性格が明るい人より暗い人の方が、実は文章書くのうまい説
文章講座に学びに行くと、たまにドキッとすることを先生方はおっしゃいます。
どうでしょう、心の痛いところを突かれるような気がするのは私だけでしょうか。。
私がやっている文章教室に来られる方は「文章が苦手」という方も多く、こうしたことをそのまま伝えると参加者の方は怖くなってしまうと思うので、オブラートに包んで伝えるようにしています。
また私の周りにはコーチングをしている人が多く、コーチの多くがあらゆる物事に好奇心を抱くように訓練をしているためか「いやいや、私は書き手さんにも興味があるよ??」とおっしゃる方も、中にはいたり。
あるコーチは台所の流しの下、調味料などが入っているところに首を突っ込んで、一時間好奇心を抱きながら物色するという練習をやっていたそうです。
なんにでも好奇心旺盛な人、例えば黒柳徹子さんなどを見ていると、斜に構えている人より好奇心が強い人の方がよっぽど人生を謳歌していると思います。
しかしそれでも、文章を書くときは「誰も自分には興味がない」という視点から書いた方がよいと思います。
それは、文章は他のコミュニケーション方法と比べると明らかに情報量の少ない、不利な媒体だからです。
ある人が街でスピーチをしていたとします。
思わずあなたは足を止め、振りかえってその演説者をまじましと見る・・さてその時あなたは、演説者の何が気になったのでしょうか。
胸を打つスピーチの内容だったからというのももちろん考えられます。
しかし「良く通る良い声をしていたから」「すてきな洋服を着ていたから」など聴覚や視覚から入る感覚、そしてその人が放つプレゼンス全てが、同じリアルの場にいると聴衆には伝えることができます。
対して文章は、こ の と お り 言 葉 し か あ り ま せ ん。(急にホラーっぽくなってすみません)
文章は技術ももちろん大事なのですが、他にも「この文章を最後まで読ませてやる」という情熱も必要だと考えています。
個人的な見解ですが、文章がうまい人の多くが「超ハッピー!」とか言わなさそうな人たちです。(あくまで個人的主観です)
それは「誰も自分なんかに興味がない」というくら~い、絶対的な自信があるからこそ「ではどうしたら読者は最後まで読んでくれるのか?」という問いが強くその人を支えているから、のように思います。
だからか「みんな私に興味があるはず!だから多少つまらなくても最後まで読んでくれるはず!」というポジティブな方の文章は、読ませる気迫がいまいち伝わってこない。
でも人生楽しんでる人ってだいたいこういうポジティブな方なんだよなあ。と、うらやましくなったり。
どちらがいいとか悪いとかではなく、自分にあった資質と向き合いながら表現をしていきたいですね。