寂寥だけが道づれ

 だいぶ手痛い失恋をした。失恋の理由は前記事の内容と不可分なので、きっと時間の問題だろうと高を括ってはいたが、燦々と輝く愛おしい日々がもう二度と手の中に舞い戻ってくることはないと分かったら、口惜しくてたまらなくなった。

 恋が叶わない寂しさ、悲しさ、悔しさの程度は年を取るごとに増していくように思う。30を過ぎてからそのステージが一段上がった。心の成熟する速度は人それぞれなのだろうが、心を外側から牽引する肉体と社会は、お前の都合なんか知るか、と年齢にふさわしい在り方を要求してくる。私は肉体と社会の声に応えようと奮戦しては挫折を繰り返していた。三者の均衡が保たれた状態ならばある程度は打算的になれるはずだから、この年で失恋することは多分ないだろう。

 年を取って唯一良かったと思うのは、辛い気持ちから逃れる方法の幅が広がることだ(ただし「必ず数日以内に復活しなくてはならない」の制約は加わる)。私が今回選んだのは高速道路の長距離運転だった。自家用車とそれなりのお金がなければできない技だ。LINEのトーク履歴やカメラロールを遡って深みに嵌らないためには、どうしても両手を塞がねばならなかった。ドライブデート用に作った大好きなJ-POPばかりのプレイリストも、心の動きを制限するのに大いに役立った。しかし、ひとたび家に帰ればスマホを開かなくとも追憶の波が押し寄せてきて、部屋じゅうに点在する刺激物を視界に入れないようにしながら布団に潜り込むしかなくなる。そして泣き続ける。涙が尽き果てた先に何も得るものがないとしても。


 タイトルは茨木のり子の随筆「はたちが敗戦」(初出1978年、以下の引用元はちくま文庫の『茨木のり子集 言の葉Ⅰ』220ページ)からの引用である。この言葉は当時「知命」、つまり50歳を超えた茨木が夫との死別に触れた最終盤の段落に登場する。

 そして皮肉にも、戦後あれほど論議されながら一向に腑に落ちなかった〈自由〉の意味が、やっと今、からだで解るようになった。なんということはない「寂寥だけが道づれ」の日々が自由ということだった。
 この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている。

 茨木のり子は詩人であるから、随筆に使う言葉までもが磨き抜かれている。磨き抜かれた言葉は著者の人格から切り離されて、誰しもの心に普遍的に響く。私は助手席に寂寥を乗せて進む。


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