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今が楽しくて、当たり前に来年の話もする

いきなりですが、ぱんぱかぱーん!私、お誕生日です。
このnoteを書き始めた時はまだ少し時間あったんだけど、気付いたら前日。
時の流れは早すぎる。
びびっちゃう。

ここ数年のお誕生日は今までその歳だった数字にやっと馴染んできた気がしたタイミングで、また1から初めましてするような状態になっている。
環境や、自分のやっていることが割と何一つ安定していないから、それに追いつくのに精一杯で、まだちゃんと受け止める余裕があまりないのかもしれない。

だからこそ、お誕生日が近づいてくると節目として、その時考えていたことを書き留める習慣を長年続けている。

そういう感じのnoteです。

中々尖っている、らしい。

そもそもが尖っている業界にいるので、はにゃ?って感じですが、「こいつ中々個性的なんですよ」、「尖ってる人は好きだよ」、「まあまだ若いからそれぐらいは許容かな〜」と言われれることが最近多い。

そんなにか?と思うけど、個性を重んじる環境にずっと身を置いてきたからこう言われるとシンプルに嬉しい。大人しくしておくべきタイミングさえ身極み続けられば大丈夫だと信じる。

あとやっぱり、いくら好きだと思ってもらえても色々な価値観の人がいる社会の中で見逃し続けてもらえるには、ある程度自我だけでなく、能力が必要になる。「若さ」というのは強い能力だけど、勝手に風化していくものだから、この能力が前面にある内に芯となる部分を磨き続けられるよう、食らいついていきたい。

私は成長できているのかな。
成長の只中にいる場合は苦しいだけ、と聞くけど、でも限界を越えられない場合も同じ苦しいだから、区別はどうやって付けられるんだろう。

「それをして欲しかったんだ!」とこの前、言われた時の言葉の質感を掴みかけているから、その先の光景が見られるように、一歩ずつ踏みしめて1日を積み上げていく。

日々の積み重ね、というのは本当にずっとある言葉だし、何度も使われ続けている言葉だけど、全然廃れたりしないし本当にその通りだと思うから、真なる言葉だと思う。
そういう、消えたりしない言葉を大事に集めていきたい。

来年はゲームの夏になると思う

人間の脳は近い未来と現実の区別を付けづらいらしい。
これは、楽しみな予定の前日とかに一瞬憂鬱になる人の脳のバグについて話していることの情報だったんだけど、なんとなく腑に落ちた理由は別にあった。

予兆、や直感というものは、願いがゆっくりと満たされて、次に移り変わっていくあの、変わっていく淋しさ、自分の大事だったものが少し大事じゃなくなる変容を繊細に感じ取っているからなんじゃないかな、と思う。

イメージとしては、冬の、葉っぱが落ちた裸の木の枝の合間を隙間風が通っていく感じ。引き止めることはできない。

気付いた時にはもう心が、願いが移り変わっている。
人間の脳がその変化を見つめることができないから、脳からしたらふっと気付いた時の出来事。

全然哀しいことではないのに、淋しいと感じてしまう人間の心は繊細で、複雑だ。

色々ある中で、一つ共有すると旅行に関してはひとまず、良いかな、という気持ちに最近なっている。大学院に戻る時にもう一度ヨーロッパ中を旅したい気持ちは全然あるけど、それはまだ先だし、一緒に行く旅行のメンバーもそれぞれの生活を歩み始めている。

旅行とは、少し離れた道を歩んでいる。
それだけで、ゲームの夏というわけではないけど、仕事的な面でも何かしらはありそうだし、あと、単純に今年はせっかく色々なイベントが戻ってきたにも関わらず去年までと同じノリで考えてしまったから逃すものが多くなった。

分身したい。。。
あと物によってはお金を払ってしまってたから哀しい。。。
永遠にお金ないから。。。笑

そんなわけで、旅行自体はまだまだ趣味絡みでもありそうではあるし、一般の人の感覚からしたらめちゃくちゃ行っている方に変わりはないと思うけど、個人的尺度で測ると来年はちょっと控えめになりそうです。

自分の全力を出し切る

最近、仕事が結構大変なんだと思う。
すぐ体調崩すようになったし、お誕生日間際恒例となりつつある、夏バテからの体調絶不調に今年ももれなく当選してしまった。哀しい。
それでも、頑張りたいと思えるし、一緒に働いている人たちはすごく好きで、すごいと思うから、この人たちで一緒に作ったものをなんとか世に出したい。

出るのか、果たして。。。という恐怖といつも戦っているけど、ストレスがすごいことになっているんだけど。笑

そして、そんな私を好きだと言ってくれて嬉しい。

どういう人を心に住まわすのか。
どういう人を思い浮かべなら日々の生活を紡いでいくのか。
どういう人の期待に報いたいのか。
どういう人に、誇れる私でありたいのか。

そういうことを、考えながら、思い浮かぶ人のことを考えて、今日も、明日も、頑張ろうと思える。

一緒にいる意味

私にとって大事な人となるべく長く一緒にいたい。
その気持ちを抱えて生きてきた。

最近はそこに、「それじゃあ一緒にいる意味は何?」という問いが重ね合わさってきている。

関係性というのはお互いの気持ちと維持するための努力は大事だと思うけど、どちらか一方に長期間にわたって、無理を強いるものではないと思う。

私はとても繊細にできていると思うけど、それでも芯はあまりブレない自信がある。だから、思ったことは伝えてもらいたい。伝えたんだから、意に沿ってほしい、という期待をぶつけられると困ってしまうけど、伝えた上で自分で判断することを尊重できる相手ならこちらも真摯に応えるから。

一緒にいる意味とはなんでしょう。
その人と一緒にいることが自分にとってコストでも、その人のことを好きだと思えて、一緒にいられる時間と空間に価値を感じて、その人と一緒にいる時の自分が好きだと感じることとかなのかなぁ。

まだしっくりくる答えは見つかっていない。

次の1年も、自分らしく。

自分の大事にしたいことを大事にできますように。
守り続けられるよう、次の1年も日々を織っていきます。日々織るですね。


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