見出し画像

【NHK BS1】

1990年8月28日。
「NHKバイト実質初日10:00-19:00。さっそく自分が作った字幕がBSニュースに流れる」
 
 友人に誘われてNHKでバイトすることになりました。
 たぶん「NHKアート」という会社での仕事だったんじゃないかな。
 
 当時はワープロがようやく普及してきたところで、キーボード入力ができる人がまだそんなにいなかったんですね。
 実際私、ワープロが打てるという理由でこの前年(89年)、赤坂にあった富士ゼロックスでバイトしてました。官公庁営業部というすごい広いフロアで、バブル期のサラリーマンたち&きれいめなOLさんのど真ん中に、ワープロはたった2台。
 その1台に私服の大学生(私)が座っていて、平社員から課長クラスまで、手書きで書いた企画書などを私に持ってきて「これワープロにして」(という言い方をしてました)。
 
 そして今度は(ウィキによると)この前年、89年6月に始まったばかりのNHK-BSでワープロ打ち。
 ただちょっと特殊なのが、いわゆる字幕テロップ作りなのでした。
 CNNなど海外のニュースをそのまま流してたんですけど、まず翻訳の人がそれを訳す→ディレクターが文字数に合わせた2段の字幕原稿を書く→テロップ打ち(私)がそれを打ってフロッピーディスクに保存。
 
 ちなみにフロッピーは8インチのペラペラしてるやつです。それを放送用の機械にセットして、流れてるニュースに合わせてディレクターが順番にボタンを押して表示していくというアナログなやり方でした。
 
 当時のBSのニュースなんて本当に誰も見てなかったんですけど、実際にある日、テロップ打った私は、そのまま機械にセットするのを忘れてしまったことがありました。
 するとニュースがオンエアされてからしばらく経ってから、「あれ、字幕出てねえぞ」。
 真っ青になってフロッピーを急いで届け、すごい勢いでそこまで数分の字幕がぱぱぱぱと流れるという放送事故を起こしたんですけど、そのフロアの誰も慌てもしないし怒りもしないし、実際にひとつもクレーム来なかったそうです。
 
 ちなみに海外ものでなく、BSでのスタジオからのニュースは、JALのCAからフリーアナウンサーに転身した小谷真生子さんが担当されていて、ときどきそちらの番組のテロップもやってたかもしれません。
 小谷さん数回お話しましたけど、ものすごく感じのいい方でした。後にすごいニュースキャスターになられるとはこのときは想像もできず。
 
 とにかくまだまだ始まったばかりのBS放送。いろいろ手探りだったんでしょうけど、バイトのシフトもまだ固まってなかったようで、いつもすごくヒマでした。
 「30分後にオンエアのテロップ急ぎで」なんてこともあるんですけど、逆にそれ以外の時間はやることもなく。よく漫画読んだり昼寝したり局内散策したりバイト仲間とずっと話し込んだりしてました。
 90〜91年の話です。ご容赦ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?