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82小品目 新鮮な苦しさ

昨日、フッコチャンを車に乗せていて、突然お腹が痛くなった。家まで10分もかからないので、まあ帰ったらトイレに行こうかとたかをくくったが、

そんな時に限って

赤信号に引っかかるのだ。人生はどうしてこうもそんな時に限ってなのか。橋を渡ったところにあるマーケットに寄ろうと決めて、冷や汗を流しっぱなしにする。



どっどどどどうどどどうどどどう、なぜか風の又三郎のフレーズが頭をよぎる中、箸をわたると少し痛みが和らいできた。しかしわたしはいつも騙される。

お、いけるんちゃう?

マーケットをやり過ごしてしまう。しかしいけたことがないのだ。必ず波はぶり返す。なぜ神は人に希望を与え給うのか、そして人はその希望にすがりつくのか。痛いままではなく、その痛みは色々な表情で強弱をつけてわたしを翻弄する。

メギツネめ!

とエリザベートの義母ゾフィーのようなことを思いながら、最後の関門のコンビニへ向かう。折しもその名前はミニストップ、そういうことなのね!と先走りながら、曲がろうとするとフッコチャンが泣き出してしまう。


オーマイ、オーマイガットゥゲザーである。泣いているこどもを車に置いていくか、いっそ連れて行くか、しかしもたもたしていて間に合うのか、

もー!

そのまま曲がらず帰路を選択する。もはや判断力などない。すべての力は括約筋に注がれている。

帰ったらー、玄関に横付けしてー、フッコチャン小脇に抱えてー、そんで玄関開けたら2秒でトイレだ!

何回もこれからの道程を繰り返し、自分を慰め、泣いているこどもをなだめ、なんとか到着。間に合ったので良かったが、ほんとうに危なかった。あとフルマラソンくらいカロリー使った気がする。



しかし人生も折り返しを過ぎただろう年齢になって、いろんな経験を重ねても下痢はフレッシュに痛いし、フレッシュに困る。わたしの生命を全力で襲ってくる恐ろしい現象だ。そして毎回、初期の段階では甘く見てしまう。もうそろそろ慣れないか。

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