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LIGHT HOUSE感想殴り書

私にとって救いであり劣等感を明らかにするものでもあった、若林正恭と星野源の対談、LIGHT HOUSEというNetflixの番組についての感想殴り書き。


若林「飽きたんですよ」

もう二十年もお笑いをやってきている若林さんから発せられたこの言葉になぜかすごく涙が出た。飽きたんですよ、多分私も。若林さんとは歴も覚悟も背負っているものも違うが、なぜかこれまで熱中していたことに熱中できなくなり人生に絶望していた昨年一月。そして未だに抱えている喪失感の正体に名前をつけるとしたら「飽き」だ。私は新しいことを開拓し続けないと退屈さで死んでしまうタイプの人なんだと改めて気づいた。でもそれじゃあどうしたらいいのか。その飽きを解消する方法を教えてくれと心から思った。飽きたということを言えないもどかしさから解放されて、飽きたと宣言し新しいことを始めようと気持ちを切り替えた若林さんを見て、私も一旦認めてみようと思った。そして私は守るものが特にないのですぐにでもフィールドを変えられるのである。

「訪問者」

という言葉に共感するとともにちょっと救われた。そうか、彼らも馴染めないなりに開き直ることで独特の世界観を作り出せているのだから、私だって無理に馴染もうとしなくていいんだ。保育園の頃から友達ができにくく、どうやったら人と同じに会話ができるのか考えていた。最近はずいぶん人との関係が器用に築けるようになったが、どうしても人と一緒にいることに違和感が拭えない。だからこの言葉をおまじないのように唱え、何かしっくりしないことがあると「私は宇宙人なので同じができなくても問題ないのである」と思うようにしている。ただ、二人のように開き直って異端を貫けなかったから、世界に馴染めないのに特に武器のない宙ぶらりんな状態で二十代を終えようとしている。これを言って許されるのは一部の成功者だけで、結局彼らはそうやって自分の居場所を獲得したのだと思うと、また絶望感でいっぱいになる。

多様性と言っている人ほど多様性を認めていない

これは持論だが、畢竟多様性なんてものは存在しないと思っている。ダイバーシティの街と言われるカナダのとある街では、皆が異なる存在であることを認めた上で、受け入れられないものとうまく関わらないように避けて生活している様子が見受けられる。つまり、誰もが違いを認め、受け入れ、共に手を取り合うという方法は今のところ確立されておらず、つまるところほぼ不可能に近い。それなのに昨今なぜか勘違いして“自分は多様性を認めている寛容な人間である”、とさも世界を全て見てきたかのような発言をする人が多く、それはテレビでもよく見受けられる。そんな中で二人の多様性への冷静な視点はとても現実的で、中身の伴っていない言葉にメスを入れる様子はスカッとしてよかった。

「おまえら俺と同じ二十代過ごせるのか?」

ああ……。ぐさっときた。先ほども述べたように私はそこまで振り切って何かを諦めてこず、順調に確実な道を歩んできた。人並みにお金がある二十代だったと思う。だが何も為せておらず、何かを為せる兆しすらない。努力してこなかったのだから当然である。若林さんと星野さんは、ここまでさんざん「自分は世界に馴染めず、一つの武器を磨くしかなく、お金もない散々な二十代を高円寺で過ごしてきた」と話してきたが、その結果共に東京ドームでライブをするほど大きくなり、Netflixでオリジナル番組をもっている。画面を注視するほど、彼らが自分とは違う成功者であることは明らかでそれは容易くこれまでの「共感」に打撃を与えていく。せめて彼らが「俺と同じ三十代を」と言ってくれたらいくらか楽になったのだろうか。自分の怠惰と覚悟のなさが憎い。

二人とも結婚してもなお孤独を持ち続けているところが好き

これは特に印象的なセリフがあったわけではないが、二人とも結婚して円満な家庭生活を送っているものの創作に向き合う時は常に孤独であり、創りたいという気持ちをずっと維持している。このことは私の未来にとっても少し希望となった。夫婦であっても共有できない世界はあるし、一生孤独と向き合っていてもそれを知りながら支えてくれる人がいるのだと。ただ奥さんにラジオや曲を聴いてもらって感想をもらっているというのは少々羨ましい。

星野先生のお悩み相談教室?

と思うほど若林さんが星野さんに悩みを打ち明け、欲しい言葉をもらうという図が多々おきていた。二人で人生お悩み相談をする会なのに片方が聞き役になってしまうのはなぜだろう。三話で若林さんに「飽きた」答えを見出していたところ然り、最終回で本当は曲作りの悩みを抱えているにもかかわらず若林さんの前向きな気持ちを邪魔しないようにあまり後ろ向きなことを話さないようにしていたところ然り。星野さんのようなタイプはどこで悩みを相談すればいいのだろうか。星野さんが欲しい言葉をくれる人はいるのだろうか。人に相談するつもりが相談される側になっていた、ということが頻繁に起きている私の参考のためにもぜひ教えてほしいところだ。

色々と「感情」を書き殴ってきたが、お二人の丁寧な言葉のやりとりはとても今をかけるアラフォーの人気芸能人とは思えないほど冷静で世の中をしっかり俯瞰していて、とても尊敬する。これだけ売れておきながらその鋭い感性を持ち続けているということは二人は並々ならぬ「訪問者」なのだろうなぁ。

そしてこういう番組が人気ということは、彼らの感情に共感する人がたくさんいるということであり、つまるところ各々が感じている「なんか浮いている感」というのは世の中の80%の人が持っている感情なのだろう。そうだとしたら、その生きづらさ自体がアイデンティティにならないのだとしたら、そんなところで悩んでいないで自分の武器を磨いていくしかない。仕方がないから、私も教室の隅っこで不貞腐れるのをやめて何かをがむしゃらにやるべきなのだろう。なんと、面倒なことに気がついてしまったものだ。

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