震災前と後の町の様子、学校の様子、大きな犠牲者を生むことになった避難の裏側を、当時の様子を思い浮かべながらお話してくださいました。

その後は大川小学校の隣にある大川震災伝承館にて、震災後の大川小学校の様子や大川を舞台にした映画の話をビデオを使いながら紹介してくださいました。佐藤さんにとって、辛く、悲しい過去にも関わらず、「未来を拓く」ために私たちに語ってくださいました。

佐藤さんのお話を伺った後は伝承館の展示物を自由に見学しながら、大川小学校で起きた出来事にそれぞれ向き合いました。
自分の命を守る行動をするために、事前に避難の判断をしておくことの重要性を学びました。


窓も扉もなくなり、剥き出しになった教室

印象に残ったこと

今回初めて当事者の方から話を聞き、震災のリアルを精緻に感じることができました。

あれは1・2年生の教室のまわりを半周ほどした時でした。柱に植物のツルのようなものが7〜8本巻き付いており気になったので近付いてみると、それが鉄骨だということがわかりました。「金属がこんなにも曲がるものなのか」と驚いたと同時に、津波に対する恐怖を感じました。

伝承館で大川小学校が封鎖される前に撮られた小学校の内部の映像を見たとき、撮影者がある教室に入り壁の方にカメラを向けた際に、心なしかファイルを持った佐藤さんの手に一瞬力が入ったように見えました。その3秒後くらいに佐藤さんが「私の娘の名前です」と言い、映像は壁フックの上に貼ってあるシールに近づいて行きました。偶然タイミングが合っただけなのかもしれません。しかし、私はどうしても偶然とは思えませんでした。佐藤さんは今でも亡くなった娘さんの生きていたという証を追い続けているのかもしれません。

そして最も印象に残ったのは壁画です。壁画はくすんだ色の校舎とは対照的に、青や緑や赤など何種類もの色で彩られていました。壁画には「未来を拓く」と書いてあり、そこに人がいたということを表すとともに、ここから新しく始まるということも表しているというふうにおっしゃっていました。震災で起きたことを後世に伝え続ける、そして私たちにも未来のために大川小学校で得た知見を伝えていってほしいと強く訴えかけていました。

大川小学校の写真

ここでは実際に撮った写真を掲載します。

大川小学校の裏山にある歩道。
実際に白い線まで津波が到達しており、山の中腹まで津波が来たことが分かる。
1枚目で紹介した裏山の歩道を進んだ先から見た大川小学校全景。
当時はここからもう少し上の地点で授業も行われていた。
崩壊した校舎と体育館をつなぐ連絡通路。
東日本大震災以前はガラス張りの通路になっており、行事があるたびに飾りつけも
されていたという。

個人所感

番場 彩愛
今回初めて南三陸スタディツアーに参加し、初めて被災地に行き、実際に被害にあった現場を見ながら、遺族の方のお話を伺う貴重な機会をいただきました。

話を聞くだけでも辛くなってしまうような内容を語り部の方は実際に経験し、未来の被害を防ぐために私たちに語ってくれる。そのありがたさを感じながら自分たちもまた、聞いたお話から学んだことを実践し、周りに伝えていかなくてはならないと強く感じる合宿でした。

正直今までは自分の住む家の防災マップを見て、安全圏だから平気だと、それでも被害に遭ったらその時は自然相手だししょうがないと、諦めようと思っていました。しかし今回のお話で、生き続けることで伝えられることがあるということを知りました。死なないための行動をするための判断を今しておくべきだと実感しました。

今後は今ある避難経路・防災マップを疑い続け、自分のためにも大切な人のためにも死なない行動ができるよう、対策を考え続けようと思います。

高塚 悠里
私は今回の南三陸スタディツアーを通して初めて被災地に行き、実際に現地の方々からお話を聞くという貴重な経験をさせて頂きました。

実際に被害に遭った大川小学校の建物を見ながら語り部である佐藤さんのお話を聞くことで改めて被害の甚大さを再確認すると共に、このようなことは二度と起こってはいけないと強く実感させられました。

佐藤さんは東日本大震災当時は女川町にある中学校の教員をされていたということで、実際の被災地の様子だけではなく教員側の目線でもお話されていたのが印象的でした。私は現在教職課程を履修しているので、教員は生徒の命を預かっている、守らなければいけないという意識を改めて持つことが出来ました。

今回お話を聞けたことを機に、自分の防災意識について見直しこれから何か災害が起きた際には自分から率先して動けるような人になりたいと思います。

田中 直行
私は被災地に訪れたのが3度目でした。1度目2度目は「ただ見て感じた」だけでした。しかし、今回は「聴く」事も出来て、あの日のことをより色鮮やかにイメージが出来るようになり、もっと真面目に向き合おうと思いました。

私は、このツアーで希望に触れました。死を感じました。自分が黒い波の前に立っている想像をしました。流される母の姿のイメージが浮かびました。そんな未来は御免です。より絶望の少ない余生を送るために、過去の痛みをしっかり受け止める覚悟ができました。しっかり受け止めて活かす。それが今、生きれている我々の使命であると感じました。

森成 光輝
私は今回の南三陸ツアーで初めて東北という地域を訪れまた初めて宮城県に訪れました。震災という負のイメージとは対極に南三陸の方々はとても明るくそして活力に溢れている人たちでいっぱいでした。私が今回の南三陸ツアーに参加して出会った人達は一人一人が自分の役割というものを見つけその役割を果たそうとする人たちでした。その一人に大川小学校で語り手を務めていた佐藤さんでした。彼もまた自分の家族を失っているのにも関わらずそれを後世に伝える伝道者としての使命を背負っているようでした。南三陸の人はそんな活気に満ち溢れた人が多くいました。

この生活を当たり前と思うのではなく自分にも起こりえることであること、そして多くの人が亡くなったこの震災を風化させないことが大事だということを学びました。そしてこれからの私たちの震災意識にも繋げていけるようにしたいと考えます。

小栗明弥
これまで小学校・中学校・高校で何度も学んできた防災訓練。知識として学んではきましたが、実際に自分に起こり得る事であると認識しながら訓練を受けたことは1度もありませんでした。しかし、そんな私の考えを大きく変化させるほどに今回のスタディツアーで見聞きしたものは学び深いものでした。

中でも特に学び深かったのは大川小学校の語り部の方の「一般住民は自分の意志で避難するしないを決定できるが「学校」というコミュニティに属している子供達は自分の意志で逃げたくても逃げることができない」というお話し。

自分が東日本大震災発生時に小学校で先生の指示の通りに行動していた記憶とリンクし、「自分が当時大川小学校の生徒であったとしたら」と考え防災対策の重要さを自分ごととして考えることができました。

私の学科での取り組みに今回のスタディツアーでも行った「ダークツーリズム」が活かせると考えられるため、今後も南三陸のこれからについて積極的に目を向けたいと思います。

おわりに

大川小学校への訪問を通して、実際に被災された状況を見ることや、お話を聞くことでしか感じることのできなかった震災のリアルを知り、防災意識を高めることができました。

窓も扉もなくなり、剥き出しになった教室、津波で崩壊されてしまった連絡通路、そんな光景を見ながら、震災前の小学校の運動会の様子などをお聞きし、他と何も変わらない平和な日常に突然、恐怖と絶望が訪れたのだと実感しました。

そして逃げる時間も場所もあったにも関わらず、「学校」という場所で多くの命が失われる結果となってしまったのは、最悪の事態に備えていなかったこと、事が起き、混乱の最中に避難の仕方を考え始めたことに原因があると深く感じました。

事前に命を守るためにはどんな行動が必要か、考え、判断しておくことの重要性を学びました。

決してメディアなどを通してでは聞くことも感じることもできない緊迫した状況を、実際の光景とともに見たのは私たちにとって非常に大きな経験となりました。

そしてあの日のことから目を背けないという佐藤さんの熱い思いもここでしか聞けないものでした。

命を最優先にする。そしてあらかじめ震災が起きたとき自分はどうするか決めておく。この二つのことを肝に銘じておこうと強く思います。

そして大川小学校がこれから「未来を拓く場所」になることを心から願っています。


南三陸スタディツアー編終了!

これまで<南三陸スタディツアー編>として南三陸で行われた研修旅行の様子をお届けしてきました。実際に被災地に足を運ぶことでしか得ることのできなかった学びや、南三陸の魅力、あたたかさを感じることができ、より一層だれかのため、地域のために盆踊りを成功させたいという思いが強くなりました。

今年度の第14回鴨台盆踊りでは「能登半島地震被災地復興祈念」を理念として掲げています(後の記事で能登半島ボランティアの様子をお伝えする予定です)。能登半島地震で被災された方を想いながら、自分たちができることは何か考え、盆踊りを通して形にしたいと思います。

さて東京を飛び出てあちこちへと展開している鴨台盆踊りですが、次回以降の記事では学内での活躍の様子もお届けします! お楽しみに!

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