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【15】21世紀は“一億総編集者編集者”の時代 #小原課題図書

#小原課題図書も15回目 。そろそろ50冊が見えてきました。そして、今週の3冊は過去のどれよりも実り多く、楽しく没頭して読めた。以下、緩やかにレポします。

『僕たちは編集しながら生きている』/後藤繁雄

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『僕たちは編集しながら生きている』(後藤繁雄著、三交社)は、編集者・クリエイティブディレクター、京都造形芸術大学教授である後藤繁雄氏が主宰する「スーパースクール」での授業を完全収録した一冊。

編集者の仕事を学ぶとともに、職業から拡張し、「生活の編集」や「個人の編集」など興味深いテーマを扱った授業の内容を丸っと凝縮。講義を実際に受講した人の声も数多く掲載されており、受講する前と後、参加者の心境の変化も学べる濃密な内容になっています。

授業の内容をすべて拾うことはできないので、個人的に興味深かったトピックと、そこに対する感想をまとめます。

「編集」は編集者だけの仕事ではない

職業としての「編集」の代表例を挙げるなら、書籍の編集者、もしくはウェブ媒体の編集しゃが想起されると思います。ウェブコンテンツが増えたことで、極論「編集=誤字脱字の修正」といったイメージを持たれている方がいるかもしれないので、ここで一度編集者の仕事を整理します。

後藤氏によると、アートワークとアーティスト、鑑賞者の中心にあり、その三つをつないだり、ナビゲートしたり、評価をしたり、仲介していくのが「編集」だといいます。

この間をつなぐ存在は、さまざまな分野に置き換えられる。書籍と筆者、読者をつなぐことも編集。イベントと主催者、参加者をつなぐのも編集です。

さて、ここで本書の内容に入る前の「改定に当たっての挨拶」に目を移したいのですが、ここには、「スーパースクールという編集学校は、教室であると同時に、『編集をする場』になっていったのです。『編集』を単に出版物をつくるだけでなく『うまく生きること』『生活を編集すること』『自分の仕事を編集すること』へといかに拡張できるか」と書かれています。

編集は対価としてお金をもらう直接的な職業から、誰しもが戦略的にする行為になり、生活の一部になっているのです。

自分を編集するということ

本書52ページに登場する章「編集しながら『自分』をつくってゆく」では、編集という行為が現代ニーズに至極マッチしていることを指摘。

かつては「会社」「仕事」「私」の順に重要度が高かったものが、「私」「仕事」「会社」という順に変化していくなかで、自分をコアに仕事と会社を編集しなければ、僕たち自身が機能しなくなるというのです。

しかし、したいことや、やりたいことを考え始めると理想とギャップの差異に悩んでしまう。そんなときに力を発揮するのが「編集」です。

「自分」と「仕事」を考えるとき、はたして「自分」というものがオリジナルで存在するのか、それとも、それこそ編集されて成立していると考えるのとでは、「自分をイメージする」ときに、ずいぶん違ってくると思うんです。

ここでは「編集」を、他者との関わりの中で発見する、自分の性格などいろいろな側面を、己の個性としてつぎはぎしていく行為と捉えています。

今まさに、自分は編集の真っ最中。同級生が続々と社会人になっていくなかで、編集者・ライターとしてキャリアを歩むために、自身が最善だと考えた手段を選んでいます。就職でもなく、企業でもなく、休学してアシスタントをするという「働き方の編集」です

そう考えると、まさに人生は編集の連続で、文字通り「僕たちは編集しながら生きている」わけです。

本書後半では、職業としての編集者に求められるワークショップの内容や、編集によって価値を生む方法などが語られています。少々言葉では説明しづらいので、ぜひ本書を購入してみてください。授業を受けながら、激動の社会をサバイブするための編集術が身につきます。

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『コンテンツの秘密』/川上量生

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ここ数年、「ライター」「編集者」を名乗る人が激増しました。また、個人でブログを運営する人が以前に増して多くなっています。比例するように「コンテンツ」という言葉を耳にすることも多くなりました。

原義にさかのぼると、コンテンツは「メディアに載っかって伝えられる情報の中身」と定義されます。たとえばキュレーションメディアにある情報をまとめただけの記事であってもコンテンツです。

また、一般的にコンテンツを創る人をクリエイターと呼びます。とはいえ、キュレーションメディアのコンテンツをまとめた人はクリエイターと読んでもいいのでしょうか?

『コンテンツの秘密』(川上量夫著、日経BP社NHK出版)の著者である実業家・川上量夫氏は以下のように語ります。

クリエイターとはなにをやっている人たちなのか。いわゆる天才クリエイターとふつうのクリエイターの差とは一体なんだろうか。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに弟子入りすることになってから、僕が毎日、考えるようになったテーマです。

きょうは、クリエイターとはどのような人を指し、優れたクリエイターとはどのような人なのか?に絞って本書の内容をまとめます。

「キュレーター」は「クリエイター」なのか?

川上氏が考えるクリエイターとは「ある制限のもとでなにかを表現する人」。ここでは、『もののけ姫』を例にとって考えます。

『もののけ姫』はもともと映画のコンテンツとして作られた作品ですが、テレビで放映されたり、フィルムコミックになったり、DVD作品としてパッケージングされています。オリジナルが映画ではありますが、フィルムコミックとしての『もののけ姫』をつくった人(コマ割りを決めてコミックに最適化する)もクリエイターです。

「ある制限」とはメディアに紐づくフォーマットであり、それに応じて作品を表現しなおす行為はクリエイターの仕事としてカウントされる。そう考えると、キュレーションメディアに情報を引っ張ってきたキュレーターも、クリエイターと定義されます。世の中には、世界トップレベルでオリジナル作品を創る人から、有象無象のコンテンツを創る人まで、数多くのクリエイターが存在するのです。

なぜ宮崎作品は世界で評価されるのか 

世の中には数多くのクリエイターが存在するとお伝えしましたが、では、その中で優秀なクリエイターと呼ばれる人たちはどのような思考、技術を持っているのでしょうか?

「日本のアニメが海外で認められにくい」と言われるなかで、ひときわ異彩を放つクリエイターといえば宮崎駿さんです。本書によれば、日本アニメが海外で受けない理由の一つは、「作品を感覚で作っていて理屈でつくっていないから」「海外では理屈で作らないとつうようしないのだそうです。だから、本来は、宮崎映画は海外では理解されにくい作品のはずだ」と言います。

しかし、ご存知の通り、宮崎作品は世界でもトップレベルの評価を受けています。なぜでしょうか?

宮崎作品は“情報量の多い作品”として知られています。一つの絵の中に数多くの描写がされているのです。一般的に、情報量が多い作品は観るたびに視界に入る情報が変わるため、飽きない作品になります。ただ、宮崎作品のように何度テレビ放送されても視聴率が落ちないような作品は誰も作れません。

宮崎駿さんが手がける作品がいつまでも支持される秘密は、宮崎さんが脳にとって最高の写実主義をやってのける天才だからです。ただ単に情報量を詰め込んだだけの作品なら、アニメーションを手がけるクリエイター誰にでもできる。宮崎駿さんは、目で見た通り、脳が認識した通りの絵をそのまま作品に落とし込めるのです。

コンテンツのクリエイターとは、脳の中にある「世界の特徴」を見つけ出して再現する人なのです。

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かなり駆け足でまとめてしまいましたが、アニメに限らず文章にも同じことが言えると思います。僕の好きなライターの川口葉子さんが書かれた文章を紹介させてください。

私がなにげなく選んだカウンターの向かいの2人席が、もしかしたらベストポジションだったかもしれません。通りに面した窓の現実的すぎる風景がまったく見えず、横道の緑だけが見えるから。

とある喫茶店のカウンター席を表現したものです。具体的な描写はありませんが、なんとなくイメージが浮かんできます。細かすぎる描写はかえって想像力を欠き、客観的な情報が乱立された味気ないものになってしまう。ただ、脳のイメージを落とし込んだ文章を読むと、実際に足を運びたくなる。

同書からは、オリジナリティがあり、なおかつ大衆の心を射抜くヒントが得られるのではないかと思います。

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『20 under 20』/アレクサンドラ・ウルフ

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シリコンバレーは伝統的アメリカン・ビジネスの方法だけでなく、そのあり方自体を創造的に破壊するような場所だった。シリコンバレーは拘束衣を着せられた狭苦しい東海岸エリートのキャンパスとは正反対の場所だ。この場所は「次はどの産業を破壊的に変革できるのか?」「次にどの古臭い社会制度を打ち砕けるのか?」という答えのない質問を常に追い求めている。(中略)ここで不可能なことはただ一つ、次に何が起きるかを予測することだけだ。-著者ノートより

そう語るのは、『20 under 20――ピーター・ティールの超難関の起業家養成プログラム』(アレクサンドラ・ウルフ著、滑川海彦・高橋信夫訳、日経BP社)の著者。ウォール・ストリート・ジャーナルの記者である彼女は、PayPalの創業者であり投資家のピーター・ティールが行う起業家支援のプログラム「20 under 20」に選ばれた若者を6年に渡り密着取材し、同書を上梓しました。

起業後進国・日本も、“世界で一番ビジネスがしやすい環境”を創出する国家戦略特区構想を打ち出していますが、起業のメッカ・シリコンバレーに集う起業家のタフさは伊達ではありません。特にティールの「20 under 20」に選ばれる若者たちは、常人が遥か届かない未来を描き、“踏みならされたキャリアパス”を逸脱しながら、“ありきたりな日常を超えた巨大なアイディア”を実現すべく毎日を過ごしています。

大学を辞め、10万ドルで優秀さを証明せよ

「20 under 20」は、大学をドロップアウトしてシリコンバレーで起業させるために20歳未満の優秀な若者20人に10万ドルずつ与えるプログラム。当選した若者(全員20歳以下)は、小惑星探鉱や不老不死の研究などクレイジーなアイディアを持った天才たちです。

登場する起業家たちの中には、現在進行形で事業を展開している人もいれば、事業に失敗し、大学に戻った人もいます。しかし、シリコンバレーでは失敗すらも勲章として評価される。

日本で当たり前に生活していたら、シリコンバレーの文化や風習、そこに暮らす人々の思考を理解することはできません。本書はまず、シリコンバレーがどのような地域であるのかを描写し、そのなかで苦悩と葛藤、挫折を味わう若者たちを描いています。詳細は本書に詳しいので、ここではちょっとしたエピソードを紹介。

フェローシップ(「20 under 20」のこと)に当選した一人が、ローラ・デミング。彼女は、12歳の頃から老人医学のラボで不老長寿の研究をしてきました。そこで人間の不死性を研究する資金があまりにも限られていることに憤慨し、不老長寿のエクイティ・ファンドを提案。

レーザーをいじったり、顕微鏡でしか見えないようなミミズの山をすくい上げたり、赤々とした虫たちがプレートプレートの上で身悶えするのをうっとりしながら見ていました

と語られているように、12歳の少女にしたら相当の変わり者です。自分が12歳の頃何をしていたか振り返れば、彼女がどれほどの異端か分かるはず。好奇の目を向けられるほどではないでしょうか。

しかし、彼女はシリコンバレーでは「寵児だ」ともてはやされる。それほどまでに文化が違うのです。これは日本と比較しているのではなく、同じアメリカにおいても同じことがいえます。

デミングは、シリコンバレーで女性でいることの意味は東海岸とは違うことに気づいた。女性同士で交わす会話も、女性が男性と交わす会話も、着ている服も、参加する社交グループも違っていた。

銀行マン、弁護士、型にはまった極めて「平凡」な人材

最終項「最後に」のなかで著者・アレクサンドラ・ウルフが記した言葉を紹介します。

ティール・フェローは現代の優秀な若者の代表だ。彼らはあまりに優秀なので平凡な同級生が目指すような銀行に勤めたり、弁護士その他になったりする型にはまった道を選ぼうとしない。才能ある若者は西海岸を目指す。

日本では、一般的に銀行に就職することや弁護士になることは、優秀さの証として認知されているように思います。それなりの学力や学歴、教養がなければ就ける職業ではありません。しかしながら、シリコンバレーでは「平凡さ」を象徴する職業に数えられてしまう。…著者の言わんとしていることは、ことのつまり以下のようなメッセージだと思うのです。

自分の将来を考えるにあたり、既存の職業や企業の枠に当てはめて考えることはナンセンス。世の中にない価値や、自分の実現したい未来を提供しようともがいた結果が職業であり、所属する企業であるべき。

失敗を恐れず行動し、成功させた途端にスタンダードを超えた人間になれる。仮に失敗したところで、それすらも価値。失敗を恐れて行動できなかった人から、スタンダードになる権利すら失っていく。

・・・

本書で紹介される、一般的に想像しうる超エリート街道に固執せず、大きなリスクを取って挑戦する若者たちの姿勢から学ぶことは非常に多い。考えることを辞めそうになったとき、将来を盲目的に待っている自分に気づいたら、また手に取りたいと思います。

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