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着たい服を着ていると、運命の人に出会える説

ネットで見つけたヘンテコTシャツを買ってしまった。

京都の染物屋さんが作ってるだけあって、生地はかなりいいもの。
安定した公務員を辞めて売れない作家生活へ転身したばかりの身、生活費は切り詰めなければならぬところ。でもなんだかときめいて1着1,980円を2着もポチしてしまった。後悔はない。

一方で自分は昔から宝塚の娘役さんに憧れていたこともあり、上品で清楚なワンピースが好きだ。

朝ドラでとらちゃんが着てたような服、好きなんだよなあ。

上品なワンピースか、ヘンテコ服。好きでこうした服を着ていたのだが、あるときイメージコンサルタントをしている知人に「仁美さんは背が高いし、あまり女性らしくない服の方が似合うよ。パンツとかシャツとか、髪も短い方がいい」とアドバイスしてもらったことがあった。

自分の好きな服と似合う服が一致していないのは、わかってはいるのだ。街でそういう人を見かけることもある。でも着たくない服や周りが望むを着ていると魂が死んでしまう気がして、今はもう着たくない服は着ないようにしている。

「理由はないけれどどうしても好きなもの」を純粋意欲と言ったりする。
大河ドラマ、牡蠣、仏像・・何かに夢中になっている人というのは、それを好きになったきっかけこそあれど、その好きに理由はないことが多い。そうした純粋意欲は「神様からの贈りもの」と、この言葉を作った榎本英剛さんはおっしゃっている。

そういう意味合いでは、好きな服というのも純粋意欲である。ある社長さんはアロハシャツが好きで、そのまま経営者の集いなんかに行くと完全に浮くらしい。でもハワイの自由な感覚を思い出すと、自分らしくいれるとのこと。

他の誰でもない自分だけの人生を歩むためには「理由はないけど、どうしても好きなもの」が人生の道しるべとなってくれるようだ。

あと思うのが、来世でもう一度会おうねと前世で約束をしてきた人たちに、今世でも巡り合うためのキーアイテムが洋服なんじゃないかなと思う。
「私はヘンテコTシャツか上品なワンピースを着てるから」「じゃあ俺はアロハシャツを着てるから、来世で会ったときそれを目印に見つけてね」とか言ったりしている気がする。

運命の人というのは生涯を共にする伴侶に限らない。「あのとき人生が変わった」という人との出会いは、人生のトータルで考えると一人とは限らず、何人かいるはずだ。数え切れない数の輪廻転生を繰り返しながら、人はひたすら魂の向上を目指す。
その螺旋階段を昇っていく時の重要人物との出会いは、服だったりカバンだったり、そうしたその人の醸し出す雰囲気が決め手になっていくような気がしている。

服にもコスパが求められる時代であるが、自分がいいなと思った服は身につけた方が、人生が好転していくのではないかと思っている。









先祖伝来のコロッケレシピはこちら。



今日もお疲れ様でした。
今週はわたくし、いろんな締切がギリギリガールズです。まあ私が締切に追いついてないんじゃなくて、締切が私に追いついてないだけなんですけど・・
はい、ごめんなさいやります、石は、投げないで。

さてさて、明日も適当にしっかりでいきましょう。



最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。