誕生日という縛り
ササニシキです。
今日は持論です。
この間年齢を重ねました。
年齢書く欄で間違えないように緊張する日々です。
皆さん。
誕生日を祝うのって、疲れませんか?
正確にはSNS上でのお祝いなんですけども。
勿論「おめでとう」「ありがとう」する事自体は全然いいと思ってます。
挨拶は人間の営み
私が問題提起したいのは、
「誕生日を迎えました」「おめでとう」「ありがとう」
このラリーって、なんか疲れませんか?って話。
誕生日になりました を捕捉したユーザーが「あ、なんか言わなきゃな」とさせてしまう感覚を与え、
使嗾された”おめでとう”を言わせてしまっているのではないか。
その”おめでとう”のリプライに「返している人、返していない人の違いが出てしまわないように、漏れがないように」など慎重に”ありがとう”を返していないか。
そういうのでリソース使ってほしくないんですよね。祝うのであれば能動的であってほしいし、そこにプラスの感情であってほしい。
そこで、なんかそういうの取っ払ったらどうなるかをこの1年試しました。
結果、誕生日ツイートに反応しない事による心苦しさはありましたが、
正味ストレスフリーぐらいかな~って感じでした。
この義務感は年賀状の感覚に似ている気がする。
「去年来てたし送るか…」「届いちゃったし送るか…」このループ。
形骸化したお祝いと御礼はやめたくないですか。
「あなた」との関係そのものが「ありがたい」関係だと心得つつ、
義務感のない、正直でまっすぐな、お祝いのコメントを送りあいたい。
私はそういう距離感で人と付き合っていきたい。
みんなの誕生日に幸あれ。
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