所感:心がわからないこと

続 翡翠先生でもうひとつ記事を。

「霊媒探偵 城塚翡翠」の主題歌は福山雅治さんの歌う、「妖」という曲ですが、
こちらの歌詞は翡翠をイメージして書かれたと、以下の記事に福山氏のコメントがありました。

https://amp.natalie.mu/music/news/497444

翡翠の自己同一性に対する推察を表現したとのことでした。
歌詞を読んでみると、
(原作は読んでおらずわからないのですが)
劇中の翡翠からは想像できないナイーブな感情が描かれています。

出会いで変えられてしまった女性。

1番では、愛など怖いものではない、と。
淡々としたクールな女性が浮かびます。
それが2番では愛が自分の構成要素のようになってしまっている印象を受けます。

感情を覚えて変化した女性。

これが福山氏の考える城塚翡翠なのでしょうか。

とても興味深いです。

劇中にこのことを彷彿させるようなやりとりがあります。

最終回で香月先生と会話するシーン。

君はまるでこの世のものでない妖だよ。
人の心がわからなくて、だからこそ人の心を知ろうと対話をこころみている。

…少しだけ占いの話を最後の最後に混ぜますと、
歌詞の内容、このセリフを聞いて浮かぶのは、
「辰巳空亡」

辰巳空亡は、天上が欠ける

と言われます。天上とは心の世界。

心が欠けている。

愛は怖くない。

人の気持ちがわからない。

欠けているから、わからないからこそ、
愛や人の気持ちに逆に振り回されてしまう
こともあるのかもなあと思いました。

歌詞にもある、「逆転する」という現象も起きそうです。

またないからこそ求めて、その道のプロになるひともいるのかもしれません。
翡翠も、わからないからこそ探究できて、
その成果が表情で気持ちを読むということなのかもしれません。

ちなみに清原果耶さんも「辰巳空亡」です!

(心が欠けるとか失礼なことを書いていますが、現実主義、という意味になります)

冷徹にも見える翡翠の心の中をのぞき見てしまったようで少し恥ずかしくも
情熱的なお姿に惹かれるような感覚でこの曲を聴いています。

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