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映画「由宇子の天秤」感想

<あらすじ>(公式サイトより引用>

3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子は、テレビ局の方針と対立を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。そんな時、学習塾を経営する父から思いもよらぬ〝衝撃の事実〞を聞かされる。大切なものを守りたい、しかし それは同時に自分の「正義」を揺るがすことになるー。果たして「〝正しさ〞とは何なのか?」。常に真実を明らかにしたいという信念に突き動かされてきた由宇子は、究極の選択を迫られる…ドキュメンタリーディレクターとしての自分と、一人の人間としての自分。その狭間 で激しく揺れ動き、迷い苦しみながらもドキュメンタリーを世に送り出すべく突き進む由宇子。彼女を最後に待ち受けていたものとはー?

<感想>

真実とは何か。近年、報道のあり方が問われることが(やっと)増えてきたが、報道とは難しいものだな、と感じる。報道のされ方によって、真実はいかようにも捻じ曲げることができるから。そもそもありもしない事実をでっち上げている場合も多々あるが、それはもう問題外なので、今回は置いておくとして。

映画の中で、「おまえはどちらの立場なんだ」という言葉が途中に出てくるが、そもそも報道に関わる人がどちらかの立場に立ってしまったら、もうその報道は偏ったものになる。「どちらの味方にもなれない。でも光を当てることができる。」という言葉もあるが、光が当たれば、その反対側は闇になる。もちろん公になることもない事実に光を当てることは素晴らしい。けれど、光の当て方で受け取る側の見方も変わる、と思うと、報道の恐ろしさを改めて感じた。

そして、そもそも一つの事実があったとして、その加害者側、被害者側、家族、同僚…それぞれの立ち位置によって真実は異なるかもしれない。人には主観というものがあるから。また、その人の生育歴や人生によっても受け取り方が違う。自分が真実だと思っていることが果たして本当なのか。この映画を見るとそこが揺らぐ。

そして、もっと曖昧だと感じるのが「正しさ、正義」この映画の大きなテーマだと思うが、最初は確固たる信念をもって正義のために取材を続けていた由宇子が、自分の父親から明かされた事実によって、自分の中にある正義が揺らいでいく。視聴者から見ても、徐々に由宇子の行動に揺らぎが見え始める。最後には結局、小さな情報を安易に真実と信じて行動してしまった。あのシーン、なんでそれを簡単に信じてしまうの!と見ててすごく歯痒かったが、それに縋ってしまったのだろう。自分のため、父親のために。

コロナ禍で正義を振りかざす人がとても増えたなと感じている。そして、いろいろな人のそれぞれの正義も見えてくる。でもそこには私も含めて、自分にとって都合のいいこと、が影響しているとも思う。正義って正しさって何か。この映画を見てますます分からなくなった。

後味は何ともやるせなく、誰も救われていないと思える。幸せな気分になる映画ではないけれど、社会の歪み、自分の中の正しさについて考えるきっかけにもなるので、見てない方はぜひ見てほしい。

あ、この映画の好きだったところ。ワンカメで長回しだし、カメラマンさんが実際に一緒に歩いて撮影しているので画面が揺れる。それがものすごく臨場感を生み出していて、ドキュメンタリーが題材の映画だが、この映画自体もドキュメンタリーなんじゃないかと思えてしまうような効果があった。

何より、瀧内さん、光石さんをはじめとした役者さんたちのお芝居の素晴らしさ。それもリアリティーを生み出してた。すごかった。