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第13回「すてきなわたしたちをつくるもの」


 ワシントン大学で客員研究員をしている栗原一貴さんが日本とアメリカの西海岸の人々を比較しながら、彼の所属する消極性研究会(SIGSHY)の研究とからめた「理想の国アメリカで凡庸化する私」の中でアメリカのカスタマイズ文化について語っています。
 たとえば、スターバックスのコーヒーやサブウェイのサンドウィッチ。
 それぞれの好みを尊重するために、カスタマイズというものがあり、日本の「おまかせ」とは違うと語っています。
 そして、アメリカでは個人の自主性が重んじられ、社会的な上下関係よりも優先させれるのでは、自分の論を語っていきます。
 それは、なるべく多くの人が不快感を抱いたり、自粛をしたりしなくて良いようにする空気作りがされたデザインのコミュニティが多いことについてです。
 彼の言葉を借りるならば「アメリカは空気が薄い」。
 そう、誰かの為に空気を読むのではなく、自分の考えを外に出してきちんと話し合える文化が(少なくとも彼の周りには)あるそうです。

 先日、吉田恵輔監督の映画最新作「空白」を観ました。
 自分の正義を信じて疑わない強引な人間たちと、自分の心のうちにあるものが上手く伝えられなかったり、そもそも上下関係に萎縮していえなかったりする人間の対比が作品の中に描かれていました。
 劇中、主人公二人のうち二人は、社会的なバッシングを受けます。
 それに対して、身近な人物が「これは無罪だから、駅前とかでビラをまこう!」と宣言し、主人公が「いや、いいですから…」と言うにも関わらず、どんどん運動を始めてしまいます。先ほど挙げたアメリカの「カスタム」文化の真逆、「おまかせ」の物凄く悪い例として作中で機能してしまっているのではないか、と思います。
 「言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいい!」と観ていて思う方もいるかも知れませんが、社会的な上下関係や親子関係が絡んでくるとなかなか難しいところが、まだあるのかも知れません。

 SKE48では、どうでしょう?
 かつての先輩後輩間の上下関係は非常に大きいものがあったと僕は感じます。
 たとえば、1たす1たす1は3じゃないよの3期生集合回の動画なんかでは、当時の1期生たちの厳しさについて語られていました。
 この厳しさは、当時、AKB48に追いつき追い抜くためには、公演などのパフォーマンスで差別化をするという牧野アンナ先生の意図(映画「アイドルの涙」参照)があったからこそだと思います。
 ただ、これが悪く作用してしまった結果、一部の先輩メンバーが「怖い先輩」になってしまうことになりました。いや、引き受けてもらうことになったと書いた方が良いかもしれません。
 体育会系が好きな方は、それでも良いかも知れませんが、先輩が言うことは疑問が多少あっても守るというのは思考停止になって、完全に「おまかせ」状態なんじゃないかな、という疑問もわいてきます(繰り返し書きますが、そういうのが好きな方はごめんなさい)。
 かといって、反論を言うことも勇気がいりますし、関係が壊れるかも知れません。
 それなら、どういった環境づくりをしていけば良いでしょう?

 その答えを見せてくれたのは、SKE48の6期生、鎌田菜月さんでした。
 彼女は先日行われた6期生がリーダーを務めるユニット別の対抗戦で、セットリスト作りについてある工夫をしました。
 まずは、SKE48公式チャンネルに挙げられた「アフタートーク」動画の7分30秒頃から9分頃までを鎌田さんの発言に注目してご覧ください。


 動画内でユニットへの希望について、下記の2点を挙げています。

① みんなに耳をつけたい

② 1曲目はみんなで立ちたい

 さらに、「最後まで本人たちの意志をなるべく優先しました」と鎌田さんは語っていますね。
 実はTwitterのスペース機能を使って、公演が終わった翌日の夜ぐらいにユニット公演のセットリストについて熱く語ってくれていたんですが、アーカイブに残らないことを忘れていて、まあ、聴くだけ聴いておいてまたブログに書く時に聴き返せば良いや、とゆるーく聴いていたんですが、その中でも当初選んでいた曲よりも、メンバーたちの希望に沿って決めていったということを語っていましたね(もし、記録されている方がいらっしゃったら、是非、再度ご確認ください)。

 この鎌田さんの方針、後輩達はどう感じていたんでしょうか?
 まずは、平野桃菜さんのアメブロを読んでみましょう。

 ううむ、まずはグループラインでみんなから意見を集め、そこで言いにくかったら、個人の方に連絡してくれても良いという二段階の意見方法で、発言への抵抗感を減らしてくれていますね。
 「みんなに気をつかって」と後輩が感じるぐらいですから、きっと言葉選びなどにも配慮があったのではないかと思います。
 そして、普段はチームも期も違うメンバーたちが、同じ目標に向けて進む時に、「おまかせ」ではなく「カスタマイズ」をみんなでしていくことで、素晴らしいセットリストとパフォーマンスが生まれたのではないか、と思っています。


 これまで鎌田さんはどちらかというとソロプレイヤー的に活躍していくタイプという見方を僕はしていました。しかし、今回のユニット曲特別公演を経て、僕の中で一つの価値転倒が起こりました。
 それは、ひょっとすると、彼女は新しいタイプのリーダー適正があるのではないかということです。


 丁度、今朝、文庫版の「ナナメの夕暮れ」(若林正恭著)を読み終わったんですが、文庫版のために書き下ろされた部分で、オードリーの若林さんは、自分より若い人たちに示しをつけるようなスタンスで仕事をしていたことが少しだけ触れられます。しかし、一緒に仕事をして成長するのは後輩ではなく自分だ、ということに気づき、人見知りで世の中で良いとされているものを疑っていた自分のような人が喋りやすくなる、楽しんでもらえる、そんな雰囲気を作っていきたい、考えを変えたるようになったと書いていました。
 そのスタンスの根本には、芸能界にうまく馴染めなかった昔の自分の傷があったとも書かれていました。

 完全にここからは、僕の推測ですが、鎌田さんにもかつて世の中やカギ括弧付きの「SKE48」から受けた傷があったのかも知れません。この連載の第1回で書きましたが、僕は鎌田さんが嫌いでした。何故なら、5期生までのSKE48メンバーとは、全く違う雰囲気を持ったメンバーだったからです。ひょっとすると、SKE48の文化と馴染めない部分もあったかも知れません。
 あくまで僕の推測です。繰り返し書いておきます。
 

 ただ、これからのSKE48を作っていく上で、彼女のような価値観のリーダーがいてくれたら、きっとより良い「カスタム」がセットリストだけでなく、グループにも生まれるのではないか、と思っています。
 2021年の最後に、鎌田さんの新しい魅力を感じることが出来ましたが、2022年はいったいどんな一面を見せてくれるのか、はたしてこの月一連載はいつまで続けるのか、僕にも分かりませんが、1年以上見ていても、新しい発見があるので、きっとまだ連載は続いていくと思います。

これまでの月イチ連載「鎌田さんについて考える」はこちら!


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