Turn! Turn!

”Turn! Turn!” それは、僕らがこの手で世界に触れるための合言葉。 正しさ…

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”Turn! Turn!” それは、僕らがこの手で世界に触れるための合言葉。 正しさが価値を失う中で、僕らはズレ続けなければならない。 しかしどこに向かってだろう?  何を頼りにするべきだろう? ここはその追求のための場だ。

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それは、”ズレ”の可能性の追求。 それは、”驚異”との遭遇のデザイン。 おそらく、”正しさ”はその価値を弱めるだろう。もちろん、必要なのだけど、僕らが担うことではなくなる。 では、僕らはどこに生きるのだろうか。 何を担い、何に命の熱や風を感じるのだろうか。 それを”ズレ”だと、僕は考えた。 グローバルな、一同で共有するのっぺりした世界観にカウンターを仕掛けるが如く”ズレ”としての自らの世界観。 そこから、奇襲攻撃で世界の平坦な水面に一石を投じ、揺らぎを生じせしめる瞬間。

    • カラダを持った心

      「空間的思考が抽象的思考を可能にする。」 認知心理学者のバーバラ・トヴェルスキーは、著書『Mind in Motion』でそう繰り返し主張する。我々の抽象的思考は空間知覚とそこでの行動に根差す空間的思考に支えられているようだ。 洗面台で思いついたアイディアや昨日見た映画のセリフ、友人の救えない悩みやお気に入りのカフェの場所・・・。 それらのまとまった何かが確かに僕らの心(脳)にあり、僕らはそれを思い出せるし、それ自体を解体したり、反対側から見たり、捻ったり。あるいは他のそ

      • 自由をどうしよう(僕のマニフェスト2)

        ここまで考えてきたように、僕らが「不幸な遊戯者」であることを疑うことはできないだろう。“個の自由”とは、“自由”という開放的な印象とは裏腹に重大な困難を抱えている。   しかしである。ここで一旦、自分の胸にあるいは窓の外に耳をすませてみよう。僕らは自らが「不幸な遊戯者」であるということを感じ、苦しんで日常を送っているだろうか。いいや、現実にはその気配はしつつも、僕らは自由であり、力強く“個”であると感じないだろうか。つまり、現代の“個”を取り巻く社会は、僕らが「不幸な遊戯者」

        • 自由をどうしよう(僕のマニュフェスト1)

          これは僕の好奇心の結果あり、追求の足跡であり、マニフェストである。 僕の興味の発端はこんなところだった。 「本当の自分とは何か。」 「いや、そんなものはあるのか。」 「あるとすれば、どこにあるのか。」 未成熟な、自分探しと言ってしまえばそこまでだ。だが、その問いはあまりに軽視され、あるいは見て見ぬふりをされているように感じられる。 一方で、現代ほど個性の尊重や多様性の重視を叫ぶ時代はない。 僕はここに違和感を感じてならないのだ。その違和感を横目にただ泳ぎ続けることに耐えられ

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