![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134301270/rectangle_large_type_2_2944073d7dad0133e862fcd1b7cb6590.png?width=800)
他人に「強さ」は図れない
「強い人」は、
決して鈍感な人のことではない。
「弱い人」は、
決して敏感で繊細な人のことではない。
「強い人」とは、
怖くても、目を背けず恐怖と向き合える人。
苦しくても、それでも前に一歩踏み出せる人。
悲しくても、それでも前を向ける人。
のことだ(持論)
だけど、その人が
どれだけ怖いと感じているのか
どれだけ苦しいと感じているのか
どれだけ寂しいと思っているのか
決して他人が見ることはできない。
だから、その人が
どれほど勇気を振り絞って立ち上がったのか
どれほど心をすり減らして向き合ったのか
どれほど一生懸命生きているのか
他人が推し量ることはできない。
見えないんだもの。当たり前。
つまり、
見えないものを他人が測れるわけがない。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134301371/picture_pc_e0fd2025b568e87399721a220bac4c25.png?width=800)
たくさんの恐怖と向き合ってきたことも。
苦しくても、一歩前に足を踏み出したことも。
逃げたくても、一生懸命生きていることも。
私の「がんばり」を知っているのは、私だけ。
私の「強さ」を知っているのは、私だけ。
ほんとの「強さ」を知っているのは、
たったひとり。自分だけ。
だから、いい。
他人に理解されなくたって。
他人に評価されなくたって。
「弱い奴だ」というやつには
「弱い奴だ」と言わせとけば良い。
「頑張ってない奴だ」というやつには
「頑張ってない奴だ」と言わせておけば良い。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134302717/picture_pc_345e7a07c32d9aebdee44f08519f757d.png?width=800)
大きなカブの見えない部分を、
理解し、認めて、愛してあげるのは
他人ではなく「自分」だから。
__________________________________________
感受性が強くていろんなことに傷ついてしまうひとが「弱い人」なんだろうか?
たくさんのことに気がついて鬱になってしまった人が「弱い人」なんだろうか?
むしろ
鈍感なこの世界で、たくさんのことに傷つきながらも、それでも前を向いて生きている人は「強い人」なんじゃないだろか?
そんなことを日々思う、
おここのひとりごとでした。
おやすミートボール。🌕
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?