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パレスチナに管轄権ありとした国際刑事裁判所(ICC)決定を振り返る

2021年2月5日、国際刑事裁判所第一予審裁判部は、パレスチナ事態における裁判所の場所的管轄権が、東エルサレムをふくむ西岸地区とガザといった1967年よりイスラエルに占領されている地域について認められることを決定した。

本決定で、ICCは、パレスチナを国家と認めた上で、ICCが有する管轄権の範囲について決定した。この記事では、その内容を解説する。


マヴィ・マルマラ事件

ガザからトルコへ帰還するマヴィ・マルマラ号(コモロ船籍)。犠牲となった9名の死者の顔写真が掲げられている。(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/MV_Mavi_Marmara#/media/File:Mavi_Marmara_2010-12-26.JPG)

イスラエルとガザの関係に、国際刑事司法が介入する途を法的に開く試みが最初に見られたのは、コモロ諸島という小国による事態付託だった。2010年5月31日ガザへの支援物資を載せたコモロ船籍の船マヴィ・マルマラが、イスラエル国防軍に襲撃を受け、10名余りの乗員が死亡した(ガザ支援船拿捕事件)。旗国であるコモロ諸島はこの事態をICCに付託し、ICCがイスラエル-ガザ関係に関わる一連の流れの発端を作ったのである。

ICCは、締約国による事態付託がある場合には、管轄権がないか、重大性が足りない場合にのみ、捜査不開始を決定できる。本件では、検察官は、主に重大性の低さ(被害者が10名程度)をあげて不訴追を決定した。

しかし2015年7月16日、ICCの予審裁判部は、2014年11月6日にICC検察官がだした、捜査の不開始決定を見直すよう決定した(ICC-01/13-34)。その後、検察官による不訴追決定→予審部の見直し決定→不訴追決定が繰り返される事態となった。この時の検察官は、今のカーン氏ではなく、その前任のファトゥ・ベンソウダである。

パレスチナによる管轄権受諾宣言・加盟・事態付託


2018年ガザでのデモに対する攻撃(https://cdn.theatlantic.com/thumbor/7illP7a-L41IurfCLaF5cWBoVFk=/900x606/media/img/photo/2018/05/gaza-tk/g01_958322924/original.jpg)

パレスチナは2015年1月1日にローマ規程12条3項に従い、2014年6月13日以降パレスチナ域内で行われた犯罪について裁判所の管轄権を受諾する宣言を行っている。2015年1月2日には、ローマ規程への加入書を国連事務総長に寄託し、パレスチナはICC加盟国となった。2018年5月22日、パレスチナはパレスチナにおける事態をICC検察官に付託した。

2019年12月20日、ICC検察局はパレスチナ事態に関する予備的な検討を終え、捜査を開始するための諸条件がそろっていることを踏まえ、捜査を実際に進めるかの判断を行うこととなった。それに先立ち、2020年1月22日、ICC検察官はローマ規程19条3項に従い、裁判所の管轄権の範囲に関する決定を行うことを申請した。

(類似の申請は、ローマ規程非締約国であるミャンマーに関するバングラデシュ/ミャンマー事態についても行われた。ただしこれは検察官の自己の発意権限による捜査開始の場合であり、本件は締約国付託である点注意。)

パレスチナで行われたとされる犯罪

検察官の予備的な調査でパレスチナで行われたとされる犯罪は以下の通りである。
●2014年のガザ紛争の文脈で行われた:
・イスラエル軍(IDF)による戦争犯罪(殺人、傷害、ジュネーヴ諸条約の標章により保護された人や物に対する意図的な攻撃等)
・ハマスおよびパレスチナの武装集団による戦争犯罪(文民に対する攻撃、保護された人を盾として用いること、公正な裁判の拒否、殺人、拷問等)
●イスラエルの西岸地区の占領の文脈で行われた:
・文民の移送
●2018年3月にガザで行われたデモ参加者に対してIDFにより用いられた致死的・非致死的手段により200名以上が死亡した件
本件には43の外部参加者(学者、弁護士協会、第三国、国際機構、NGOなど)が「法廷の友」として参加し、大量の意見書を提出し、その政治的影響からも注目されていた。

決定要旨

決定要旨は以下の通りである。

A. 予備的な問題

1.この問題は政治的で裁判できないか?(パラ53~57)
検察官の要請は明確に、ICC管轄権の範囲という法的問題を提起しており、また中核犯罪の性質ゆえ、そもそもICCで扱う事件はいずれも高度に政治的な文脈において行われるものである。ICC裁判官は、関連法の範囲内で設定されている限りにおいて、発現する法的問題を審査しなければならない。また、イスラエルーパレスチナ間の和平の達成を阻害するという指摘については、そのような潜在的な政治的結果だけで、管轄権行使の制限となるべきではない。

2.手続へのイスラエルの参加(パラ58~60)
ICCは国家に対してではなく自然人に対して管轄権を行使するため、イスラエルが参加していない状況においても管轄権に関する決定ができる(イスラエルは手続への参加について招待されたが拒否した)。
また本件ではパレスチナとイスラエルの間の境界紛争について決定するわけではない。

3.刑事管轄権 対 国家の領域(パラ61~63)
諸国家も、自国の場所的管轄権の範囲を特定するために、ある国の領域範囲を決定することなく、諸国家の領域範囲を決定しなければならないことがある。
刑事的な目的での場所的管轄権の決定の目的での領域に関する決定は、パレスチナの領域の範囲に関してなんらの意味も持たない

B. 法的根拠(省略)

1.規程19条3項の通常の意味(パラ69~70)
2.規程19条3項の文脈(パラ71~82)
3.規程の趣旨及び目的(パラ83~86)

C. 本案


1.第一の問題(パラ89~113)
パレスチナが規程12条2項(a)の「領域内において問題となる行為が発生した国」といえるかという問題について、条約法条約31条1項に従い、当条項を解釈する。

a)規程12条2項(a)の通常の意味
規程上には「国」の定義はないが、12条2項の柱書から、「国」とはICC締約国である。これは一般国際法上の国家性の要件を満たしているかは要求していない。

b)規程12条2項の文脈
125条3項や126条2項に従った加入手続の結果と一致するように解釈しなければならない。
ICCは、加入に際して寄託制度を用いており、国連事務総長が行政的な事項に関する責任を負い、実質的には国連総会の決定に指導される。
「パレスチナの人々の彼らの国における自決と独立の権利」を再確認した2012年12月4日の国連総会決議67/19により、パレスチナは「国連における非加盟オブザーバー国家」となった。
これにより、パレスチナは「いかなる国」にも開かれた条約であれば、国連に寄託されたいかなる条約にも加入できることになった。
ICC加入の条件は125条3項にある通り、国連事務総長への加入書寄託だけである

c)ローマ規程へのパレスチナの加入
パレスチナの規程への加入は125条3項に定義される手続に従って行われた。
規程に沿った加入手続を審査することは裁判部の権限踰越となる。
また、裁判部に与えられた権限がないことにより、12条2項(a)の一般国際法に従った解釈は排除される。

d)規程の趣旨及び目的の観点からの12条2項(a)
規程1条に示された目的からは、ICCの領域基準の決定は個人の刑事責任を証明するという唯一の目的のために行われることが確認される。
また、ICCやその他の国際法廷は、有効性の原則にたびたび言及し、規程上の条項を無効にしたり実効的でなくするような解釈を拒否してきた。
さらに、国家性の複雑性と政治的性格から、ICCはそのような決定をせず、加入手続と国連総会の決定に依拠し、そのような特別な目的のために作用することはICCの任務から求められていない。

e)結論
以上のことから、12条2項(a)における「国」とは規程締約国を指し、パレスチナはICC締約国であるため、12条2項(a)にいう国である


2.第二の問題(パラ114~123)
裁判所の場所的管轄権を決定するという目的でのパレスチナ領域の画定について。
第一に、領域紛争はICC規程締約国になることを妨げることはなく、またICCが管轄権を行使することを妨げられない。
第二に、国連総会決議67/19で、1967年以降占領されている領域に対するパレスチナの人々の主権を行使することをパレスチナの人々に可能にする必要を確認し、東エルサレムを含む1967年以降軍事占領されているパレスチナの領域の地位を認めていることから、ICCの場所的管轄権は1967年以降イスラエルにより占領された、ガザ、西岸地区、および東エルサレムを含む領域に広がる。
また、規程21条3項で「国際的に認めらた人権」に従って規程の解釈及び適用がなされること、そして「人権はICCの管轄権行使を含む規程のすべての側面を支えている」(ルバンガ事件上訴裁判部判決引用)こと、自決権が国連憲章、自由権規約といった多くの人権文書で認められていること、パレスチナの自決権は多くの国際司法機関により認められていることに鑑み、自決権は規程21条3項にいう「国際的に認められた人権」にあたるので、12条2項(a)は自決権と整合的に解釈されなければならない


3.オスロ合意(パラ124~129)
1995年9月28日に合意された暫定自治政府原則宣言で、パレスチナ暫定自治政府の権限は、イスラエル人以外の人に限定され、また当該政府の刑事管轄権は当該領域内でパレスチナ人およびイスラエル人以外により行われた犯罪に限定される。ここで言う「領域」とは、徐々にパレスチナに委譲されるエリアCを除く西岸地区と、ガザを除く。
規程97条では、ICCへの協力ができない問題についてはICCと協議でき、規程98条によれば「請求国に対して第三国の人又は財産に係る国家の又は外交上の免除に関する国際法に基づく義務に違反する行動を求めることとなり得る引渡し又は援助についての請求を行うことができない。」。
アフガニスタン事態に対する決定で述べたのと同様に、オスロ合意はこの手続の段階の文脈では本件には関連しない
これらの問題は規程19条の手続に従って関心を有する国により提起された場合に検討する。

4.最終的な検討(パラ130~131)
本件での決定は、規程に従った検察官の捜査の領域的基準を決定することに限られており、ICC管轄権下にないパレスチナ事態に関して生じる国際法上の問題について影響しない。

その他意見

本決定にはPerrin de Brichambaut裁判官の一部分離意見とPeter Kovacs裁判官の一部反対意見が付されている。


Perrin de Brichambaut裁判官は、19条3項の解釈の適用時期について、逮捕状か召喚状が発出されて「事件」が定まった時点から適用できるという見解を示した(同裁判官はミャンマー事態に関する先の管轄権決定にも同様の意見を付している)。
また、ミャンマー事態決定が、検察官の要請により「アドヴァイザリー」な性質にとどまったのに対して、本件決定は法的拘束力があるものであるとしている。


Peter Kovacs裁判官の意見は決定本体の二倍以上のページ数を費やし、決定の手法と理由付け、係争中の事件に関する国際的な法文書の影響を審査する際に国際法に依拠する正当性と重要性、モンテヴィデオ基準の問題、国連総会決議の問題、ICCにおけるパレスチナ、本問題が将来的にどう政治的に解決されるかには「占領」の合法性に異論を唱えることは影響しないのはなぜか、オスロ合意の重要性、検察官の捜査権限の地理的範囲について、といった重要な点について持論を展開している。
重要な点としては、同裁判官はパレスチナは12条2項(a)にいう「国」にあたるという点と、ICC管轄権は1967年以降イスラエルに占領された領域に自動的に制限なしに及ぶとした点について反対している。

コメント

本件は、ICC締約国の国家性が疑われた点と、ICC締約国が領域紛争を抱えている場合において、ICC管轄権の範囲がどのように決定されるかについてICCの立場をしめす機会として注目された。
また、イスラエル―パレスチナという長年継続し高度な政治性と危険性を有する問題について国際機関の司法的見解を示す機会としても重要な転機であったと言える。

本決定に対し、ネタニャフ首相は「正義の曲解」であり、ICCを「純粋な反ユダヤ主義」と呼んでいる
他方で、バイデン政権からの批判は、前政権の時とは大幅にトーンダウンしている。


決定の政治的インパクトとは対照的に、ICCのロジックはいたってシンプルで、国連総会の見解に基づき、また法的に定められた手続に従っているという形式的であるがそれゆえに論破しがたい理由付けをもって決定している。
しかし、中核犯罪の訴追というICCの本来の任務や、国際的に認められた人権といった、規範的なプレミスをちりばめつつ、パレスチナの人々の自決権について明確に述べている点で、斬新であると言えよう。

他方で、Kovacs裁判官の一部反対意見の通り、オスロ合意の重要性についてもっと注意を払う必要があったように思われるが、個別の事件がICC管轄権下にあるかという問題は後の段階に持ち越されたため、本件で十分に示されなかったことは重大とは言えないであろう。

参考
https://www.icc-cpi.int/Pages/item.aspx?name=pr1566

判例評釈

保井健呉「国際刑事裁判所の判例 パレスチナの国際刑事裁判所規程締約国としての地位と裁判所の管轄権 : パレスチナに関する裁判所の場所的管轄権の第1予審裁判部による範囲決定(2021年2月5日)」『国際法研究』10号(2022年) 247-254頁。

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