統一協会の教義や福音派について〜10年前のメモから

救済論の問題点」という本がある。これも、mixiでレビューを残していたので、紹介したい。私はこの本の後に「原理講論」も読んだ。副島隆彦が世界の破壊を目論むムーニーズと批判している統一協会が一体、いかなる存在なのか、理解するきっかけになる。ちなみに本書を読んでおくと、新宿などで統一協会信者からセミナーの勧誘を受けた際に、会話がどのように進むか、予測しやすくなる。余談だが、統一協会本では、スキャンダラスな内容が書かれている「わが父文鮮明の正体」の方が面白いが教義はあまりわからない。

統一教会の内部で教義をめぐる対立があったことがわかる一冊。
本書を執筆しているのは、統一教会を除名処分になった禹明植集団と呼ばれていて、過去に氏族協会という名で活動していた集団。装いを変えて再登場したものだという。統一教会の2世を自らの組織へと勧誘することが目的のようだが、本書は統一教会の救済をめぐる教義が分かりやすく書かれており、自己批判を辞さない態度が興味深い。
統一教会は、キリスト教を超える宗教として出現したにも関わらず、教典としては教祖の「御言」よりも「原理講論」に軸足を置かれており、「原理講論」は対キリスト教的な書き方をされているため再臨のキリストである教祖の文鮮明の思想が伝えられていないとする。そしてキリスト教では数多くの聖人を産んでいるにも関わらず、統一教会では教祖の一家含めて道徳的に問題のある行動にばかり及んでおり、傍から見てキリスト教に完全に負けていると主張する。
この原因には、統一教会の救済論とその根底にある原罪に関する考え方に問題があったと分析する。
統一教会の既存の救済論は、統一教会から脱会させようと努力した牧師たちに対抗するために編み出された場当たり的な教義に過ぎなかったとまで指摘する。
その救済論とは、アダム・イブの血族から脱し文鮮明のファミリー入りすることで、原罪をいわば法的に逃れたのだとする法廷論的贖罪観と、原罪は天使とイブのセックスにあるとして教祖の精子を頂戴すれば救われるとする生物学的血統転換論の2つ
前者は、カルヴァンの思想を超えられていないことと、原罪=人間の意志が本来悪へと転落するものであることを無視してただの法的な価値判断の結果としか看做していない点に問題があるとし、その結果生じる自己中心的かつ宗教的には表面だけを取り繕った行動に陥ることについて批判される。霊感商法を展開することで罪から逃れられると考えることも表面をなぞっているだけの行為のため批判の対象となっている。
後者は、教祖と関係する人間しか救われない馬鹿げた理論だし、セックスすれば救われるというのはただの唯物論であると批判する。
統一教会はいずれか一方を用いて原罪からの救済を説明していた模様。
統一教会がキリスト教以上の教えであるのは、キリストの再臨である文鮮明がまだ生きているが故に、この地上において義認(原罪がチャラになる)ばかりか聖化(罪を起こさない聖人になれる)までも同時進行で果たせる(統一できる)点にあるのだとする。(ちなみにキリスト教では義認は神の子であるキリストが我々の罪を購って死んだと信仰することで可能だが、聖化はキリストが再臨するまでムリらしい。)
義認と聖化を共に行うには、原罪=人間は堕落する本性をもつことと捉えて、例えば心の中でエロいことを考えただけでも罪だと認識して、実行しなかったからOKなんて考えずに、常々自己中心的にならないよう努力する必要があると説かれる。
文鮮明の発言そのものに還れ!と説きながら、ユダヤ教、キリスト教の歴史に統一教会を位置づけ、神学的に教義を解説する本書はすこぶる面白い。

上述の本を読んでいると、統一協会は文鮮明に対する偶像崇拝を行なっているものであり、キリスト教原理主義的に見ると逸脱したものではないかと感じる。キリスト教原理主義者が陰謀論者であることが時折あるが、それは神以外の存在を崇める存在=偶像崇拝者への怒りが根底にあるからだ。またヨハネの黙示録の反キリストを連想するからだろう。例えば、「イルミナティ悪魔の13血流」の著者、フリッツ・スプリングマイヤーは、元エホバの証人信者であるが悪魔崇拝組織と気づいて抜け出している。太田龍の書き残した文章からは、プロテスタントで人工地震の本も書いている小石泉牧師とも関係があることが伺える。

陰謀論を生み出す思想的背景を探るには、キリスト教原理主義を抑える必要がある。(余談だが、太田龍の場合は、陰謀論の背後にマルクス経由の帝国主義論が控えているように見える。ベンジャミン・フルフォードの場合は、中国共産党が流している反米陰謀論をソースにしている可能性がある。)それで私が10年前に読んでいたのが、奥山実「悪霊を追い出せ!」で、以下のレビューを残していた。

私自身が不勉強なこともあり、分からないことが多々あるものの本書を読むと陰謀論が実は宗教に基盤があることがよくわかる。本書の筆者はキリスト教福音派の牧師。牧師というからにはプロテスタントだろうが、近代カルヴィン主義神学には強く反対しているし(理由は科学と神学を分離させているかららしい)、ホーリネス教会(浅学で恐縮だが日ユ同祖論を唱えていた中田重治が創始者のひとり)との関係も否定しているし、何より悪魔払いを行っている(悪魔払いはカトリックだけだったような気が・・)。
キリスト教の中にもたくさん派閥があり、いったいどこに筆者は属しているのか分からないまま読んでしまったのだが、本書はとにかく面白い。
まず自分の宣教活動において遭遇した悪霊にとりつかれた人々とその原因の探求がある。原因は拝み屋や高価な仏壇やオカルト情報に基づく呪術的行為が悪霊を呼び人々を不幸に陥れているという。これはダイアン・フォーチュンや友清歓真といった筆者からしたら敵である人々も主張していること。おそらく悪霊というのは脳の中に発生するバグなんではないか?と脳機能学者なら思うだろう。それはさておき、筆者はオカルト情報雑誌(今でいえばハリーポッターですな)を子どもから取り上げて燃やしたり、とにかく偶像崇拝と戦う姿勢を崩さない。ゆえに中国共産党による中国国内の偶像破壊(文化大革命)を賛美する。
そして、巧妙な偶像崇拝、悪霊の陰謀として、ニューエイジ思想への批判が出てくるのだが、この批判がまさに陰謀論そのもの。なんでも悪魔は環境保護や個人の霊性などと唱えながら世界を支配しようとしているのだそうだ。(よく考えたら宇野正美にせよ、「イルミナティ悪魔の13血流」の著者にせよ、バリバリのキリスト教徒だった。)さらに面白いのは、量子力学についての筆者の見解で、量子力学は観測者の立場により実験結果が依存するものであるから観測者の信仰がどこにあるかが重要である、とした上で、東洋思想をはじめとするニューエイジ思想に同調する科学者への批判を行い、科学者に聖書中心主義に帰るべしと訴えかける。(パンクロックの誕生みたい)
プラトンやアリストテレスに出会う以前の古代の聖書の世界(聖書=科学)に戻ることを筆者は強く訴えており、進化論は神の不在を示す思想だから間違っているとして、ついでに進化論のようなまやかしを信じていたマルクスが作った共産主義および信奉者はうそつきだらけと反共主義までむき出しにして(この辺統一教会の勝共運動を連想)その一方で悪魔崇拝につながるとしてID理論(超スゴイ神みたいな存在が人類を作った!というアンチ進化論学説)を否定するから一体何に準拠しているのか読者も途方に暮れてしまう。
キリスト教自体が人工物だとするデーヴィッド・アイクのニューエイジくさい陰謀論などと対峙して、筆者はどんな反応を示すのか是非知りたいところ。バリバリの聖書根本主義者と違い、アイク流にメタ的にキリスト教を捉えると(例えばエジプトのイクナートン教がキリスト教の元ネタだ!とか)最後は爬虫類人が人類を支配してるんだ!とギャグ寸前の世界まで辿り着くということだろうか?
陰謀論は形を変えた宗教論争だと発見できたのが一番の収穫。
余談ですが、「666の大破滅」(内藤正俊)というキリスト教ガチガチの本があります。これを読むとオウム事件など予感します。聖書が語ることは確かに歴史の法則なのかもしれないとふと思った次第。

ニューエイジ思想との対決は、グノーシス派との対決同様、キリスト教にとって根深い問題のようだ。イスラム教との戦いより重要なのかもしれない。大きな物語ではなく差異にこだわるというポストモダン思想的な動きが、キリスト教の中にあるのは面白い。よく考えれば、仏教やイスラム教の中にも似たような闘争はある。

神人思想=ニューエイジ思想=グノーシス派=魔女崇拝=エコロジーは、反キリスト教的な世界観として、実はつながっている。ただ、反キリスト教といっても、資本主義と結びつくかどうかが分水嶺だ。資本主義と結びつき、自己啓発ビジネスと化した巨大新興宗教団体もいれば、アンチ資本主義を生き、内面を磨いたり、爆弾を磨いたりする陰謀論系の人々がいる、といった状況だ。「ハリーポッターの呪い」などはそのあたりの状況を断片的にだがわかるものだった。


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