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みーやもいるから、帰って来なさい


(現在のみーや。薄い青緑色の目をしていて、光の具合によっては黄色い。)


みーやは5才のメス猫で、生まれて1ヶ月半くらいの時に家族になった。親とはぐれた子猫だった。

出会ったのはこっぴどい失恋をした次の日のことだったから、天気も気温も感情の動きもその日食べた物まで、本当によく覚えている。


2014年の8月のお盆過ぎの暑い日だった。
エアコンのない日当たりの良すぎる2階の部屋で、私はぐじゅぐじゅでパンパンの顔をしていた。
顔中涙でベタつき、それ以外は滲み出る汗でベタついている。
なぜなら前の晩にテレビ電話で、3年半付き合った彼氏にフラれていたから。

彼は穏やかで優しい。仕事熱心で克己心が強く、しかしそれを私に求めることはなかった。食が細くノリが良く、笑うと上の歯茎が見える人だった。

一方の私は甘えが強く依存的で、そんな自分のままでも彼なら好きでい続けてくれると信じているような、夢見る馬鹿だった。

後から思えば前兆としての緩やかな拒絶が生活のあちこちに芽生えていた気がする。それらに気付くこともなく、気付こうともしていなかった傲慢をこんな形で省みることになるとは、それこそ夢にも思っていなかった。


バルブが壊れたように垂れ流れる涙で、お昼ご飯のナスの天ぷらの衣すら濡らした。母親もばあちゃんも何も起こっていないような顔で黙々とお昼ご飯を食べる、私の顔は見ないように。
網戸の外で行われているあらゆるセミ達の大合唱と、素麺を啜る音と私が鼻を啜る音だけがあった。

いい歳して失恋を理由に泣くのは恥ずかしいという気持ちはあった。
扇風機だけを頼りに部屋に篭り、ベッドに横たわって気持ちが鎮まるのただただ待っていた。


例えば誰か1人の命と 引き換えに世界が救えるとして 僕は誰かが名乗り出るのを 待っているだけの男だ

今ならほんとにその『1人』になりたいなあ。
蒸し暑い部屋の中で本当につまらない事を思ったりしていた。何もまともには考えられなかった。

今の私ならそんな事はないってもちろん言えるのだけれど、その時は真剣に、全てを失くしてしまった気がしていた。幸せの正体の全て。


お通夜然とした昼ご飯を終えしばらくしたころ、普段より静かな足音で階段を上り母親が部屋に入って来た。母親は常日頃は家のどこにいるのか、どこに移動したのか完璧に把握出来るくらい生活音が大きい。にやつきながら入ってきた割に、パンパンで目つきの悪くなった娘をまともに見て怯んだのか、神妙な面持ちで口を開く。

「子猫を小屋で見つけたんだよね。
 飼おっか。」

突然の、突拍子もないニュースに涙はぴたと止まった。

は?猫?子猫?なんで?どこ?
牛乳?牛乳はお腹下すんじゃなかった?

だって、うちはずっとペットはダメな家だったのに。


当時私は実家のある岩手県ではなく他県で彼氏と同棲をしており、盆休みで帰省をしていただけだった。そしてその日は本当は、彼氏のもとへ帰る日だった。

別れることになったと親に告げた時、嘘でしょ、何で、と言われた。父親は何も言わない。ただ深く深く眉間に皺を寄せて聞いていた。
前の晩にも彼氏の話を笑いながらしていたのだから、それは当然の反応だった。

「こっちに帰ってきなさい。」

部屋に戻り枕を握り締めしゃくり上げる私を前に母親は目を潤ませる。何でお母さんまで泣くのよ。 あとから思えば娘の尋常ではない悲しみ方に動揺し、感情を引っ張られたに違いない。

そんな私たち家族の動揺の波に乗るような形で、みーやは現れた。


私はそれまで小猫というものを間近に見たことがなかった。
農作業用のトラックの中にいたという目の前の子猫は片手の平に乗る大きさで、目の色が青く、フワフワのホワホワでプルプルしていた。
みゃあみゃあみゃあ。必死に鳴きながら。

みーやはあまりにも小さく、あまりにも可愛かった。

(拾った直後のみーや。生まれて間もない子猫はみんな目が青く、2〜3ヶ月でそれぞれのもつ色に変わっていくらしい。)


子猫を拾ったと聞いて隣の町に嫁いだ姉がパジェロミニを飛ばしてやってきた。その足で私と姉は唯一名前と場所を知っている、町の動物病院に向かった。
私の別れ話なんかそこそこに、車の中の私たちは子猫のあまりの可愛さにニヤニヤしっぱなしだった。2人とも小さい頃からずっと、犬か猫かともかくペットへの憧れを胸に大人になっていたから。


子猫は7月の初旬生まれで、女の子だと分かった。ミルクではなく、ペットフードをあげて大丈夫なことも。ノミダニは住んでおらず、いたって健康だということも。

「拾ってもらったの。幸せものだねえ。」

ニコニコ顔で先生は子猫に話しかける。
保護猫と保護犬だらけの診察室の中で摘み上げられた子猫は相変わらず不安そうに鳴き続けていたけれど、ウェットフードが差し出されると直ぐにがっついた。お腹が減ってたんだ。


幸せものだねえ。

目の前のホワホワが一生懸命にごはんに食いついているのを見ながら、一昨日までのなんの不安もなく満ち足りていた自分を想った。そして、スマホのカメラ越しでしか別れたいと言えなかった彼の優しさを想った。
彼は私が泣くのを見て泣いていた。

失うかもしれないなんて想像すらしないほどの安心と幸せを与えてもらっていた。夢見る馬鹿でいられるくらいに。


ご厚意で子猫用のゲージを貸してもらい、数日分のエサまでもらったのにお代はいらないと言われた。治療は何もしてないからと、ニコニコしながら。姉と私は何度も頭を下げながら病院をあとにした。

親切だったね。
ね。
感動しちゃうねー。
ね。
名前何にしようねー。
ねー。

段ボールの中の子猫をチラチラ見ながら、笑いながら帰った。


借りてきたゲージを玄関で組み立てて子猫を入れてあげると、ひとしきり鳴いたあと静かに眠るようになった。ここがひとまず安全であることは分かってくれたようだ。

病院で先生に言われたことを母親に伝えると、もう子猫の名前を決めたと言う。

名前はみーや。正式な表記は美〜也。

正式な表記、の信じがたいダサさに腹を抱えて笑った。美しいから、『美、也り』で美〜也。母親のセンスは本当にどうかしている。それでも響きはかわいいから、まあいいかなあ。


「みーやもいるから、帰ってきなさい」

そう言って台所へと戻る母親に、「うん」と返事をすることが出来なかった。喉が詰まって開かなかった。だって、悲しいものは悲しいのだ。

それでも目の前で小さく小さく丸まって眠る子猫の顔をしばらく見つめ続けた。いつの間にか、鳴いているのはヒグラシだけになっていた。




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10年前のことを4年前に書いて下書きに保存しておりました。
なかなかよい文章な気がするので放流します。ここまでご覧頂きありがとうございました。


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