ノラ猫たち
猫っぽい
猫がいつも傍にいてくれて、広い空と風を感じていると、心がゆっくりと満たされていく感覚がする。
やっぱり、私の中には猫っぽい側面が眠っていて、同じような環境に置かれた時がいちばんホッとするんだな、と感じている。
「人のこと、たまに猫だと思っているんでしょ」
そう言われた時のことを最近思い出す。
別にみんなそうだと思っているわけではないけど、あの人のことは実際にノラ猫だと思っていたし、今でも思っている。かまいすぎて、最近ちょっと鬱陶しがられているような気がするけど…笑 まあ、その内また思い出して寄ってきてくれたら良いかな、とのんびり考えている。
猫と子供に好かれるのがいちばん尊い。
この人と、もっと話したいなって感じられるってすごいこと
ちょっと前に、私を採用してくれた方と久しぶりに話すことができた。相も変わらず矢継ぎ早に飛んでくるキャッチボールの数。受け止めきれると過信されている。それでも、この人が話しているのを見ると嬉しくて、会話の内容が面白くて、止めて欲しくないから全部打ち返せるように脳を神速で動かすことにする。
話終わった後に、脳が痺れる感覚を抱くのは、稀。
それでも、楽しくて、もっと話したくて、もっと自分の聞く力を上げられるように頑張ろう、と思える。
私が何をやりたいといってもいいように、沢山の道を用意してくれている。それでいて、放置してくれる。自分で考えることを求められるけど、そんな事は勝手にやるから、これで良い。そして、心がくすぐったい。信頼されているんだな、ってその捻くれた表現の先に感じる。
私の言葉になる前の言葉を理解してくれる人に出会って、私の言葉をちゃんと理解しようと聞いてくれる人に出会えて。この人たちに頭を撫でてもらうと見守られているんだ、と感じて心がいっぱいになる。
火花のように散っていく中、水になりたいと願う道理
そして同時に、どうしてだろう。心がキュってなる。
どうして、こんなにも良くしてくれる人たちが周りにいてくれるのに、私を構成する破片は、去っていった人たちの事を手放せないのだろう。
手放せないでいる事で、更に砕け散って、血が流れていくのを知っているのに。
飲み込んで、飲み込んで、飲み込みきれないものが溢れてしまう時、君たちは、私がどれだけ傷んだか知らないままでいるのでしょう。
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