2/27のゆでたまご日記

しまった昨日は書くのわすれてしまった。3日坊主、詰めの甘い大山模様。

昨日は100BANCHでサスティナブルをテーマにしたイベントに登壇、っといってもコロナウィルスの影響でオンライン中継に変更になりました。参加者が誰なのか、どういう興味があるのかわからないままの登壇ってとても不思議。

そのなかで、SDGsという言葉について感じている違和感を少しお話しました。

最近巷でよく見るあのカラフルなあいつ、私の周りの人たちはご存知かと思いますが、私はあいつにすごい違和感を感じている人です。あのバッチを胸につけている人をみると頭の中で警報がなります。ピピーーっと!

なぜか。なぜなんだろうか。。。という心のモヤモヤを先月来日されていたコスメブランドLUSH本国(UK)の環境部門マネージャー、Ruthさん(ああ本当にリスペクト)と話しているうちに気づいたことがあります。

それはSDGsがHuman-Centeredで作られているから。そう、人間本位なんです。そしてそもそもゴールじゃないよ。その先にある本質的なゴールがある上でのSDGs、目的に到達するための通過点です。あくまで。

国連憲章が定める国連の目的は、次の通りである。

国際の平和と安全を維持すること。
人民の同権および自決の原則の尊重に基礎をおいて諸国間の友好関係を発展させること。
経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決し、かつ人権および基本的自由の尊重を促進することについて協力すること。
これらの共通の目的を達成するにあたって諸国の行動を調和するための中心となること。

引用:国際連合広報センター「目的と原則」
https://www.unic.or.jp/info/un/charter/purposes_principles/

私のモチベーションは自然が好きで、自然と触れ合うことが喜び、もっと人間と自然が共生することができれば、この先も豊かでここちのいい社会が続くという部分から今があるのですが、人間が優位の言葉である限りはそこにはたどり着かない。先日ある環境活動家に話をしたら「国連は結局人権の枠から超えることはできてないんだよね。」と、コンクリートの隙間から生える紅葉を眺め、この建物が壊れるくらいに生え続けろ!と応援しながら話していました。

人間が自分たちも地球の一部であるということを自分ごとにして、生活レベルで意識を落とし込まない限り、あるべきエコシステムという話に繋がらない。

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