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いい訳

「100点以外は0点よ」


 98点のテスト用紙を持ち帰った小学生のわたしを母が一蹴した。わたしもただそのままに言葉を受け取る。
わからないものをわからないままにするなんてあり得ない、なんでも100点に辿りつく事があたりまえだった。できないことは恥だったのだ。

それから20年以上経って、わたしは確定申告の画面の前にいる。どうしてその数字になったのと睨んだり突如出てくる漢字の並びに眉を下げたり、なんだかんだを繰り返しながらふと思い出したのが60点のテストのことだった。
小学4年生だったと思う。
インフルエンザで1週間学校を休んだ次の日に受けた漢字テスト。それが60点だった。積み重ねがないのだからわからなくて当然なのに、あのときのわたしは激しく動揺した。

良くも悪くも、見たものをぎゅっと吸収して早々にクリアするタイプの子どもだったから、できないことへの耐性が欠如していたように思う。それ故に100点じゃないとすぐ泣いた。
泣いて隠して、言い訳をたくさんした。

はじめて宿題を忘れた日、冷や汗をかいたわたしは、すぐ背後に狼が迫っていたことにようやく気がついて全身の毛が逆立ったうさぎだった。
宿題を忘れる人なんてたくさんいるし、忘れていましたと正直に謝ったらいいのに。わたしはそういうときも言い訳をした。
「今日が提出日だとは思っていませんでした」
憎たらしくもかわいい小学生だったのかもな。
60点の日もあっていいよ。


100点というものから程遠くなった人生をひとり苦笑いして、ほとんど空になったマグカップからずずずっとコーヒーを吸い取る。
シンクの前に立ってふぅっとため息にも近い呼吸で気合いを入れてスポンジを手にした今のわたしには「どうせ0点だからな」という気楽さがある。
小学生のわたしに見られたら、なんて怠惰な大人だときっと嫌われてしまうけど。でも、100点じゃなくても人生は順々に進んでいくのだ。


 文字を書くことをはじめたのはまだ半年も経っていないくらいについ最近のことで、きっと読む人にも伝わっているだろうなあと思う。
これまでのわたしは、書くということにもだけど、読むという事にも無頓着だったから。雑誌の間のコラムのタイトルだけ読んで知ったような気持ちでいたりした人間だ。

お茶碗をはじめた結果の「書く」ということ。「そうか、文字にしたらいいのか」と思いついてしまったのだ。

ビジネスメールだって最初5分かかったものがだんだんと1分で書けるようになったでしょう。

そう、この記事は、いいわけ。
言い訳、つまりは弁解。

さっさと提出すればいいものを出し惜しんでいるうちにあれやこれや違う気持ちが襲ってきたりして。目標は5日に一度の投稿だったのに、前回の投稿からすっかり1か月半が経過した。
そんなの私しか知らないのだからしれっとスルーしちゃえばいいのに、心のどこかにいる100点に縛られたわたしがふと現れて許さない。

だからわたしはわたしの中のその彼女に言い訳をする。

「いいわけ」は「言い訳」でもあるけど「良い訳」にもなるの。だからこのすっかり抜け落ちた1か月半は「良い訳」になるように、わたし、これから動くの。あなたが認める100点にはならないかもしれないけれど、それでもわたしを認めることができるくらいに、わたしはここから積み重ねていくのよ。


文字に書き起こしてはじめて気がつくという視点が存る。
書くということが向いているかはわからないけど、でもやりたいって思うのだ。


今日からまた投稿をしよう、と、ただそういう話で
ただ、言い訳だ。


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