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2023年を振り返る(part1)

(誰やねんこれ)
皆様、日々のドローゲームお疲れ様です

本職がポーカーになりました

odaです

さて、今年も年の瀬になりました。(書き終わりは1月中旬というパラドックス)

帰省の電車といえばnoteの書く時間です

ということで、ポケカ→ポーカーに転換した昨年一年間を振り返っていきたいと思います。

第1章 🚀、爆誕

まず1月


なにしてんのこの人たち

約300日後に婚約する人とは思えません(おめでとう)

ポーカーに少しずつハマっていった時期でもありました

特に、「種切れないのいいわ〜」って思ってました

また、どれだけ自分がポストフロップ(三枚開いた以降の事)弱くても、「オールイン」がエクイティ(ハンドが持つ勝率)を実現でき、初心者でも勝てる要素がある所がいいゲームだと思ってました(初並感)

(つい昨日、初心者の方で大体ターンでどんなスタックでもオールインしてくる人いて、めちゃキツかった、オールインは強い(確信))

ただ、この頃は自分の🛰っぷりを自己で認識していなかった時代でした


(宇宙猫と調べると少しだけ幸せになれます)

コネクターはオフスートでも全て入るし、10以上の2枚なら3betだろうが横コールだらけやったと記憶してます

そしてそれがたまたまうまく行ったのが去年の2月

いわゆる、オールイン負けない男の誕生である


番長とは同卓した(AAで飛ばした)(自分がハゲてないことを確認できて良かった)

本当に負けない。ヘッズまで相手をなぎ倒すかの如く負けない。そしてヘッズアップまでは行く。


プレゼントで貰うと3mmだけ嬉しいランキング1位

そしてok,google

勝てないのだ

実力が伴ってないのがバレバレである

そう、この時俺こそが、「(肩だけの)自分の実力を本物だと信じ、あくまで下手なのはヘッズなのだと言い訳するアミュおじ」である。

そんな俺は2月、3月と(毎日のように行く力技で)ひつじのランキングを席巻してしまい

ユーゴさんと同じくポイ活まで入って、まるでlegendかのごとく富山を出ていったのであった

だが、このゲームはそんなに甘くないとこを、まだこの頃の僕は知らなかったのだ…

  • 2章ーモンスター、挫折ー

岐阜に異動してきた当時は、「ポケモンカード最終年」を掲げ、ポーカーはぼちぼちにやりつつ、ポケカをやる最後の年にしようかと考えていました

そのため、当時はうちでポケカ練習をするためと、ポーカーもできたらとポーカーテーブルと、まあまあのイスを用意しました

環境も整い、メンバーもいつもの「ふわてい」が居る!!!と思ってたのですが

ふわ、ハナゴエ、ばばちゃん、レンさんその他大勢「ワンピ!ユニアリ!」


俺「アンデスか?これは?」

ブチギレ

もう東海ポケカは老人がやるゲームではなく圧倒的力のあるチームや集まりがメタの空中戦を広げ毎週のようにCSをまわり平日も当たり前のように箱争奪をするまさに戦闘狂しか生き残れないサバゲーと化していたのです

初めは俺も「マナフィおらんでげっこうしゅりけんで盤面オワリどう」で知られる尾張堂で抵抗しようとしましたが

そもそも大型もシティも控えていない日々でモチベをキープできる程うまくできておらず

またポーカーの日々が始まります

まずはポーカールーム、じゃんけんとGAPが岐阜県にはありますが、

大型大会に繋がるサテライトがあり、駐車場もあるGAPを主戦場に

名古屋はもとくんおすすめのセカナツ(後にぽにょのお陰でめちゃ行くことになる)に通うようになりました

岐阜県ではポーカー仲間一緒に、8月頃から色んな人と大型や店舗にお邪魔しました

あだ名だけで呼ぶと

冗談じゃない

(ト)ラフ("ル)・メーカー


画像はイメージです

亀男


もしかして…私達…入れ替わってる!?

oda(ハヤシさん)


画像はイメージです

乞食クソディーラー


画像は本物です

便器


さようなら…

やみのつうさん

限界でもポストフロップやる男


等、色んな人と一緒に店や大会に顔を出しました。

しかし、前回のjoptの記事にもある通り、なかなか勝てない、インマネできないポーカーをしていました。

ポーカーを初めて、初めての挫折

そこから細かくプレイを見直すのと同時に、プリフロップの改革を行いました。

3bet横コールは、後ろから4betが飛んできたときにEVがマイナスになるようなハンドではしない

ポジションでオーブンレンジをしっかり変えてきてる相手には、それ相応のレンジで参加する

など、昔の僕では考えられないくらい色々な情報を考慮しつつ、プレイするようになりました

少し自信がついたのは8月頃から


遠藤プロと初めて同卓して、絶対強い人やと確信してた。

TPCday1のロングストラクチャーをまずまずのスタックで通過できたこと、

なるみりうBDトナメ優勝、和まっちょ杯3位等、名古屋でまずまずの成績が出せたことが、

プリフロップの改善を行って良かったと思いました

あとは、降りるポーカーができるようになったのもこの頃からです

わざわざ強いと主張している所には突っ込まない

そういった意識の改善から、だんだんといいポーカーができるようになったと思います

  • 3章 ーサテライトの鬼ー

8月のTPCを終え、ノーインマネと悔しい思いをしましたが、

世間は次の大型大会を見据えていました


やっぱ憧れるぜ…



WPT東京、開幕

mainイベントに向けて、6枚のチケットを集めるサテライト周回が始まりました

そう、あの苦行が…

チケットサテライトでは、インプラ以外は0であり、負ければ何も残らない、

バブルファクターが著しく生じるゲームです

そのため、バブルで飛んだ時の精神的ダメージは大きく、

また期限までに集めなくてはいけない締切のある仕事のような苦行を強いられたのでした

そこからバブルファクターの勉強を始めました

じゃんけんのすきまさん講習会に出たり、自分でハンドレビューを行っては、上手い人に相談したり等

サテライトの戦い方を学んでいきました

最終的に、WPTサテライトの成績は8/22E、通過率36%と自分では及第点かな、と思うくらいでしたが、

金銭的な負担が大きく(基本E6000くらい)

絶対にWPTメインではインマネしないとまずい大会となりました

そして本番、WPT東京mainに意気込んで行きましたが、


血迷い出した証拠

ほーんとに何も絡まないハンドもボードもダメ

mainに関しては数えるほどしかポットを取った覚えがなく

宿でなんでこんなダメダメなんや〜って嘆いてました

サイドトナメもぜんぜん芳しく無く、

このまま全然ダメなのか…と考えていました

でも、林さんに励ましてもらえました

「良いプレイをしてるやん、最終的にポットが取れてなくてもプレイが良いならそれでいい」

林正…!!

その励ましが力になったと思います

最終日、たまたまTwitterでやっていたキャンペーンに応募して当たっていた「Special invention Match」に参加しました

その中でも、あまり噛み合わないポーカーをしてました


レジクロ時にこれが

「patient」


こう。ツキが回ってきた。

サテライトで培った耐えポーカーを実践し、運が回っていたのか、なんとかFTでチップリで入ることができたのでした。


じゃんばさだー(4回行ったくらい)

FTは優勝者の似非カイジさんのチップが積み上がるのと、

ほりすさん(この前のjoptのmain2位の)の鬼アグレポーカーをただ見るような形で、

他の人が飛ぶのをただ見ていて、その結果3位という悔しい結果となったのですが、

「ツキがなくても、耐えていればいつかいい流れがやってくる」のを実感した、

そんなWPTでした。

そして、その1週間後、

TPCseason8

自分の予想を超える大躍進を遂げるのでした…

次回へ続く…



























予想を超える変顔はコチラ(????)

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