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【虎に翼 感想】 9/25 法律は、市井の人々とともにある

明日9月26日、袴田巌さんの再審の判決が静岡地方裁判所で言い渡される。本作での尊属殺事件の裁判や原爆裁判と同様に注目を集めている裁判だ。
これは昭和41年6月の事件である。
原爆裁判の判決が昭和38年12月。その2年後に百合が亡くなる、その少し後に起きた事件の裁判が再審として今も続いている状況なのだ。


注目を集める斧ヶ岳美位子の裁判。最高裁判所判決の日がやってきた。

寅子は、並木美雪から「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われたときこう答えていた。
「奪われた命は元に戻せない。死んだ相手とは、言葉を交わすことも、触れ合うことも、何かを共有することも永久にできない。だから人は生きることに尊さを感じて、人を殺してはいけないと本能で理解している」

美位子の父親がどれだけの鬼畜であったかは誰もが理解している。美位子は父親と言葉を交わしたり、触れ合ったり、何かを共有することを永遠に断つために殺した。今となっては姿かたちはなく、永久に戻らないものだ。
その責任を取る必要は残る。

だが美位子は少し思い違いをしていたかもしれない。
刑務所に入らないことは、罪に問われないこととは違う。

執行猶予は、無罪になるわけではない。社会での更生の機会を与える目的がある。
寅子の言うように、生きて、できる限りの幸せを感じ続けることが、まさに罪を償う方法になるのだ。

主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役2年6月に処する。
この裁判確定の日から3年間、刑の執行を猶予する。
尊属殺に関する刑法第200条は、普通殺に関する刑法第199条の法定刑に比べ、著しく差別的であり、憲法第14条1項に違反して無効である。
この見解に反する従来の判例は、これを変更する。

最高裁判決

今になって、桂場にとっての甘いものとは “理想” を表すものだったのだろうかと、はたと考え込んでしまった。

団子(あんこ)が理想の根底にあるものだとしたら、戦時中は甘いものを食べることなど後回しの時代だった。
アメリカかぶれの久藤が持ってきたジャムを食べていたのは、終戦を迎えて民法という人々の生活に結びつきの深い法律を新しくしようと改正を進めていた時期だった。
穂高教授が亡くなり司法の独立を声高に言うようになってからというもの、長い期間、梅子のあんこの味にこだわっていた。
最高裁長官になり、多岐川が亡くなってからは竹もと(=寅子)に近づかないようにしていた。

寅子と和解したのだし、閉廷後、笹竹に行って団子を食べてもよいものだが、既に日常的にチョコレートを食べるようになっていたということは、もう団子(あんこ)という理想の根底にそこまで固執していないことを意味するかのようだった。

美位子の裁判を置き土産とし、桂場は翌月、退官した。これからは気軽に笹竹を訪れてほしいものだ。

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刑法第200条の尊属殺規定は、すぐになくなったわけではない。この最高裁判決の後、第200条が適用される事件がないまま20年以上の時が過ぎ、平成7年に刑法が改正された際にようやく削除されたのだ。刑法の改正論議もかなり揉めたのだろうか。


山田轟法律事務所。
「美位子の人生は、ここから始まるんだ」
よね「もう誰にも奪われるな。お前が全部決めるんだ」
個人的には、弁護士が “芯” として持つべき言葉だと思っている。
美位子が区切りをつけて次の人生へ進めるよう最善を尽くした二人、そして山田轟法律事務所は、現実の法曹者たちの燈台でもある。

美位子の産んだ子は、彼女の母親が責任を持って育てるという。それも美位子を救えなかった母親なりの罪の償い方だ。並木佐江子が孫の美雪を引き取って育てていたのと重なる。
だが美位子の子が将来、自分の出生のいきさつを知ったとき、そして母親が去っていったことをどう受け止めるかという問題は残る。

市井の人々の問題とそれに伴う法改正は、常に現在進行形だ。
時雄が美位子の裁判を傍聴しようとしたのは、一人の女性を苦しめていた法律が、いずれは変わるであろう瞬間に立ち会いたかったからだろうし、それを自分たちの希望にしたかったからだと思っている。

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ずっと続いていた法制審議会、少年法の改正は見送られることとなった。だがこちらの法改正問題も現在進行形で続いている。オノマチの言い方よりは、議論が続くことは決して悪いことだとは思ってはいないが。


笹竹で働く優未ともすっかり仲良くなった縁で、星家を美位子が訪れていて、そこにはのどかの姿もある。
美位子は、よねの紹介で新潟の『Light house』で働くことになり、東京を発つ前に優未とのどかから洋服を貰う約束をしていたらしい。よねと涼子・玉が直接連絡を取り合うようになっていることにちょっと胸が熱くなった。
元カフェー燈台の山田轟法律事務所も『Light house』も、人生をさまよう人々の光となり、そこを指標に集まる場所だということを、あらためて感じられた美位子の出発なのである。

美位子は『Light house』にずっといるつもりはない。お金がたまったら、また別の場所へ旅立つつもりだ。その決意を聞いた寅子は最後に「お元気で、またいつかどこかで」と挨拶をする。

実際の美位子のモデルとなった女性は、裁判が終了した後も弁護士に年賀状を出し続けていたが、弁護士から「もう年賀状を出すのはやめなさい。私宛に年賀状を書くたびにあなたは事件のことを思い出す。一刻も早くすべてを忘れてあなたの人生を生きなさい」と返事が届き、それ以降、連絡を絶ったとのエピソードがある。

それを踏まえると、「さようなら」と挨拶した美位子は、いずれ過去を知っている者たちと決別するつもりだろうし、寅子はそれを分かっているから「必ず会おう」と言っていない。
二度と会わないことが、良いことなのだ。

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吉川くんは、ニューヨークでの個展が決まった。さすがは一目で強烈な印象を残す引きの強さを持っている(もちろん才能も)。

さて……寅子の言葉は、ときどき空虚に聞こえてしまうことはある。法制審議会の愛発言も、多岐川の言葉を踏襲しているとはいえ唐突感はあったし……あと2回……優未、あとは何がありますか。


「虎に翼」 9/25 より


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