回避性愛着障害

昨日、わたしは大泣きした。
なぜこんなにもうまく人と関わることが出来ないのかを悔やんで悔やんで他人に表出するのが怖くて泣いた。

そう、『他人に表出』したくない。
怪我をしてる傷を晒したくない。表情や声色や態度の変化に気づかれたくない。
わたしがわたしであることを、誰にも知られたくない。

こわい。特に無意識にしゃべるオープンマインドスピーカーに晒されたくない。
おととい、急にカミングアウトされた。
しらんがな。あと今それ言う?みたいなタイミングで本当に最悪だった。

こんな言ってる本人だけが気持ちいい抱えきれないような話を聞かされるなんて、それはもはや暴力でしょ…

と思ってしまうのだ。
愚痴も猥談も、痴話話も他人のそれを聞く人は聞きたいと思ってるのか?

そういう思考がどこかにあって、且つ目立つのはすべて悪目立ちという褒められない生活をして、多分記憶にある範囲では小学6年生辺りから回避性愛着障害の気がある。

さみしいけれど他人を信用できない。
どこかで逃げる。
どうせ嫌われてるからこっちから消えてやろう、みたいな。
本当はその話を聞きたくなかった、といって嫌われるのがこわいから、
わたしは自ら手を離す。

こういうしょうもない記録でも、いつか見返したときに
敢えて忘れた過去を見つけてやれるから。

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