京王線

 京王線は駅と駅の感覚が短いから、回転寿司のお腹いっぱいがわからない状態みたいな感じでまぁチャリでいけるっしょとたかを括って走り出して、やめるにやめられなくなって、どこまでもいってしまい、精算してみたら3,000円超えてたみたいな、お腹の代わりに太ももがパンパンになって後悔したりする。距離の間隔がバグる。

 今日立川まで映画見に行った。(厳密にいうと、京王線からJRの何ちゃら線に乗り換えなきゃいけないんだけど)駐輪場が狭くて、出す時に後ろのチャリに反射板が引っかかって無理やり取ろうと思ったら割れてポロッと取れた。立川のチャリ屋に直してって言いに行ったんだけど、すぐには無理と言われて、違法の自転車のまま府中までドキドキしながら帰った。俺はその辺り、法律的に何かを踏み外すことがちょっと怖い。警察って怖いし。あー電車で行ったらよかったなと思った。無事帰れてよかった。

 調布で働き出して5ヶ月ぐらい。思うのは、街を知るにはその街に住んでる人と話すことが大事だなと思った。自分ひとりで開拓するには、金と時間がアホみたいに必要である。その点人の話を聞くというのは、文字通り話が早い。今まで、スーパーと映画館しかなかった脳内にどんどん細かい街の絵が言葉と共にマッピングされていく。駅前のジョナサンは、何十年と続いているらしい。そこで飲むドリンクバーはやはり一味違う歴史の味がするのである。

 最近、『デッド・デッド・デモンズ・デデデデデストラクション』を読み返してる。実家にあったものをなぜか6巻分だけ持ってきた。続きが読みたい。
 京王線がよく描かれる。『侵略者』の事故によってよく電車が止まる。そこに描かれてる高校生や街は幻想だと思っていたが、実際にあるんやーと東京きてから思った。当然だけど。
 東京の終わってる感的なものが作品中に描かれているが、俺はまだ感受できていない。それは、UFOが空に浮いてないからなのか、ただ俺が鈍感なだけなのだろうか。出会えた人がほとんど全てかわいく感じている。今のところ。

 バイバイと手を振る、エレベーターの先にあるその眩しさ、きらめきみたいなものをまぁなんとか想像できるくらいは年老いてなく、その独りよがりで多分外れてるであろう想像を、間に受けてられる時間もそう長くはないよなとか思いながら最近生きてる。門出やおんたんがかわいいようにみんなかわいいのだ。
 願わくば、どうか幸せでいて欲しいと願いながら、願うしかできないのは、俺は俺のことだけで手一杯な部分があるからだと思う。どうにかしていかなければならないことが山ほどある。
 明日また仕事で今週木曜日はライブだ。ケとハレじゃないけど、みんなとまた自信持って会うためには俺は俺のことにまず責任を持たねばならない。気ぃ引き締めていかなあかんなと思う。
 そんで、なんか、何かしらの行く末を、未来をちょっとは共有できるようになりたいなーと、企画ライブとか終わってホッとしてる頭で思った。

PS.今日見た『ゴーストワールド』めっちゃよかった。


 

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