水曜日
水曜日。
わたしは週のなかで水曜日がいちばん苦手だった。
週のど真ん中で休みの日に溜めておいた体力もほぼ削りとられ、月曜日、火曜日に生まれたちくちくストレスたちものしかかってくる。
せめて、夜にたのしみがあればなあ。
ほんとに言い方が悪くて申し訳ないけれど、いつからだったか思い出せないほどに水曜日の夜に放送されるドラマにハマることができなかった。だから、わたしのなかで水曜日は「たいくつな日」になってた。
なのに、あの水曜日が待ち遠しくてしかたがなかった。「水曜日だ、やったっ!」とパチパチするわたあめのように心が躍ってしまう。
『ばらかもん』みてましたか?
原作もアニメも人気。だけれど、わたしは『書道』も特別詳しくないしビジュアルもザシンプル。優しく単調なテンポで飽きてしまわないか、ほんの少し不安はあったけれど。このnoteを書いてる時点ですでにお分かりの通り良い方に裏切られました。
今はどこにいても見えない誰かと競う時代。
みんな「すごい」を背負って、比べて、生きてる気がする。
「上ばっか見ちょるけんダメたいね」
「どうぞ、お先に。人に取られたものを欲しがる必要はなか 諦める必要もなか 譲ってやってもっと大きな餅ば狙え」
『ばらかもん』にでてくるヤスばのセリフ。
どういうわけか、涙といっしょに要らないものも流れて出て行くのがわかった。すごく腑に落ちて、いま必要なとっておきたいことばだと思った。
ばらかもんに登場する会話は、決してその場しのぎの「綺麗事」なんかじゃない。たいせつな人が亡くなったときも、たいせつな試験に落ちたときも、目の前が涙で見えなくなるときも、なぐさめの言葉ではなく、そのときに必要な言葉をくれる。
だからほっとする。ぽやぽやあたたかくなる。
あと、ばらかもんに登場する子どもたちが本当にかわいい。子どもが持ってる、まっすぐな「素直さ」と「人懐っこさ」にはなにも敵わない。どんなときも最強なんです。
常に父と比べられ、評価され、気を遣われてきた、清舟だけれど、子どもたちと話してるときは偉大な父を持った書道家としてではなく「半田清」として会話をしてるように見えた。「先生」という呼び名も敬われるようなニュアンスではなく、親しみをもったものだった。
清舟にとってはじめてだったんだろうなあ。
先入観も、決めつけもなく、向き合ってもらえたのは。
ふつうに生きてても「ひとりのヒト」として見てもらうのは難しい。いろんな型ができて、その型から収まりのいいものを見つけたり、与えられてそこに静かに収まっているのが要領の良い生き方かもしれない。
でも、清舟が子どもたちと一緒にその型から飛び出す瞬間はとっても気持ちがよかった。
枠にハマらないで生きようぜ!とかそういうことが言いたいわけではなくて、
たぶん今のひとたち頑張りすぎてるので。たくさん、たくさんがんばってる。自分のためだけじゃなくて誰かのためにもたくさん。
そういうひとに『ばらかもん』という作品を見てほしいな。と思って書きました。
水曜日はみなさんにとってどんな日ですか?
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