スクリーンショット_2019-11-25_4

英国総選挙2019(3)すべての花を刈ることはできても、春が来るのは止められない

岩波書店『世界』2020年1月号への寄稿(初稿)を期間限定で公開します。12月初頭発売の同誌が店頭に並んでいるので実はルール違反なんですが、今日の選挙が英国にとってどういう意味をもつかを理解する参考にしていただきたく。校正後の原稿は『世界』で読んでね。

→次号が出版されたので公開解禁になりました。

<校正前の初稿ここから>

二〇一九年労働党マニフェストの発表演説を、コービン党首は「これは希望のマニフェストだ」と誇らしげな宣誓から始め、ネルーダの詩の一節で結んだ。「すべての花を刈ることはできても、春が来るのは止められない」と。

労働党と保守党のマニフェストは対照的だ。

赤地に白い文字で「真の変革の時だ」と大書きされた労働党のマニフェストは全一〇五ページ。「緑の産業革命」「公共サービス再建」「貧困と格差」「ブレグジット」「新しい国際主義」の五章にわたり、二〇〇を超える政策が相互に関係する社会の設計図として提示されている。予算書も同時に公表され、発表と同時にオンライン公開された。

保守党のマニフェストは「ブレグジットをやり遂げよう、英国の可能性を解き放とう」と題され、首相官邸前で演説するボリス・ジョンソンの写真を表紙に使用している。五九ページしかなく、これまでで最も薄いマニフェストの一つだ、と評するジャーナリストもいた。予算書もない。この計画書によって社会がどのように変わりうるか知られたくないかのようだ。

二〇一九年英下院総選挙の争点は何か。ジョンソンはブレグジットを争点に闘っている。歴史的に労働党が強いロンドンで自分は二度の市長選を制し、離脱運動を率いて見事に勝ち、党首選でライバルを蹴落とした。自分の人生に負けはない、とジョンソンは考えている。

二〇一七年春に期日前総選挙を決定したテリーザ・メイ前首相の争点もブレグジットだった。EUとの離脱交渉を始める前に議会過半数を拡大して足場を固め、党内野党を押さえ込む戦略だった。党内野党とは、今ジョンソン内閣の閣僚席に座るEU懐疑派議員の面々だ。メディアは自分をサッチャーの再来と讃えている、圧勝は確実だ、とメイは考えていた。

保守党はその総選挙をブレグジットを争点にし、大統領選のように「強いリーダー」を売り込む戦略で闘った。一方、労働党は、反緊縮を争点にし、マスムーブメント(社会運動)として闘った。

その結果、抽象的なブレグジットよりも生活に密着した反緊縮政策の方が有権者の意識を刺激し、争点としてのブレグジットは背景に沈んだ。二大政党の得票率は二%差まで縮まり(保守党四二%、労働党四〇%)、保守党は政権を維持したものの過半数に届かず、二度のテロによる合計約一週間の選挙運動停止期間がなければ労働党が逆転していた可能性さえある。

保守党は二〇一九年総選挙もブレグジットを最大の争点にし、大統領選のように「強いリーダー」を売り込む戦略で闘っている。さらに、前回の失敗に習い、ブレグジットに投票した労働党支持層を狙う目的もあって公共支出の増大も約束している。一〇年近く政権にあった同じ政党が、頭をすげ替えたとはいえ自らの緊縮財政を否定する政策を打ち出す矛盾はさておくとしても、二〇一七年労働党公約の希釈版に過ぎないと茶化すジャーナリストもいるように人気取りの印象は否めない。

この選挙には、これまでの選挙と大きく異なる点がある。この先の五年間、国がどう運営されるかの選択に留まらない、もっと大きな、もっと長い、国民の物語をどう作るかが、かかっているのだ。過去四〇年にわたって英国(だけでなく先進国全体)のコンセンサスになってきた経済体制ーー「サッチャー主義(新自由主義)」ーーが終わるかもしれない。

争点は「ブレグジット」と「公共投資(社会保障拡充とインフラ整備)」の二つだ。後者は「NHS(国民保健サービス制度)」と言い換えてもいい。この二つはそれぞれ文化戦争と階級政治を象徴するものでもある。

ブレグジットは英国にとり、最も先鋭化した文化戦争ーー国としてのアイデンティティを決する投票ーーの結果だ。EU懐疑派の政治的スペクトラムは極右から極左まで多岐にわたり、階級は貴族から最下層までの幅がある。EUの規制を嫌い、完全な自由貿易を指向するリバタリアンがいる一方で、EUの新自由主義的な在り方に否定的な社会主義者もいる。残留か離脱かの二者択一を迫る極端な機会がなければ、絶対に同じ側に立つことはなかった人々の集団だ。現状維持を望んだ残留側にも幅があるが離脱派ほど極端ではない。

NHSは英国にとり、最も成功した階級政治の産物だ。第二次大戦で前線に立った労働者が、戦勝首相チャーチルを大戦の完全終結さえ待たずにお払い箱にし、一九四五年七月、アトリー労働党政権を誕生させた。このときにできた「ゆりかごから墓場まで」の戦後福祉体制のうち、今もなんとか機能しているのはNHSだけと言ってもいい。公共事業を次々売り払ったサッチャーも、その路線を引き継いだブレアのニューレイバーも、緊縮財政であらゆる公共予算を縮小したキャメロンもメイも、NHSを売り払うことだけはできなかった。「病気はカネを払ってするような道楽ではない」の福祉哲学のもとに無料医療を提供するNHSは多くの英国人の誇りであり、いわば国教のようなものだ。

そのNHSも今や息絶え絶えだ。緊縮財政で一〇年近く保健予算が圧縮され続けている。高齢化による医療業務そのものの増加や疾病の複雑化にも対応できていない。緊縮はありとあらゆる分野に及んでいるので、ちぐはぐなことが起きている。例えば、一人暮らしの高齢者が自宅で転んで骨折したとする。入院治療が終わってもしばらくは安静が必要なので、以前なら、完治するまで高齢者用施設に入ったところだが、それらの施設も予算削減で余裕がない。そうなると治療の終わった人がずっと病院にいることになり、ベッドを空けることができない。こうした悪循環があらゆる分野に及んでいる。

一〇月三一日、労働党は南ロンドンで選挙運動を立ち上げた。コービンのスピーチは力強く、これまでよりも直接的な表現で大富豪を攻撃した。一方に一生使い切れないような大金を持つ者がいて、同時に路上生活者がいるような社会は、経済システムが破綻している。「NHSは売り物ではない」と彼が言うと、会場の支持者から「NHSは売り物ではない」コールが何度も起きた。コービンが大富豪、大銀行、大企業を明確な敵とするポピュリスト的演説をしたのには理由がある。社会主義政権の誕生を既得権益層がそう簡単に許すはずがなく、選挙戦中に攻撃を仕掛けて来るのが目に見えているからだ。その時には、ほら、私たちは正しいことをしようとしていると宣言することができる。

同日晩の六時、ブレグジット党党首のナイジェル・ファラージュのラジオ番組に、米国大統領のトランプ本人が電話をかけてきた。トランプはさかんにジョンソンを誉め、コービンを名指しで攻撃した。ジョンソンの取り付けた合意でEUから離脱するとNHSが米国との自由貿易の俎上に上がり、無料利用システムが脅かされるとコービンは主張しており、トランプが敵視するからにはその主張の正しさが裏付けされたも同然だった。

この二ヵ月前の九月一八日、『FT(フィナンシャル・タイムス)』紙が新しいアジェンダを提案した。その日のFT紙は全体が黄色いカバー紙で包まれ、第一面には黒々とした大きな文字で「キャピタリズム。リセットの時だ」とあった。FT紙が、このような形で新アジェンダを提示するのは二〇〇八年の金融危機以来だという。

「金利資本主義はいかにしてリベラルデモクラシーを破壊するか」と題されたマーティン・ウルフの論考は、以下のような内容だ。金利(カネがカネを産む経済形態)で資本家を巨大化させる現在の資本主義モデルは、生産性を向上させず、社会にほんのわずかしか貢献しない。貧富の差は拡大する一方であり、それら富の偏りによりデモクラシーが圧縮される、という主張だった。

11月19日にはITVで今選挙初の二党首テレビ討論があった。コービンは、情報開示法を使って取り寄せた黒塗りの書類を用意して臨んだ。政府が官僚に命じて、NHSを米国との自由貿易交渉の準備交渉を始めているか否かを確かめるための情報開示請求だったが、労働党が入手できた書類はどのページも黒々と太線が引かれ、ほとんどすべてが隠されていた。黒塗りの書類を突きつけられ、NHSも自由貿易の対象ではないかと問い質されたジョンソンは、書類は「作り物だ、嘘だ」と申し立てたが、関係省庁の開示物である以上、なんの釈明にもならなかった。

この二党首討論が行われている最中、保守党本部の選対ツイッターは、アカウント名を「ファクト・チェックUK」に変え、独立チェック機関を装い、ジョンソンの述べた事に「OK」、コービンの述べた事に「ウソ」の判断を下していた。

二一日にはバーミンガムで労働党のマニフェストが発表された。公共支出の巨大さが話題になったが、GDPに対する公共支出の割合を比べた場合、労働党のマニフェスト予算額は現在の欧州では平均的な大きさである。所得上位五%のみへの増税を含むマニフェストは、億万長者(ビリオネア)への敵対表現があからさまだとして「妬みの政治」と批判された。しかし数日後に実施された世論調査によると五一%が億万長者は不要と回答していた。ウェストミンスターの議論と世論の乖離は二〇一七年総選挙にもみられた。

スカイニュースの政治記者がツイートした。「二〇一七年のマニフェストは今思えばセミスキムド・ミルクだった。今度のマニフェストはフルファットミルクだ。これだけのスケールと緻密さで相互につながる経済の設計図を薄めることはできない。仮にこの選挙でコービンが勝てなくても、労働党がここから後退することはないだろう」

この日の午後、ジョンソンは週末に予定されていた二党首討論をキャンセルした。

翌週、労働党のマニフェストを支持する公開書簡がFT紙に掲載された。一六三人の名だたるエコノミストが署名を連ねていた。

二二日にはBBCで選挙特番『クエスチョンタイム』があった。主要四党の党首が各三〇分ずつ、スタジオのオーディエンスの質問に答える形式だ。ジョンソンへの最初の質問は「あなたのような権力者にとって真実を語ることはどれほど重要か」という問いだった。オーディエンスのうち数人が嘲笑し、質問者を讃える拍手が起きた。BBCは翌日の定時ニュースで嘲笑部分をカットして放送した。

保守党はマニフェストを日曜午後に発表した。マニフェスト発表は選挙のメイン行事なのでいかに盛り上げるかに腐心するものだが、奇妙なことに、最も報道の少ない時間帯が選ばれていた。ジョンソンの演説も一五分程度しかなかった。とにかくニュースになりたくない、調べられたくないのがあからさまなのだが、示し合わせたようにメディアもほとんど追及しない。

翌日、保守党のマニフェストが実施されると子どもの貧困が増加するとシンクタンクが発表した。これをBBCは「子どもの貧困増加の可能性」と報じ、数時間後、シンクタンクからのクレームで「子どもの貧困が増加」に差し替えた。

二〇一七年総選挙では、コービンがあそこまでやれるとは誰一人考えなかったので、今思えばだいぶマシだった。今回は英国エスタブリッシュメントの総力戦だ。

コービンが電波媒体でエア戦争を闘っている頃、彼の歩兵たちは五〇万の波になり、全国各地の家庭のドアを叩いている。英国の冬は夜が早い。しばしば冷たい雨も降る。労働党には大新聞もスター・ジャーナリスの支援もない。ソーシャルメディアと党員による説得が武器だ。戸別訪問中の党員が暴力を遭遇する機会も多々あり、二名入院した。二人とも七〇代の女性だ。暴力を振るった相手は「コミュニスト」と叫んだという。メディアの誹謗中傷キャンペーンがそのような形で党員の安全を脅かしている。

一一月二五日、世論調査に動きがあった。保守党の支持率が下降し、労働党は上昇、両党の差は七ポイントに縮まっていた。グライムの大物スター、ストームジーがコービン支持を宣言して有権者登録を呼びかけると若年層の登録が一〇倍増に跳ね上がった。

そして、調子が上がるといつも起きること、「反ユダヤ主義」糾弾が始まった。労働党に反ユダヤ主義が蔓延し、コービンが真摯に対処していないという根拠の薄い申し立てだ。「コービンは首相にふさわしくない」「良心に従って投票を」と労働党拒否を呼びかけるチーフ・ラビの寄稿が二六日付け『タイムズ』紙の一面に掲載されたのだ。聖職者の選挙介入は前代未聞だ。しかも、労働党が「人種と信仰」マニフェストを発表する日の朝だ。夜にはコービンがBBCでインタビューを受けることになっていて、そのすべてが反ユダヤ主義に染まってしまった。

この日は有権者登録の最終日で、締切は夜中の一一時五九分。夕方頃からスターたちがインスタグラムなどで続々と有権者登録を呼びかけ始めた。アデル、リトルミックス、ストームジー、ゼイン、フットボーラーのラヒーム・スターリングもいる。既成の政治言語に染まらない若者たちが希望なのかもしれない。

コービンがマニフェスト発表の演説をネルーダの詩で終わらせたのには何重もの意味を見出せるけれど、世界の左派がそこに見るのは、このマニフェストが「新自由主義の終わり」を指し示していることだ。チリの文人政治家ネルーダは、世界で初めて選挙によって誕生したアジェンデ社会主義政権がピノチェトの軍事クーデターで倒された一九七三年九月一一日の数日後に、自宅で倒れて病院に搬送される車の進行を軍人に止められて死んだ。その後一六年間、チリはミルトン・フリードマンの新自由主義実験場になった。英国は、サッチャーが刈り取った労働者の権利、共生社会、公正な経済を取り戻すことができるだろうか。問われているのはそれだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?