我れ地

  さあ寝ようとして明かりを消すと、過去がどっと押し寄せてくる。夢の中でも私を追いかけてくる。

  ようやく間隙をみつけ、私は進行する汽車の椅子に座った。木製の背もたれに私は水となり、吸い込まれた。時に人はすべての関係を断って穴に入りたいという表現をする。私も同じ気持だ。私は鉄くずと同じだった。崩れた後自然に還ることなく、その場に延々ととどまる。そんな生き方をしてきた。成長しきったこの日本と生を共にしているが、私の成したことは我々がまだ木の上で生活していた時とまるでおなじなのだった。

  時間、郷愁の愛慕をしなやかに受け入れつつ、どこまでが「他」で、どこからが「私」なのだろうか、思いを巡らせる。神の領域に入ろうと藻掻くほどそれは私自身をむしばんでいった。今、科学革命で隆盛したありとあらゆる物理学を放棄したいのだ。現実であり仮想である宇宙無限論はどこまでも私を追うだろう。パックス=ロマーナ、偉大なストア派の哲学者でさえも、自身を省みる書物を描いたのだ。極東にちっぽりと生きる私が何を求めようか。私が描くのは自省なのか、はたまた自虐か。私はもう何から何までを捨ててしまおうか。半現実に穴をあけてしまおう。

  平坦な道につくられた線路の上を一定の鼓動で揺れる。車窓の窓枠をそっと目で追うと、嫌らしいような陽が刺さった。夕陽なのか、この世の終わりなのか、赤く染められている空間に私は閉じ込められている。胎児の記憶があるならこのようなのだろうか。生まれくる赤ん坊のように蹴り上げる気力もない私。自身の故郷に帰っているのか、現実から目をそらすために何処か遠い場所へ向っているのか、それすらわからなかった。

  この感情を「我れ地」へ向かうと解くならば、私は知らぬ誰かの地に気まずく漂っていただけに過ぎないのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?