雑談 16

書くか。

どうも最近、調子が良くない。趣味の一部は順調なのだが、趣味以外の調子が極めて悪い。


負い目があるという感覚があるが、何に対しての負い目か分からないな。

本当は分かっていて、自分のいる環境はある人にとって妬まれるほどに恵まれている環境だと自覚しているが、それを活かしていないということに負い目を感じている。そして、そのことから目を背けたいから「何に対しての負い目か分からない」と思い込もうとしている。

別に妬まれるほどに恵まれているといっても、そんな実家が極太とか、人気者に好かれているとか、そういう状況にある訳ではない。自分の客観的な置かれている状況を妬み得る人が一人以上いてもおかしくないという、そのレベルではあるのだが、負い目を感じるには十分であろう。

負い目なんてものはよほどの悪いことをしなければ感じなくて構わないものだと分かっているのだが、感情が先に動く分には思考で制御できないから困る。理性は行動を抑えられるが、感情は抑えられない。

「ノブレス・オブリージュ」という言葉が怖い。うっかり身分が高い家に生まれてしまったことで義務が生じるということに対して、暴力性を感じる。


別に死にたいわけじゃないのだが、自殺しない理由をふと考えた。

ダサいと思われたくない。自殺をすると「そういう奴だったんだ」と知人から評価されるかもしれないし、「逃げた」と思われるかもしれない。それはとてもダサい。

もし誰も自分のことを認識できない世界に行ってしまったら、死なない理由が「痛かったり苦しかったりするのが嫌だから」だけになってしまうかもしれない。

一方で生存本能があるから、死なない理由が減ることも死ぬことの次くらいに怖い。だから認識されたいのかもしれない。

「寂しい」という言葉にそういう解釈があるかもしれないな。群れからはぐれることを恐れなかった個体は子孫を残せなかっただけだろうけど。


何かを作ろうと思って、何かを完成させたことがない気がする。作り上げる精神力みたいなものがない。

繊細な心を持ってるくせしてアスリートの魂があるらしく、何か自分が好きなことが客観的な数値で評価されることにモチベートされる。だからタイピングゲームのスコアを上げることを好み、ゲームのレーティングを上げることを好む。単に大きい数字が好きなだけかもしれない。

そういう形の魂をしているから、体力がある時はそういう能力を上げることに費やす。何かを作ろう、クリエイトしようと思うのは、能力を上げることに疲れた時だけだが、そんな時に何かを作り上げることなんてできない。

だから、本当は構成がある長文を書きたいのに、自分の何かを作り上げたいという欲を誤魔化すために、こうやって note に短文の集まりを書いている。俺の note は、Twitter で成立する。


誰も馬鹿にしたくない。誰も嘲笑したくない。みんなを愛したい。でも、冷笑を好んでしまう。

私にはダサいと思われたくないという感情がある訳だが、それは誰かを見てダサいと思ったという経験に基づいている。他人のユーモアをパクる奴はダサい。金を稼ぐことに一生懸命になってる奴がダサい。目の前の人間がダサい。

俺はダサくなりたくないと思うから、冷笑する。冷笑をすればそれが自戒となり、ダサいことから離れられる。だが、冷笑はダサい。

本当はそんな鎖をほどいて、皆を愛したい。抱きしめたい。坊主を、ガレソを、松本人志を、救いたい。


原始時代に戻ろう。俺は弱いからきっとマンモスかなんかに食われて死ぬだろうけど、それが自然のあるべき姿だ。


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