見出し画像

寝るのが怖い。目覚めたら大切な人が死んでいるかもしれないから。
もしまた母の子として生まれるなら?そもそも生まれたいと思うだろうか?生まれたらどうするだろうか?
母は統合失調症だった。
19歳の時に双子の妹を亡くし、祖母(私のひいおばあちゃん)からはかわいがられず
結婚しても姑らに嫌われて、夫は助けてくれず
母(私の祖母)からは過保護で
小さい頃はまだ未成年の叔父叔母がいて
父が8人きょうだいの長男で、若くして亡くなった祖父の代わりにたくさん働いて
そんな環境にいたら誰だって壊れてしまうと思う
双子の妹は「事故で亡くなった」としか聞かされていないが、幼心に「自殺したんだな」と思い深く聞くのをやめた

小さい頃は母が大好きで将来は母のようになりたいと思っていた
けど離婚後の母は、私と弟の親権を巡って父らと争い
仕事をがむしゃらにして、倒れては入院し、を繰り返しとうとう働くのを医者に禁じられた
幼稚園の私は「私が悪い子だから母が入院するのでは?」と信じ、いい子を演じるのに必死だった
家に母と2人だと、しょっちゅう母は「こんな所にいられない、出ていくよ!」と私を引っ張り、私は祖母たちが早く戻るよう強く念じた
それがなにより怖かった
実家以外に安全な場所がどこにあるというのか
母は「窓から姑がずっと見ている」と常に怯えていた
被害妄想、幻聴、幻視などなどが激しかったようで
ある時、カーテンクリップがなくなったのを母に聞いたら「○○ちゃん(私の友人)が盗ったんだよ」と言われたので、母を信じていた私は○○ちゃんに確認して危うく友人をなくす所だった
それを機に母を信じなくなった
授業参観などに母が来るのがとても嫌だった
明らかに他の親と違うので
母は薬を大量に処方されていたがOD、大量の飲酒、喫煙をした
氷もよく食べていた
祖母はよく薬や酒を隠したがだめだった
トイレの水を流すというのを10分に1回はしていた
後年薬の副作用もあり、とても太りふらついては転び、窓や食器棚のガラスを何度も割り、体中アザだらけだった
下もよく漏らすので、1階はつま先立ちで歩いた
ある朝母が泣いていたが構わず仕事に行ってしまった
その時話を聞いていれば、母の通院について行けば母は今でも生きていたかもしれない
ある日母の呼吸がおかしかったが、直前の診察で「特に異常なし」だったので普通に寝た
夜中に祖母に起こされ「母の様子がおかしいから救急車を呼ぶ」と言われたが、救急車に乗るのもしょっちゅうだったし明日も仕事なので寝た
また起こされ「母が亡くなったから病院に着いてきて」
享年57歳だった

大叔母から母が「色々辛い事もあったけど子供2人産めたのが幸せ」と言っていたと教えてもらった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?