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私がオーラルに救われた日

わたしは「ヤバい」人間でありたい。


そう思ったのはいつからだろう。いつから人と同じでありたくないと思うようになったのだろう。いつから異端であることを怖いと思わなくなったのだろう。

今日、THE ORAL CIGARETTES主催の『PARASITE DEJAVU』に行ってきました。演出や演奏などに、何度も何度も涙が止まらなくなっていたのですが、その中でもどうしても私が書き留めて置きたくなった想いがあったので、ここに一つ書き残そうと思います。

出てくるセリフは私の中でぼやけているので一言一句同じわけではありません。私の感じた通りで書き込んでいるので、間違っていたらすみません。ニュアンスを受け取ってください・・・(土下座)


ライブの中盤あたり、Vo.の山中拓也さんはステージ上で「あなたたちの絶望や苦しみに寄り添いたい。そのためにもっと絶望や苦しみが欲しい。そのためなら死を感じても構わない」と言っていました。


なぜかはわかりませんが、ライブでよくあるかっこいい言葉とはまた違っているように私には思えました。どうしようもなく惹きつけられて目が離せなかったのです。


「ロックは弱い人が奏でるもので、俺らは弱い。ロックが好きなあなたたちも弱い部分があるはず。だからあなたたちの弱い部分を全て出して欲しい」

そう言って演奏が始まった『5150』という曲。ここで完全に涙腺が崩壊しました。

私にとって決してすごく特別な曲だったというわけではありません。すごく好きですけど!でもなぜか、聴きながら自分の中の気持ちにぴったりと当てはまったのです。ラスサビ前で号泣しながら必死に手を挙げ声を出していました。


「おちゃのえるはヤバい。」「何考えてるかわからない」「冷たい」

こう言われることがどうにも多いことにようやく気がつきました。わたしの中で「ヤバい」は褒め言葉だと思えたのはここ最近の話で、それ以前は「何がヤバいのか。何が違うのか」でよく悩んでいました。

今じゃケロッとしていて「ヤバい上等。褒め言葉!」と喜んで受け取っていますが笑


人と違うことがとても怖かったのだと思います。嫌われるのがとても怖かったんです。一部に好かれていればいいと思っていましたが、そこにすら嫌われたらどうしようと。だから昔の私にとって「ヤバい」は人と違うことによって嫌悪を生み出す象徴だったのです。

これぞ日本人的思考。同調圧力にやられていたのかも。


これってわたしの中でひた隠しにしてきた感情で、おそらく仲がいい人ですらあまり知らないことなんじゃないかな。強がりで全て隠して過ごせてしまっていたから、自分でも気づかない、思い出せないような奥底に沈んでいたのだと思います。

それが今日、この山中さんの言葉で引きずり出されて、そんな自分でもこの人はきっと受け止めてくれる、寄り添ってくれるんだと思えました。



さらに救われたのが「5150」の後の「PSYCHOPATH」。曲はブラックなORALを感じるもので、とても個人的に大好きなのですが、それを抜きにして今日はこの曲のおかげで「人と違うことの何が悪いのか。『ヤバい』ってやっぱり『最高』やん!」とさらに自己肯定ができました。なおかつそれを認めてくれている彼らに感謝の気持ちが溢れ出て涙が止まらず、周りからすればなんでこの曲で泣いてるん!?の状態だったでしょう笑

あの頃の自分をようやく少しは救い出せたのかもしれないなと思うと、大げさかもしれないですが、今日まで生きてきてよかったなとしみじみ感じます。こうして自然と音楽に救われているのですね・・・!

わたしは異端であることを怖いとはもう思わないし、恐れていた頃の自分も責めることはないし、これからも胸を張って「ヤバい」自分でいます。わたしがヤバいを褒め言葉だと思えるようになった話とかもかけるといいな。

わたしを救ってくれたTHE ORAL CIGARETTESに感謝を込めてどうしても書き残したかったので、帰宅後すぐ筆をとりました。まとまっていなくてすみません。わたしのように救われた方がたくさんいますように。これからもたくさんの人が音楽で救われますように。

長々とありがとうございました!


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