雑談 15

おひさ~。

みんなどう?元気してた?

ぼくちんはね~、ぜ~っんぜっん元気じゃない!元気の対極!非気!

もちろん、「非気」という言葉はない。

それにしても久しぶりの note である。確認したら前回から1か月ぶりとのこと。思ったよりいつも通りのペースだった。

話すことねえな。

いや、考えてることはいっぱいあった気がするので考えてることを話せばよくて、なんなら今までそういう風にやっていたが、何を考えていたんだっけな。

今更だけどこの「雑談」シリーズ、「雑記」と呼んだ方が適切だな。

でもここに書いている文章のことちょくちょく「書く」じゃなくて「話す」って言ってるし敢えて「雑談」と言った方が世界観が伝わりやすいかもしれない。

世界観と言えば当世界観によるこんなツイートがありましたね。

https://twitter.com/ationalizer/status/1764332806879285718

間違えた。

正解した。

「世界観」という語について考えていたんだけど、私(あえてここではこう言う)の Twitter はここ半年~一年では、自分の中にある自分の好きな世界観を、断片的に出力するものというのがかなり自分の抱えているニュアンスを表現するのに近い文章となっていると思う。

世界観というと一般的には大規模で荘厳なイメージを持ちがちだが、そんな大したものでなくても、例えば「コーラを美味しいと感じる世界観持っている」みたいに言っても良いんじゃないかという風に考えていて、そのように「世界観」という語の一般化について考えていたら、一人称としてかなり適切な語ではないかと思ったんだよな。

ニュートンは木から地面に落ちるリンゴと地面に落ちてこない月の違いについて考えていたことから、万有引力という世界観の着想を得た。

これもまた世界観と言いたい。辞書的な定義からはずれているかもしれないが、それでも自分の好みとしてこういう風に既存の語の定義を拡張していきたいのだ。そしてそれは、自らの世界観の呈出でもある。

呈出って言葉の使い方合ってます?

意図的でない部分に関してはちゃんと言葉の使い方を辞書的な定義からずれないように使っていきたいね。そうしないと、本当に誰にも理解できない日本語を出力し続ける機構となってしまう。

出力と言えばこんなことも考えていたな。

https://twitter.com/ationalizer/status/1762533416736866426

ごめん、わざと。さっきのは本気で間違えたけど。

入力を受け取り、処理をして、出力をしているものだなあ。これに関しては、それ以上何か言うことは特にない。今後いろいろ考えて他の気付きがあるかもしれないが、現状ではここまでだ。今後の世界観の広がりに期待ですね。

そして当世界観という一人称に関しては、こんなツイートもした。

実際、もうこの一人称に飽きてきている。というか、当世界観という一人称が適切な場面もあるが、そうでない場面もかなり多い。当世界観という語を一人称として使わない限り絶対に気付けない盲点である。

というか私が飽き性なんだよな。ツイートのリンクの貼り方を間違えるくだりもこの短時間でもうやめちゃったし。

毎日同じフォーマットに則ってツイートしている人は、えらく自分とは違う人種だなあという感じがする。

表現というものを経ない趣味に関しては、場合によってはここまで飽き性ではないのだが、毎日同じフォーマットに則ったツイートをするということに関しては、一種の表現であり創作であるため、1日1個のペースで微弱でも良いからゼロイチの思考をする必要があるわけだが、私はそのような行いに対する適応力が高くない。

もっとも、毎日全く同じ定型文をツイートしても良いわけだが、それは面倒だし面白みを感じない。

こういう理由で毎日同じフォーマットに則ってツイートすることができないわけだが、別にそれを嫌に思っているわけではなく、これもまた世界観やね、と思っている。

ところでここまでしばらく出てきた「毎日同じフォーマットに則ってツイートする」という概念について、それはどういうアカウントのことなんだ、もっと言うと誰のことを指しているんだ、と聞いている皆さんは思ったかもしれないが、別に当世界観(この一人称なに?)も誰か具体的に思い浮かべているわけではない。ただツイッターをいっぱい見て、普遍的な概念としてこういうことをしているアカウントってあるよね、ということを言っている。

もしかしたら聞いている皆さんのうち多くの人はピンと来ていないかもしれないが、確かにその概念が自分の頭の中にあり、具体例は思い浮かばないけどそういうアカウントを見たことがある、と考えている人もいるかもしれない。あるいは、具体的に特定のアカウントが思い浮かんでいる人がいるかもしれない。

具体例が思い浮かぶというのは、抽象的な思考の助けになることもあるが、一般化がしづらくなってしまうこともある。いや、具体例がいっぱい浮かんだ場合、むしろ一般化はしやすくなることの方が多いか……。

一瞬ツイッター開いてタイムライン見てたら何の話してたか忘れちゃったね。世界観の話をしていた気もするし、世界観の話からゆっくり別の話にシフトしていたような気もする。

一回思考の糸が途切れると、ゼロから紡ぎなおさないといけないよ~

「紡ぎなおさないといけない」って、文法的にはあり得る表現だけど、実際にこの表現を出力したことがある人はかなり少ないのではないか。

「紡ぎなおす」だけで大分変なのに、それをしないといけないなんて!

今日はこれで終わります。

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