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日本とゲームの歴史

皆さんおはこんばんにちはオバロです!

今回からシリーズとして

【日本とゲーム】について記事を書いていこうと思います。毎日更新でお送り致します。

私は産まれてからずっとゲーム機を触って生きてきました。幼少期の頃はファミコン、小学生の時はスーパーファミコンに明け暮れ・・・

と話したら私の青春はゲーム三昧でした(笑)

ゲームの生い立ちから日本のゲーム市場は、どのように動いたのか?ライバル社は何を対抗馬を差し向けたのか?
など、色んな視点から見ていきましょう♪

※今回は家庭用ゲーム機がテーマになります。アーケード、PC、携帯ゲームは除きます

【第一次家庭用ゲーム機戦争】

まず初めに家庭用ゲーム機と言うと
ファミコンが頭に浮かぶと思いますが
1980年初頭はまだ
1ハード→1ソフトが主流でした。ゲームセンターにあったインベーダーやブロック崩しといったタイトルがその当時は「ゲーム」としての代名詞でした。

⬆︎因みにテレビゲーム機として最初に発売
されたのが1975年
【エポック社 テレビテニス】

そして任天堂もファミコンの前にいくつか
ゲーム機を発売しております。

⬆︎【1979年 任天堂 ブロック崩し】
これは任天堂2作目の商品です。
知らない人も多いですがブロック崩しの
元祖は任天堂なのです!私も子供の頃
友達の家で遊んでました笑




それから時は経ち
それから1985年に発売された
【Nintendo スーパーファミコン】


が発売され一大ブームとなりました。
上記にあった1ハード1ソフトから
ソフトの製造を他会社が行える許可を出し
(※これをサードパーティ形式)
他会社がソフト作り
ファミコンを製造した任天堂もハード機が売れ
WIN-WINの構図が出来上がり爆発的ヒット。
世界を含め【6.000万台】の大ヒットゲーム機
としてゲームの代名詞となったのです。

今までは自社の製品で自社のソフトから
ゲーム開発を他社に譲った事で新しい
ゼロ→1に発展して大きくなったのでしょうね


その後第二次ゲーム機ブームまでは
このファミコンに加え今では有名な大手ゲーム
会社【SEGA】がセガ,マークⅢを発売。

【1985年 SEGA セガ,マークⅢ】
⬆︎これは中高生や大人がゲームセンターで
遊んでいるアーケードゲームを移植した事で
年齢層を分けた作品でもあります。

任天堂とSEGAの戦いはここから始まります。
この2大戦争はかなり続きます(笑)

以上第一次家庭用ゲーム機戦争でした。

次回は【第二次家庭用ゲーム機戦争】
です。今回の大テーマである日本のゲームに
焦点を当てていますので
全作品をご紹介はしないつもりですので
ご了承くださいませ。

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