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“目覚める” ってそんな簡単なことじゃない


この前、上野東照宮に行ってきました。

そこには、おたぬき(狸)様という存在がご鎮座されていた。

そのおたぬき様の由来を聞いて、はたと手を打った。


「これが、僕の言いたかった『目覚める』ということだ!」


私は最近YouTubeライブで、目覚めることについて熱く語った。

人によっては不快な思いをされる方も多いだろうと思う。

その証拠に久しぶりに登録者が減った。


というわけで、以下はその覚悟でご覧ください



「目覚める」というのは、一種のスピリチュアル用語。

それは、私は、真理の側にいるのだ。
という立場表明でもある。

だが、私は安易に「目覚めている」
という言葉を使ってはいけないと思う。



「目覚める」というのは、なまやさしいものではない。

本当の自分の力を知っていてその力を使えることである。

目覚めているか、そうでないかは、

「あなたの使命は?能力は?」と聞かれて

2時間程度、確信を持って話せるかどうかだ。


スピ系の自称「目覚めている」人たちは

・好きなことをやればOK
・宇宙に意図すればそれでOK
・地球には修行に来ているだけ

使命も、能力もへったくれもない現実逃避の思想を持っている。

少し辛辣な言い方かもしれないが、お花畑に逃げているように思える。

現実に向き合おうと思ったら “私” という存在がいったい何なのかを

徹底的に突き詰めざるを得ない。


何度も現実にぶつかり敗北し
自分の限界にぶつかり涙する。


今のポンコツの私以上の私が、
私の中から出てくることを、
心の底から願う。

もう一人の私が出てくるのを願う。


この暗闇の中での限界体験を通じて、
本来の私が目覚める。

一度、かりそめの私は死ななければならないのである。


そのかりそめの私を壊し、本当の私で生きることこそ、

「私が目覚める」ということだ。


だから、
ちょろっとスピリチュアルの話をかじったり

量子力学の薄めた話を聞いて、目覚めた私になるなんてありえない。


そのつもりになることはできるし、

一般の書籍の役割は、そういうものだから、

それはそれでいいのだけど。


で、ここで冒頭の「おたぬき様」の話に戻る。


おたぬき様は、
他(た)を抜(ぬ)き去る
力を授けてくれる。

はじめ、「他を抜く力」とは、
なんとも、黒魔術的!と思った。

出し抜いて勝つというイメージがある。


だけど、ナビゲーターの龍香さんが
そういう競争的な話ではなくて、

自分の輝きを取り戻す力が
おたぬき様にはあると話していた。

その話を聞いて、
なるほど!と思った。

他を抜き去る力とは
私たちの中の他人を抜く力だ。


私たちは、他人を生きている。

親やパートナーなど、

他人の夢を生きているし、
他人の価値観を背負っているし、
他人に言われた自分を生きている。


“本当の自分” を生きている人は、
実はそう多くはない。

本当はサファイヤなのに、
誰かに言われてルビーのフリをしている。

あるいはルビーなのに
トパーズの顔をしている。

本当の自分の色とは違う自分を生きている。

自分の本来の固有の色とは違う借り物の自分を生きている。

いや、正確にいうと

社会で生きる、ということはそういうことだ。

その場に合わせないと、日本では潰される。

本来の自分を生きようとする
つまり、出る杭になると打たれる。

日本で生きるには他人に合わせて
自分を殺さないといけない。


自分を生きているようでいて、
“他人を生きている” のである。

その他人を抜く力が、おたぬき様にはある。


だから、おたぬき(他抜き)様は、

人の固有の性格に目覚めさせ、輝きを増させる力がある。

これって、本来の自分ではない自分を否定することになる。

だから、なまやさしい話ではない。


何度も現実にぶつかり敗北し、
自分の限界にぶつかり涙して

私という存在や使命、世に生きる価値を突き詰めて、はじめて出てくるもの。

徹底的に努力して実践して、言語化した果てにあるもの。

そうした自己省察なしに、「目覚める」という言葉を使うことに
何だか “違和感” を覚えるわけです。


しかし、これは言い換えると、

激動の今の時代は、

この私の中に眠らせている「自分」を目覚めさせることに、
腹を括るしかないのかもしれない。

自分の真の個性に目覚めるための、たぬき。

他人を生きてたら、
目覚めなんてあるわけないでしょ。


腹を括った、もしくは括って、
他人ではなく自分を生きたい!

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