8月31日に死に、9月1日に生きる
(今回は、「#8月31日の夜に」用に書いたものです)
「来月末で会社辞めます」
粛々と書類を提出して、上司に提出した。
確か、夕方の事務所に誰も人がいない時間だったと思う。
そのまま、会議室で1時間ほど説得された。
「いや、少し考え直して欲しい。8月31日の夜に最終確認をするから、じっくり考えといてほしい」
上司が部屋を出ていき、広い会議室に空調の音だけが響いていた。
18歳以下の自殺が一番多いのは9月1日だそうだ。
何故、自殺を選んだのか。僕には想像するしかない。
ただ、「そこ」に戻るぐらいなら、死んだ方がマシだったのかな、と想像するぐらいしか僕にはできない。
学校はわりと好きだった。
中高と夏休みは部活に明け暮れていたので、学校というものと形は違えど接続したまま過ごしていたせいで、2学期の始まりに特に深い思いはなかったのかと思う。
しかし、大人になって始めて8月31日の憂鬱を味わうことになった。
しかも、今年だ。
これを書いてる8月19日の時点で8月31日は、まだ来ていない。
でも、僕が春に転職した会社は、自粛要請に従い1か月間、営業を停止していた。
ほとんどが在宅仕事に変わり、自分のペースで仕事をして提出し、残り時間はマイペースに過ごすことが出来た。気合いを入れたら8時間かけてする仕事を4時間ぐらいで終わらせられるんだな、というのがこの期間の発見だった。
やがて、6月になり、営業が再開する前夜の憂鬱。
もう、めちゃくちゃ嫌だった。
永遠に在宅ワークが続いて欲しかったが、エンターテイメント施設の仕事なので、どうしても出勤する必要があった。
それでも、営業当初の数週間は、客足は鈍かった。
僕が直接現場で働くことはなく、事務所で企画書を書いたり、オンラインでプレゼンテーション大会に出て優勝したりと、それなりに仕事を楽しめていた。
夏休みに入ってからが地獄だった。
もう完全にみんながコロナのことを忘れたふりをして、来客し始めた。
コロナによる人件費削減の為に、アルバイトの稼働をなるべく減らし、社員が現場に出ることになった。
これまでどんな仕掛けをして商品を販促し、どんな商品を現場で売れば良いか、また、アルバイトの負担を減らす為にはどんな機材に変えればいいのか、そんなことを数字をみながら考えてきた。
ところが、それが一切関係なくなり、毎日8時間ひたすら立ち仕事を現場ですることになったのだ。
毎日、同じような作業を頭を使わずにひたすら行った。
ここは、知的生産が得意な人間ではなく工業生産が得意な人間の方が輝く職場に変わったのではないか、と気づいたのは先日のことだった。
すぐに上司に退職の意志を告げにいった。
そういえば、前の職場も研修合宿を1か月間した後、現場に出たその日に何か違うな、と思って辞めさせてくれ、とお願いしたのを覚えている。上司にのらりくらりかわされ、半年間辞めるまでかかった。
それから、この仕事に就くまで苦労もしたなあ、と思いつつ帰りの電車に乗った。
「ここ」が嫌なら新しい場所に行けば良い。
何も知らない人は気軽にそう言うだろう。
でも「ここ」じゃない人は誰が教えてくれるのか、どんな言葉を検索すれば出てくるのか?
「ここ」を離れたらお金は誰が稼いで、後何か月生き残れるのか?
考え始めたら、怖くなって真っすぐ家に帰れなかった。
家の近くでお祭りがやっていた。
最近は、プロジェクションマッピングが流行りらしい。
古い太鼓の音が遠くから響いていた。
昼間が暑かったせいか、夜は涼しい風が吹く。
コロナウイルスの影響で、客の数より警備や誘導スタッフの数の方が多かった。
8月31日の夜。
多分、僕は「ここ」に居た僕を殺す判断をするだろう。
よっぽど会社が譲歩してくれないと無理だ。
自分の8時間を何年もやりたくないことに使いたくはない。
今、これを読んでいる君が9月1日が来るのが嫌なら、「ここ」というコミュニティ以外を探す苦労を、怖いけど僕と一緒にしないか?
考え方によっては死ぬより苦しいかも知れないけど、君が一番好きな人は、君が死ぬよりは喜んでくれると思うよ。
9月1日に新しい自分で生きていくためにも。
「もう、会社作るか」
そんなバカなことを考えながら、家に帰った。
アプリを作るためのコードや本屋さんで買った会社の作りかたの本を読みながら、明日も満員電車に乗るだろう。