大蔵省のノーパンブーム  ノーパンの女王

大蔵省のノーパンブーム ノーパンの女王

きくよむ 時事 ラジオ
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ノーパンの女王


静岡県田方郡出身。本名、勝又君枝。身長160cm・スリーサイズはB89・W58・H88。血液型はO型。

歌舞伎町、ノーパン喫茶嬢出身、1984年にロマンポルノ『イヴちゃんの花びら』で主演デビュー。『トゥナイト』(テレビ朝日)を始めテレビ番組にもよく取上げられ、ノーパン喫茶の女王、歌舞伎町のアイドルと称された。

神代弓子(くましろ ゆみこ)という芸名でも活躍していた。

経歴

中学時代はタレント志望で、様々なオーディションを受け、セミヌードの写真のモデルなどを経験する。私立の女子高を卒業後、地元静岡のデパートに勤めながら休みの日に東京に遊びに行くという生活をしていたが、日収3万円以上という看板を見てノーパン喫茶で働きはじめる。1983年9月、歌舞伎町における第二次ノーパン喫茶ブームの中、個室ノーパン喫茶『USA』に在籍中、風俗情報誌『ナイトタイムズ』に掲載されて人気が出る。第一次ノーパン喫茶ブームでは女性が下着を着用せず、腰布姿のウェートレスを客が鑑賞するだけであったが第二次は客が好みの女性を指名し、個室にて手によるサービスを受けることができるというものであった。イヴの人気は店の前に行列ができるほどで、指名客の最高は一日35人にもなった日があった。大学(早稲田、学習院、法政、中央、東海、拓殖、専修他)には二百名以上の後援会が発足する状況にまでない、一般誌にも特集記事が出て、本人は「急に騒がれだして親には勘当されるし、普通の生活は一生できないと思った。」と語っている。デパートもクビになり地元に婚約者もいたが、東京で働くことを優先し結婚は断ることになった。トゥナイトでは特集が組まれ、静岡から毎日、新幹線で通っているというイヴの一日追っかけレポートも放送された。

1984年2月には『USA』を辞め、まず輸入下着メーカーのチェック・メイトのイメージ・ガールに起用され、同社が3月に新宿で開いたファッション・ショーでモデルを始め、歌手としてもデビューを果し、5月20日新宿駅東口アルタ前広場にて『イヴ祭り』を開催、数千人の観衆を前に歌声を披露、ポルノ映画、アダルトビデオを中心に活動を始める。1986年4月には『笑わせ者たちの伝説』で舞台にも初挑戦する。1987年7月、に17歳年上のビデオ制作会社社長と結婚して引退をするも、翌年離婚。大阪に居を移して、おもに地元のテレビ局を中心にレポーターなどをして活動を再開、1989年には妹の竹田愛美と共にAVシスターズとして活動を始め、姉妹ヌードも披露する。ストリッパーとしても『ノーパン喫茶の女王』という看板の掛けられた全国各地の劇場で公演を行う。ちなみに妹は、竹田愛美名義で何本かのVHSをリリースしたのち、家永翔子と改名してKUKIからAV女優として作品を出している。

ノーパンしゃぶしゃぶとは、エンターテインメント・レストランの一種で、スカートの下がノーパンの女性店員が接客するしゃぶしゃぶ料理店、もしくは風俗店である。

類似するサービスを提供するものとしては、ノーパン喫茶が見られる。

出来事

東京都新宿区歌舞伎町の高級ノーパンしゃぶしゃぶ店『楼蘭ローラン』が、大蔵省接待汚職事件で大蔵官僚接待の舞台の一つとなっていたことが発覚したことから、1998年(平成10年)に話題となった。exciteによれば、ノーパンしゃぶしゃぶは飲食店という扱いであり、風俗店とは異なり「飲食費として領収書を落とせる」ことにより、国家公務員の接待に利用された。

朝日新聞出版/週刊朝日によれば、この事件で話題となった店舗については、新宿区歌舞伎町にあった会員制の店舗であり、コースの料金は2時間で税込み1万9980円と言うもので、フォアグラや松阪牛などが提供されていたと言う。また、従業員の証言によれば、接待する側は冷めていたが、接待される側は「一心不乱に見ている」状態であったと言う。

また、講談社・「週刊現代」2016年12月17日号掲載「風俗界の大発明『ノーパン喫茶』は、こうして男たちをトリコにした」において、みうらじゅんは「ノーパン喫茶は若年層に人気があったが、ノーパンしゃぶしゃぶはオッサンに人気があった」と述懐している。

https://friday.kodansha.co.jp/article/2887

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