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それで 三

 親父はとっくにネットから足を洗っているらしい。あれ以降初めて入るタタミの部屋は、所謂、普通の和室になっていて、引きこもりの様な酸っぱい臭いはしなかった。マナーのつもりなのだろうかパンティイに付いていたのであろう香水の匂いも、ウンコの臭いもしなかった。
 トヨタクと一緒に畳に横になれば、しっかりと畳の匂いがして、そのまま眠りに落ちる。
 「オキロ!おいオキロ!なーに寝てんだよ!」「メシだって言ってんじゃん!」ぐちゃぐちゃな顔の米澤がうるせぇ。
 ラフ画と言うのか、a-ha のMVみたいに線になったと思ったら急にカラフルになる。ぐちゃぐちゃなのに米澤だと解る。うるせぇから。Take On Meのカヴァーを聴く時はいつもそいつがI`ll be goneの後をトゥルットゥルットゥー♪と歌うのか気になる 所なのだが、そんな余裕はない。相手は米澤だぜ。何はともあれ深呼吸をして昼寝から覚めるぞ!と自分に言い聞かせる。耳元で指パッチンをして、覚醒している事を確認する。
 「聞こえた?ゴハン。お父さんもう帰ってくるから」
 トヨタクはいつの間にか起きて、水でフやかした餌に没頭している。ベチョベチョしてグチャグチャしている。
 空気中に餌の臭いを探してしまう。
 みつけた。くせぇ。トイレに行く。吐く。
 親父が仕事から帰ってきた。どうやら社会に出て、仕事をしているらしい。何の仕事かまでは興味が湧かなかったが、十数年前にあれだけ悪ふざけをしていた奴が、まともなふりをして社会に溶け込んでいるのだ。
 十数年、丁度、ヒキコモリは心の病気だ云々と世間が言っていた頃だ。あの頃ヒキコモリだった奴らは、当たり前の顔をしてパンツを履き、当たり前の顔をして部下に説教を垂れる、当たり前サラリーマンになっているのかもしれない。昔はな、なんて言ってイキった噺をしている奴もいるに違いない。気持ち悪ィ。
 また噺が逸れた。要するに何が言いたいのかと言うと、俺はメシを食う所です。
 親父は一つも面白いことをしない。ただ馬鹿みたいにだし巻き玉子を食べている。
 コイツ、黄色いもんしか喰えねーのか。
 「何笑ってんの?」なんて母親が言う。
 「コイツはパッパラパーだからな」俺が一言も発する前に親父の横槍だ。まるでよくドラマで観る、父親が倅に落胆するクリシェだが、コイツは医者や弁護士や社長じゃあない。ましてや、まだだし巻き玉子をだらだら咀嚼している。元ヒキコモリ科、当たり前サラリーマンモドキ属、キイロモグモグ、だ。
 「大根おろしつけろよ。気持ち悪ィな」
 すると、なんだと?なんだってえんだ、てめえはよお?俺の精子だったくせしてよお、とでも言う様に箸を置いたキイロモグモグの面が次の瞬間、両手をテーブルに叩きつけると同時にグチャグチャになった。声が米澤だ。
 俺は米澤の精子ではない。
 宥めに入って来た母親も一緒にグチャグチャ米澤になった。
 二人のグチャグチャ米澤がもうアラサーになる息子の前で言い争っている。
 気持ち悪ィ。
 俺はその隙に大根おろしを全部米に載せ、鰹節と醤油をかけて食う。この食い方が一番旨い。溜飲を更々と呑み込む。否、トゥルットゥルットゥー♪と呑み込む。
呑み込んだ筈が臭いだけが直ぐに込み上げて来て、鳥肌が立つ。
すると急にニワトリ頭の人間が脳裏に浮かんだ。
 顔がニワトリで身体が黄色人で、四肢がズワイガニの様に細く、ボキボキと動く。見た事があるようで見た事がない。
 絵が上手ければなあと思う。否、上手かったところで、ズワイガニみたいな四肢にニワトリの頭のアジア人と言っちまった方が早い。
 そのズワトリ人間のイメージを振り払う用にだし巻き玉子を頬張ると、卵の生臭さが際立つ。
 出汁ちゃんと入ってんのかよ。
 大根おろし全部使わなきゃよかった。
 グチャグチャ米澤(父/キイロモグモグ)が立ち上がった。身体がズワトリ人間だ。風呂に行く様だ。
 グチャグチャ米澤(母)が立ち上がった。身体がズワトリ人間だ。皿洗いをする様だ。
 二人とも、乳も性器もなかった。グチャグチャズワトリ米澤はノンバイナリーって事らしい。
 つか、もうトリの頭は残っていないので、〝グチャグチャズワイ澤〟かもしれない。
 そんな事を考えているとメッセージが入った。シンペーだ。
 「警察行ったとしたらどうする?」
 それで?と訊く気も起きない。既読してアプリを閉じて終わり。それで、終わりだ。気持ち悪ィ。

 つづく

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