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しんどい時はないものではなく、あるものに目を向けて

noteでは、ゆるゆると自分のペースで更新している人も入れば「文章で天下取ってやる!」と毎日ガツガツ更新している人もいる。

他人から見ると、ほぼ毎日更新している私はガツガツ系の人に分類されるのかもしれない。

だけど結婚して子どももいて、会社でもバリバリ華やかな仕事をしながら毎日表現をしている人を見ると、独身で会社のお茶汲み程度の仕事しかできず、その隙間時間になんとか書いている自分はキャパの小さい人間だなあとため息が出ることがある。

土日や在宅勤務の日(の通勤時間分)にまとめて書いているから更新できているものの、何か今のバランスが一つでも崩れてしまえば、すぐ更新はストップしてしまうだろう。
体力も心のエネルギーも生まれつき少なめな私からすると、世の中でスポットライトを浴びている人たちはみんな体力・エネルギーともにお化け級に見える。

しかしどんなに他人を比べたり羨んだり僻んだりしても、それで自分のエネルギーが増えるわけではない。ならばエネルギー量を増やすというより、自分のエネルギーの使い方を思い出していくことが、表現者にとっては大事なことのように思える。

私は長らく他人の顔色を伺うことに、自分のエネルギーの大半を使って生きていた時代があった。当然その当時は生きることが苦しく、毎日を生き抜くだけでやっとという生活だった。

文章を書き始めた当初は1000文字程度書くのに1週間かかった。今も少ないが、当時は本当に心のエネルギー量が少なかったみたいだ。でもなんだか自分のエネルギーを正しく使えている感じが心地よくて今に至る。

創作しても私のキャパシティは増えなかったけれど、少しずつでも表現すること・アウトプットすることは私が私の息をしやすくすることを助けてくれた。

ちなみに私の文章の先生は「これからの時代はアウトプットよりインプットが大切」とおっしゃっている。
今の時代、SNSアカウントを開いてそこに何かしら投稿すれば、アウトプットは誰にでもできる。でも情報が溢れかえっているこの情報化社会の中で、本当に自分にとって必要な情報をキャッチできる能力が、これからは問われるらしい。

描いてみたいものがある。歌ってみたい曲がある。この風景をあの人に見せたい。

こうした一瞬で消えていく儚い想いを形に、永遠に刻もうとする行為は全て尊い。もちろんその想いの先に、コンテストで選ばれたとか、お金にすることができた、とかになったらすごいけど、本当は表現したいという気持ちが何より素晴らしく、それはみんな大切に育まれるものだと思う。

表現しているとすぐわかりやすい結果や意味を求めてしまうけれど、その答え合わせが本当にできる日はきっと、自分の意志の届かないところで決められている気がする。

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よろしければ眠れない夜に、リラックスしたい時にぜひどうぞ。