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「人はそれぞれ」ではすまない

来る日も来る日も、「これ以上苦しめない……」と限界を越え続けている。本当に苦しい。

夫はわたしが「こういう人ならよかったな」というのとは違う。でも、それは、わたしの理想が「正しい」、夫は「間違い」、ではなく単なる差異だと捉えている。当たり前だが、性格や考え方は人それぞれだ。

ただ、差異というだけではすまない側面もある。極端な例えだが、他人を殺すのに抵抗がない人がいて、実際、誰かを惨殺したとしよう。
遺族は「人はそれぞれだからね。犯人はそういう凶暴性を持った性質だったんだよ」と割り切れるだろうか?

わたしにとって夫の言動は、これに近いものがある。
差異はあっていい、当然差異はある、でもそれによって誰かを深く傷付け続けるのであれば、「単に性格や考え方の違い」で片付けられない。

夫は自覚がない、だから、わたしを傷付け続ける

本人は自覚しておらず「傷付けるつもりは毛頭ない」ので、繰り返し同じことが起きる。
それが20年以上にわたって蓄積し、わたしの心は完全に壊れた。おそらく今後も、夫から傷付けられる。

だから、離れるべきなのだろう。

2月から3月にかけての入院中に、「彼のしていることは虐待。誰しも虐待者と一緒にいる必要はない」とセラピストから強く言われた。

それでも、いまだに行き詰まったまま、前に進んでいない自分に嫌気がさす。

わたしをここまで追い詰めたのは夫だと思うと、強い怒りを感じる。

彼の嫌な面ばかり目につく。

そういうフラストレーションを夫にぶつけ、彼が応酬する、結果些細なことで何度も衝突し、最後は怒鳴り合いになる。それが毎日続く。

罵り合いで消耗する

わたしは、夫との諍いが激しくなるまで、人に対して声を荒げるなんて考えられなかった。
そうなってしまった自分が悲しい。

罵り合いは、精神的にものすごく消耗する。
それがずっと続いていて、もう心が耐えられない、この苦しみを終わらせたい。

誰かわたしたちの末路を知っている人がいて「関係修復を試みるのは、全く無駄な努力と時間だから、すぐやめなさい」と言ってくれたらどんなにラクだろう。

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