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おすすめの映画「ミッドナイトスワン」

 
 自分が理想とする姿をAとして、現実の自分をBとする時、AとBをイコールで皆さんはつなげられるでしょうか?

 今日、観てきた「ミッドナイトスワン」は、悲しいけれど、本当に美しい物語でしてね。
 ユングの「この世は無慈悲で残酷であるとともに、神聖な美しさに満ちている」という言葉を僕は思い出しました。特にエンドロール後の本当のラストシーン。あそこを観て、僕はユングの言葉を思い出しました。

 【ここからはネタバレ全開で書きます】

 自分にとっての「普通」が社会の「普通じゃない」ということをテーマにした映画は非常に多いですし、映画「ハッシュ」が好きな人間としては、まだまだ社会の理解が薄い(あるいは理解しているふりをしている。作中でもありましたね)マイノリティが、どう社会と手を繋いでいくかというと、自分と似た人が集まるコミュニティに集まるか、本来の自分を圧し殺してひたすら耐えるか、新しいコミュニティを作るしかない、という作品が増えたなと思います。
 あと、本当に最初の方に出てくる「男に消費されたら終わりよ」というセリフ。まさに自分たちが「消費」される構造が何度か出てきたのが印象的でした。

 主人公の凪沙と一果の疑似家族的な関係を進展させるのが、「バレエ」という身体芸術であるというのも凝った設定だなあ、と思いましてね。
 本来は女の身体を手に入れたかった凪沙の願いが、一果によって少しずつ叶えられていき、二人の距離も変わっていくというのが良かったですね。夜に二人でレッスンするシーンが最後に生きてくるのも素晴らしい。

 逆にバレエができることが「普通」だった同級生のリンちゃんの最期が本当に切なくてですね。もう一度見直すと、全部を捨てた、諦めたような笑顔でそれが胸にきますね。

 あと、本当に環境って大事だな、と思いましてね。
 一果が本当の母親に連れ戻された後のシーンで明らかに「デス・ウィッシュ」でブルース・ウイルスに掃除されそうな人々とつるんでるのを見ると、うわあ、折角才能あったのに!と悲しくなりました。
 また、食事の描写でも徐々に食生活が豊かになっていき、最終的に彼女が作る側に変わるところは、成長を感じて素敵でした。

 主人公の凪沙の選択は、果たして、すべて正しかったのかは、意見が分かれると思いますが、一度でも「何で私だけ」と泣いたことのある人間なら、一概に否定できないかと思います だって、作中で凪沙は何度も選択を迫られ、最終的に光を失います。親戚に「バケモノ」呼ばわりされながら。

 最期の海のシーンが本当に美しくてですね。
 海にいるわけのない白鳥がいる、それは踊る一果であり、海を歩く一果に容赦なく波がぶつかってくる。それでも進む彼女は、海を渡るという素晴らしい連想のつながりだと思いました。

 作品を観終わって、自分は果たして、なりたいと思っていた自分になれているか?時間やお金を使っても良いと思えるほど、託せられる人に何人出会っただろうと考えさせられました。

 今夜は凪沙を演じた草彅剛さんが居たSMAPの「君は君だよ」を聴きながら、考え事をしようと思います。

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