刹那で生きる事が他人に動揺を与えたとしても
こんばんは。
めっちゃシャワー浴びながら考えた。なんか温かい水が頭に等間隔で当たっていると、冴えていく気がする。これはなんでなんだろうか…。
今まで通りで良いよ、変わらないでいてね、という人と、きっともっと高みを目指せるから、引き上げてあげるから、ここまでおいで、と言ってくる人がいる。
これにおいて私の心が揺れて、揺れて、砕ける音がするのは多分根本的に、私は助かりたくないから。せめて、今はまだ。
刹那的に生きる事の何がいけないんだろう。
結局はそう考える。
火花のように命を燃やすような生き方をしていても、星の最後の爆発のように煌めいても、そういう状態の時にしか創れないものがあると信じてる。
この状態は、不安定な時にしか維持できない。欠けている方が、渇望して、純粋に追い求めることが出来る。
知ってしまったら、戻れない状態。
それを、周りが動揺するから、心配するから、と言って変えなきゃいけない理由が分からない。
どんなにやつれて見えて、命を削っているように映っても、それでも私は辛くないの。助からなくて良いの。優しさから来ていると分かっているその想いを跳ね除ける痛みをちゃんと抱えるから、あなたもハラハラしても、傍に居てくれるなら見守っていてほしい。
飛ぶのをやめてしまったら、私の全部が消えるわけではないことはもう、分かってしまっている。
でも、私の一部を手放すこととなってしまう。
たった、人が好きで、一緒に生きたいと思った。それだけの想いで。
それが、果たしてそれほどまでの想いなのか、まだ決めきれないでいる。
【どうしてしんどい時はしんどいって言わないの? 】
だってしんどいって言ったら、どうしてくれるの? 助けてくれないじゃん。
助けようがない所まで自分で選んで、行ってしまっているのだから。
泡のように溶けていくことを、そんなに悪くないかな、と思ってしまうような子を、どうしてくれるっていうの?
大丈夫、私は大丈夫だから。
だから私の事、手放してくれて良いんだよ。
欲を言えば、
助かりたくはない。
でも変わりたくないわけではない。
だから、変わらずに変わる事を見つけなきゃいけないのかもしれない。
それが、途方もなく難しい事だって無意識レベルで分かっているから、涙が溢れてくるんだと思う。
何かが、終わってしまうことを悟っているから。
やっぱり、魂というのは一つのことに向かって真っ直ぐ向かっている時が1番強く、1番無防備だから。
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