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卯波とスミノフ

デンマークでの生活も気付いたら残りわずか。

最近はヒートウェーブが来ているので30度前後の日々が続いていて茹だるような暑さです。この国冷房も扇風機もないんだもん…。(扇風機は流行らなかったらしい。笑 確かに日本の畳とか縁側と扇風機って懐かしい風景だけど、ヨーロッパの風景には合わないかも)みんなで一番涼しいであろう大理石の床に座ってアイス食べておしゃべりしています。暑いね〜。

先日ついにミッドナイトアイス+チキンナゲットの禁断のコラボをキメてしまったので夏到来です。オフィシャル。

夏というのはいつだって、生涯で一度きりの連なりだと感じる。新鮮なものだって懐かしいものも詰まっていて、光が一番眩くて、希望が乱反射しているような日々の季節。碧がカメラのアルバムを埋め尽くしていく季節。どんなに暑くても夏が来ると心が弾んで、終わっていくと寂しさを感じるのはどんな時でも一生に一度の逢瀬だから。

今年の夏はどんな景色を見られるのかな。どんな自分を、どんな場所で刻み込んでいくのだろう。今年の夏も宙がきっと、綺麗だよ。

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足りる、ということについて

最近暑くなってきたからお腹が更に空かなくなってきた。今年の夏もなんとか乗り切りたい。

この原理について最近聞かれたので自分なりに考えていたのだけど、この前ふっと降りてきた考えが「ああ、足りてるんだな」という感覚。私は多分だけど常人に比べて消化が遅い。やろうと思えば意外と詰め込められるから、お腹自体はそんなに小さくないのだと思う。

ただ、私はご飯に関しては「空いたら」食べる理論で動いている。常に0に向かって進んでいくものを、途中で満たし直す事も時にはあるけど、基本的には「無」になるまで突き進んでいく。

もちろん、途中で満たし直したいものだってある。
私の大事な人たちからもらえる「好き!」という感情は尽きる前にもらいたいし、好きなコンテンツとかに至っては「足りる」という概念が薄いからどんどん欲しい。

唯共通しているのは、有限な器を満たすのは、私の好きなものであって欲しい。


I miss you 

美術館で、物語のワンシーンを切り取ったかのような、でも主軸となる物語は丁度額縁の外側にあるような、好きだな、と思う絵にこの前出会った。そして、それを見つめている間に思い浮かんだ事は、「I miss you」という概念。

さよなら、に関しては次のnoteで書きたいから今回は一旦飛ばすにして、私は、「久しぶり」は割とすぐ言うけど、「会いたくて焦がれる」感情はそこまで湧いてこない。

何を持って、私は焦がれるのだろう。
そもそも状況的にあまり会えなそうな人に関しては心がブレーキをかけるのか、あまり焦がれない。会えそうな人も安心感があるのか、大丈夫。そうなると…会いたいけど、会えないかもしれない人?

そう考えながら絵を眺めていた。
なんかさっきの答え、あんまりしっくり来ないんだよな〜…。
あ、この絵の雰囲気好きだな〜。
そう思っていた時に浮かんだ次の考えが、空気感。空気感に私は焦がれているのかな。

例えば高校のキャンパスを見ると恋しく思うのは高校生として過ごしてきた時間を、今じゃもう思い出せないような話で笑っていた時間を懐かしく思うから。その人を恋しく思うのは、その人との間に共有する雰囲気が好きだから。その人たちが集まって醸し出される空気に浸っていたいから。ある場所で積み上げた時間。ある人たちと共有してきた空気感。刹那的なものもあれば、きっとこれは長く続いていく、そう強く感じられるものもある。

空気感というのは、その時々で紡がれるもの。同じ瞬間は二度は来ない。特に心地が良い空気感を誰かと共有できたときは、その思い出がその人と結びつけられるから、「I miss you」と想うのだろうな。

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「海外」で育った事がある子たち

これはお母さんと話した事。

私は、「海外」で育ってきた子とやっぱり一番気が合う。ここで指す「海外」は自国以外のこと。2つ以上の国を知り、文化も理解し、思い出を積み上げてきた場所があるということは、自分の想像を超える発見や気づきに対面し、受け入れ、吸収してきた過去を物語る。

アメリカのお手紙文化真っ只中で育った私は何か特別なことがあるとお手紙を渡す習慣がある。特別なことなんかなくても、メッセージを走り書きした紙切れを渡すワクワク感も捨てがたい。

雨の日は友達と集まって、クラブ音楽を爆音で流して、キッチンでお菓子作りをする午後が好き。何にもなくてもとりあえず家に集まる、一緒にいる空気感が好き。

すぐ床に座るね。階段なんて背もたれあるし完璧じゃん。
パーティはたまにで良いかなぁ。リキュールを瓶から直接飲むのはあまり好きじゃない。

週末や三連休を使って弾丸で行く旅、私は結構好き。というか家が好きだからあまり長くは離れたくないんだな。

日本のものつくり精神が好き。日本の本屋さんは個性が溢れているから巡るのが楽しかったりする。

マイノリティになるということを知っている。伝わらない、という瞬間を感じてきた。見知らぬものに馴染んでいく、あの移り変わりを体験してきている。大切なものが遠くにあるかもしれない寂しさに耐えてきている。


先日、Tate Modernに行ってきた。
私は、モダンアートはあまり惹かれるものがなく、あまりいかないのだけど、ここだけはロンドンに滞在するなら寄ろう、と決めている。

「狭間で生きていく人たち」のショートムービー展示があった。
狭間で生きている人は、両側からの影響を受けられるし、見知らぬ文化に触れることが、吸収することができる。自由も感じやすい。でも、その反面、「home」、帰る場所を感じにくい。そう展示文には書いてあった。

私は、それに違和感を感じた。
でも、それは、私がとてつもなく特殊な環境を「還る場所」に据えることができたからだと思う。狭間で生きてきて、これからも多分「間」で生きていく私にとって、還る場所を持てるというのは本当に、運が良くて、幸せだな、とより一層感じることができた展示でした。

その後も考えていたけど、私の代償も「home」に関連する。
家ではなく、還る場所。

物理的に還ると感じる場所は1つ。でも、上記でも書いたような人や、空気感も私にとっての居場所を指す。もうなくなってしまったものもある。特殊な状況下だから生成された空気。そんなにすぐ会えない人もいる。帰れるけど、還る目処はまだ全然立っていない場所も。

私は、別のものを取り込む都度に私の欠片を代わりに置いてきた。「私の場所」が色々なところに、時間軸に散らばっている。だから、私の心はずっと疼くことになる。全てが一堂に会すことなんてないから。

永久の疼き。
これが、私の代償。

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ちまちま、追求しなかった考えたち

Summerこそが私にとって不滅の夏の譜。


考えたことあることしか人は言えない。


最近読んだもの。日本には完全に公共のベンチが少ないそう。
意識して私の今の街中の風景を見てみると、なるほど、確かにベンチが多い。人が留まる空間、というのは暖かいものなんだな。

ぼーっとするだけでも良いし、友達を待つのにも使える。お昼ご飯を青空の下で食べれる。ちょっと地図の確認をしたい。どんな目的のためでも、短い間でも長い間でも使える。

ここにいていいんだよ、という肯定みたい。

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Royal Post from Denmark, special edition (week 8) 

˚✧ 酔ってドアを盗む学生さん続出。ヨーロッパって変なもの盗む人多いな…(イギリスではガーデンチェアがよく標的に…)

˚✧ デンマークで「ザ・デンマーク!」という食料は実は少ないそう。紹介されたのはデンマーク流ホットドッグ。オニオンとマスタードたっぷりでしょっぱめ。でも美味しい。3個位いけちゃう(ミニサイズ)

˚✧ バーで主流なのはパッションフルーツのお酒なのかな?(高いけど)よく見かけました。あと女子だけでバーに行ったら囲まれます。怖いw そしてすぐホームパーティに誘う。文化的に「連絡先欲しいな」位のノリです。そんな「これから深夜ボーリングしない!?」みたいなテンションで誘われても

˚✧ スェーデンのフォルクミュージックを聴く機会がありました!陽気でカジュアルな感じ。楽しい感じ。そしてフォークダンス楽しい。ひゃっほーい

˚✧ デンマークの福祉制度、なんと観光客にも恩恵が。PCRテスト無料でやってもらえた上に証明書も無料で発行してくれる…すごい所だな。
まあ、そんな感じだからどこ入るにも証明書が必要で、デンマークいる間に10回以上テストすることになったけどね!全部陰性だったので、もうなんか私すごい安全圏にいた。マスクは着用しない方が良い風潮だったので(マスク<PCR検査という扱い)きれいな空気を久しぶりに1mmの遠慮もなく吸っていました。

˚✧ 最後に、個人的に思ったこと。
ヘルシンガー、私がいたコペンハーゲンから1時間位の街は、ハワイみたい。
時間がゆっくりしていて、あまり通りかかる人もいなくて、お店の閉店時間も早い。なんとなく風景も私の地元を思い起こさせる。

それでも、やっぱり、違うな、と思ったのは海の色。
ヘルシンガーの海は冷たい感じ。寒色。白に近い感じ。

だけど、そこでやっぱり思うのは、それでも水の側で生活を営むって良いな、という感覚。

あと北欧とはなんとなくだけどすごい気まずい関係性しか築けていない。拒絶されてはいないのだけど、あまり馴染めない感じ。目的は毎回果たせているけど「もう良いでしょ?」という素っ気なさを感じる。

だから、もう一回だけ今度挑戦してみよう。今度はちゃんと長く滞在してみよう。それでも微妙だったら、縁がなかったということで。


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そして、気づいたら留学生活も、もう片手で数えられる日数のみ。
次は留学最後のお便りです。


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