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数字の力を使うと、より伝わる文章になる

職場で仕事をしていると、背後から上司が部下を詰めているような声が聞こえてきた。
どうやら弊社に事業を売り込みにきた同じような2社のうち、どちらの会社を採用するかを話しているようだった。

「こっちの会社の方が熱量があるからって君はいうけどねえ。熱量がありますだけでは会社の決定はできないんだよ」

という上司の声を聞き、確かにと思う。

商売とは、商品の質の良さやそれを世にアピールしていく力に加えて「信頼」というものがかなり大事になってくる。
重い責任を担う会社のお偉いさんたちにとっては「頑張りますから、おいらを信じてくだせえ!」という言葉だけでは、なかなか信頼はできないのだ。

では何があれば信頼できるかというと、私はその代表例を「数字」だと思っている。
過去にどんな実績をどのくらいしたのか、その結果どのくらいの利益が出たのかを数字で示す。数字とは普遍的なものなので、それならばと心は動きやすい。

誰かに何かを伝えるときも、数字を挟むだけでグッと伝わりやすさは増す。

例えば「旦那さんが真夏、寝室のクーラーを低く設定するので寒くて寝られない」とグチをこぼす奥さんに対して

「男性と女性は、快適と感じる温度はちがうからね」とだけ言われるより、
「快適と感じる温度は、男女で8度ちがうらしいよ」と言われるとどうだろう。

えっそんなに違うの!となると思うし、それなら真夏の夫婦・寝室クーラー問題も、起きるのはある意味仕方ないと捉えられるのではないだろうか。

文章でも、ここぞというときに数字を入れてくることは多い。

「とても暑い」と書くよりも「街の気温計は36度を超えていた」と数字で書く方が、読み手が暑かったと感じた夏の日の記憶にリンクしやすい。

「本番で成功するように、たくさんバレエの練習をたくさんしました」とするよりも「バレエの本番で4回転が成功するように、練習では8回転していました」と書く方が読み手の頭にスッと絵が浮かぶ。

名作と呼ばれるような文章には「同じ体験ではないけれど、私も同じような想いをしたことがある」と読み手に思わせる力がある。数字は書き手と読み手をつなぐ道具の1つなのである。

文章の世界では「不思議な人の話ではなく、人の不思議を描くようにしてください」とよく指摘される。
自分とは全くちがう不思議な人の話に、人は入り込みにくい。でも普遍的な真実が匂う人の不思議を感じる文章には、読み手はどこか自分のこととして入り込みやすい。プロの作品を読んでいると、ここぞという場面で数字をこっそり仕込んでいることが多い気がする。

数字数字、というと、ノルマに追われているようであまりいいイメージはない方も多いかもしれないが「イマイチ文章がしっくりこない」というときは、ぜひ数字のマジックをスパイス的に使ってみると良いかもしれない。