誰が写真を殺すのか
昨日のパドル漕ぎのおかげで
肩甲骨のあたりがダル重です
2時間ほど湖面に浮いていたので
さもありなんなんですが
……誰かマッサージしてー
さて、表題の件
「写真に正解はない」なんて言われて久しいです
正解がないのなら間違いもないので
何をとってもOKだったはず
(法に触れない範囲で、を前提として)
なのに、アレだめ、これダメが多くてげんなり
手近な例では、彩度上げすぎ問題
例えばこのような写真を出すと
「彩度(カラフルさ)高すぎー」
「現実はそんなに派手派手じゃない」
とか書かれちゃうわけですよ
余計なお世話だよねー
自分の写真にどう手を入れようと
撮影者の権利だよね
あなたのお好みな写真を撮るために
カメラを持って歩いているわけではないのです
また他には、日の丸構図問題
真ん中に主題をドーンと置く構図を
日の丸構図、と呼び習わしているんです
界隈では
ワタシは力強く、効果的なので多用してます
しかしこれを「素人っぽい」「面白みがない」
そんな言葉でおとしめる人がいるわけですよ
まったく持って余計なお世話です
そして、そのようなことを宣うかたがたにかぎって
ご自分の写真を見せてくださらない
その点にいつもフラストレーションです
多様性の時代、とか
みんなちがってみんないい、とか
個人の尊重へこの世界は向かっていると思ってたのに
見えない規範に縛られている一家言をお持ちの方の
なんと多いことでしょう
ええ、わかっています
気にすることはないってことは
でも、目にすれば考えちゃうし
気にもしちゃいます
いつしか心の奥底で層をなして
見えない規範になっていってしまう──
誰が写真を殺すのか
いったい誰なんでしょうねぇ
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