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向田邦子「おはようぺぺです」 (よしなしごと)

本好きな私の母は、向田邦子のエッセイがお気に入りだった。母が図書館で借りて来た本をコッソリ盗み読むのが、私の小さな楽しみだった。だから「思い出トランプ」の表紙は、今も頭に残っている。

大人になり、シナリオセンターに通い出した私の前にも、向田邦子の名前はしょっちゅう現れた。講師が向田邦子を師と仰いでいたからである。

そんなこんなで私の中に刻み込まれた向田邦子氏の印象は、エッセイの名手で優れた脚本家だった。

先日放映されていた没後40年企画番組を偶然目にした私に、彼女は新しい一面を見せてくれた。放送作家・矢田陽子としてかつて著したラジオドラマ(1967年)の一部を要約すると以下になる。

葬儀屋は葬儀の時だけでなく、祝い事の際にも花輪を準備する仕事があった。つまり慶弔どちらにも関わる業者だったのだ。そんな葬儀屋で飼われている犬がいた。慶時には嬉しい顔、弔時には悲しい顔で、その場に合わせて表情を作っていたその犬は、葬儀屋の仕事が休みの日にはどんな顔をしてよいのか混乱している。

そこに、九官鳥の例え話が挿入される。人が言った事をそのまんまマネして口にする九官鳥には、真似るだけで意思は存在していない。よってその葬儀屋の犬も、自分の感情無しに顔を作っていたので九官鳥と同じようなものである、というオチだった。

当時30代だった彼女が、こんな深い話を軽快なラジオドラマとして発表していた事に驚いた。人に合わせて行動していると自分の意思が無くなるという、今も通じる普遍的な意見だ。同調圧力に弱く、右へ倣えを良しとする日本人の性質を非常に良く著している一編だと思った。

「禍福は糾える縄の如し」と生前よく語っていた向田邦子氏。感受性も並ではなかったと思う。


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